第23話 早朝散歩

 夜明け前に起きたアンジェラは、間もなく起きてきたシドニーやライラと共に館内の掃除をしたり朝食の準備をしたりして過ごした。メロディに少しでもストレスがないよう、出来る限り日常に近い状態を保っておきたかったのだ。


「普段だと、生活は本館を使っているのでしょう? 使用人の方たちも混乱しているでしょうね」

「さようでございますね。ですが我が家はこれしきの事で揺るぎは致しませんよ」

 平然とした顔で食器やカトラリーの準備をするシドニーに、アンジェラは「そうなの?」と首を傾げた。

 別館とはいえ、突然建物と主人親子、執事とその妻のメイドが消えたのだ。しかもコンラッド自身は事業主で仕事もある。普通大パニックではないだろうか。


「まず旦那様の仕事に関しましては、急に遠方へ出ることもございますから、そうそう混乱はないと思われます。館のほうは、まあ、そうですね。家令のコリーは大変頼りになる人でしてね。ちょっとやそっとじゃ動じたり致しません。この程度ではまず状況整理からはじめ、周りには騒ぐなと厳命していることでございましょう」

 そして自慢げにニヤリと笑う執事に、アンジェラはクスクス笑った。アンジェラの中で家令のコリーの姿がガチムチマッチョの老人として思い浮かんだと言うと、「よくお分かりで」としれっと答えるシドニーの姿が可笑しい。

 彼は昔から、まじめな顔でちょこちょこと笑わせてくれる名人だったことを思い出す。

 もう隠しても仕方がないのでそのことを打ち明ければ二人で昔話に花が咲き、色々聞いて知っていたらしいナタリーが楽しそうにニコニコ笑った。


「旦那様は素晴らしい人たちに囲まれて幸せものね」

「過分なお言葉、痛み入ります。あとは素晴らしい奥様をお迎えできれば完璧でしょう」

「そうでしょうね。できることならば、メロディを愛してくれる女性が好ましいと思うけど――。それは外野が指図できることではないものね」

 コンラッドがその気になれば、娘がどんなに反対しようとも妻を迎え入れるだろう。この国(転移しているからイリスではと言うべきか)ではまだ、当主の力が強いのだから。


「ふふ。万が一、メロディが旦那様の結婚の障害になると気に病むようなことでもあれば、わたくしがあの子を引き取ってもいいかしらねぇ」

 そんなアンジェラのきわどい冗談に二人が面白そうに笑った。

 その様子を慎重に観察し、メロディの心配は杞憂であることを確信する。

 少なくともコンラッドの一番そばにいる執事の目には、メロディが彼の障害になるようには映っていない。コンラッドは娘としてメロディを大切しているのだ。

(でももし彼が、メロディが自分の娘ではないと知らなかったら――なんて、そんなこと有り得るのかしら)




 朝食の前に少しだけ近くを歩いてくるとアンジェラが玄関に向かうと、ちょうどコンラッドが降りてきた。髪は軽く撫でつけてあるものの、ここには剃刀を置いていないらしく、無精ひげが生えたあごを気にするように撫でている。


「おはようございます、アンジェラ。どちらへ?」

「おはようございます、旦那様。朝食の前に、少し近くを散歩しようかと思ったんですけど……」

 そう言いながら、アンジェラは階段の陰に見える二つの金色の頭に首をかしげた。

(朝早くからかくれんぼ?)

「子供たちが起きてるのでしたら、このまま朝食にしましょうか。ねえ、メロディ、エドガー?」


 まだ早いと思ったから散歩にでもと思ったのだけど、皆起きているならお腹もすいていることだろう。そう思ったのに、慌てた様子で立ち上がったメロディはキョロキョロした後、階下のライラに何か訴えるような顔をした。


「あの、私、まだお腹が空いていませんし。えっと、そう。今からライラに髪を編んでもらうつもりですので、どうぞ先生はゆっくりお散歩に行って来てくださいませ」

「そう? でもエドガーはお腹が空いたでしょう?」

「いえ、先生。俺は朝食の前にシドニーと剣の手合わせをって、約束をしてるんです。なのでまだ朝食は先いいです」

「そうなの?」

 アンジェラが小首をかしげると、メロディとエドガーがこくこくと頷き、シドニーとライラも優雅に一礼する。

(短期間でずいぶん仲良くなったこと)

「では旦那様は」

「私は、散歩にご一緒してもよろしいですか?」


 なぜか散歩はやめますとは言えない空気に戸惑いつつ、「ええ、もちろん」と頷く。

「では少しだけ歩いてまいりますわね」

「「「「ごゆっくり」」」」


(なにかあるの?)


 首を傾げつつ、コンラッドと二人で外に出た。

「どのあたりに向かうつもりですか?」

 コンラッドの問いに「少し道を外れて、西のほうを見たいと思ってます」と答える。

 昨日は街に向かって森の細い道をまっすぐ進んだのだが、帰りに西のほうに水の気配を感じたので確認したかったのだ。いくらコンラッドが水呼びが得意でも、天然の水を確保できるならそのほうがいい。ここに長い期間いるつもりはないけれど、それでも水は重要だから。


 散歩にしては野性的な道中ではあったけれど、彼の態度はアンジェラを気遣う以外は普通で、まるで以前から親しい友人だったかのように錯覚しそうになる。とはいえ、学生時代のコンラッドとも暁の狼とも少し違うその細やかな感じは、一緒にいてとても心地のいいものだった。


 しかし――


「メロディが私の子でないことは、最初から知ってますよ」


 西に少し進んだところに美しい泉を見つけ、あとで子どもたちを連れてこようと考えているとき、突然コンラッドがそんなことを言うので驚いた。

(わたくしとしたことが、考えてることが顔に出てた?)

 思わず頬に手をあてるアンジェラに、コンラッドが柔らかく目を細める。


「さっきメロディから、貴女にそのことを打ち明けたと聞きました」

「そう、ですか」


 ちらりとコンラッドを見上げれば、彼が何か話したい様子であることを感じ、アンジェラは雑念を払って聞く態勢を整えた。

 本来首を突っ込むべきではない私的な家庭事情ではあるけれど、二人きりにされたのはメロディか家のことで何か話があるからなのかもしれない。


「メロディはいい子ですね」

 今はまだ幼さのほうが全面に出ているけれど、今後もきちんと教育をすれば素晴らしい令嬢になるだろう。外見も美しいけれど心も強い、そんな女性になる。


 アンジェラの確信のこもった言葉にコンラッドは優しく目を細めた。その目には自分の娘を褒められたことへの誇らしさが浮かんでおり、彼は素直に「ありがとう」と言った。


「あの子が落ち着いたのはナタリー先生のおかげです。素晴らしい先生だ」

「ありがとう存じます」

 アンジェラの方も娘を褒められて微笑んだ。

 「あのナズナが」とコンラッドは感慨深げだが、狼と出会った頃のナタリーは十一歳。別れた頃は十三歳だった。

 今のメロディと同じ年頃だ。

 多少面影はあっても、今やすっかりイリア人として振舞うナタリーを、あの時の子供だと気づくことはできなかっただろう。


 ヒィズルでアンジェラが素性を明かすことはなかったけれど、それはコンラッドも同じだったことに今更気づく。暁の狼として紹介された彼は、イリアではなくルランから来たと言っていたし、側にいても隣国だから似ている点があるのだろうくらいで気にしたことがなかった。


「メロディの祖父は父の恩人でした。あの子の母親との縁談が来たときは、結婚はすでに決定事項だったんです。恩人の娘の窮地を救えと。まあ、そういう名目の政略結婚ですね」

 だが相手は、すでに他の男の子どもを妊娠していた十八歳の少女。

 子供の父親は名前さえ嘘だったらしく、今もどこにいるか分からないのだという。


 当時の輝くようなソニアの姿を思い浮かべ、アンジェラは胸が痛んだ。

 愛した人に裏切られたのは、どんなに辛かっただろう。メロディにあたったことは決して許せることではないけれど、それでもその点には同情した。


「アンジェラ。正直に言いますと、私は二年、スミレを探しました。ヒィズルにいるものと考えていたから、そちらの伝手を使って。まさか破魔の器を召還できる貴女がヒィズル人ではないなんて夢にも思わなかったんです」


 破魔の器は、アンジェラが使っている弓矢や剣のことだ。

 ヒィズルでは大地と火の山に契約することで、魔獣を倒せる武器を自分の身の内に納め、召喚できるようになる力を得ることが出来る。さらにその武器に魔力を込めることが出来る戦士を、魔法剣士や魔法弓士と呼び、スミレは魔法弓士だった。


(でも厳密には、武器を身の内に納めることはできないから、それっぽく見せていただけに過ぎないのだけど)


 破魔の器は人を傷つけることはできないけれど、アンジェラのそれはコンラッドが使っているような普通の武器のためどちらにも使えるのだ。

 その差を見せたことも教えたこともないので、はたから見ればスミレは少し外国風の風貌なだけの完全なヒィズル人だっただろう。

 実際には魔力の使い方の応用で、家に置いているものを取り出しているに過ぎない。前世アニメで見た、どこかにおいてあるアイテムを取り出せる道具をイメージしたと言ったところで、誰も理解できなかっただろう。


 自分のことを、そんなにも長い間探してくれていた。その事実に震える胸が、何を意味するのかよく分からない。

 何も言えず微かに目を伏せるアンジェラに、コンラッドは寂しげに笑った。


「でも私の結婚が決まってしまったとき、無理やりにでも貴女への気持ちを殺せたのはメロディがほしかったからです」

「メロディを?」

 胸の奥が握りしめられたように痛むのを無視し、面には不思議そうな表情だけを作ると、コンラッドは当時を思い出すように上を向いた。

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