第15話 混乱

「服まで変える人を始めて見ました」


 暗い森を抜ける道中、コンラッドがそんなことをポツリとこぼした。

 幻視の魔法は基本身体を違った風に見せるためのもので、年を変えたり体型や顔の印象を変えてみせたりするものだ。無機物である服に応用することも可能には可能だが、膨大な魔力や精神力、それに加え明確なイメージ力がいるため、ほぼ眉唾物だとされている。


「知らないところで目立つ危険はおかせませんから。街の様子を見て、改めて変えるつもりです」


 アンジェラは旅装束に見せた上、腰に短剣を、背中には弓を携えている。もちろん同行者のコンラッドにも帯剣してもらっている。

(今朝老婦人姿にしていたおかげで、歩きやすい靴にしてたから助かったわ)

 見た目を変えていても中身は同じ。華奢で上品な靴にしなくてよかったとしみじみ思う。

「人は異質なものに敏感です。特にこの世界では魔王とかいう存在にピリピリしている可能性が高い。街では情報収集と、できれば買い物もしたいです。でももし万が一のことがあれば、旦那様はすぐに館に戻ってください。何かしようとは絶対考えないで」

「それは、貴女に危害が及ぶことがあってもという意味ですか?」

 怪訝そうなコンラッドにアンジェラは当然と頷く。

「旦那様が守るべきなのは、メロディと使用人の方たち、すなわち貴方の家族です。エドガーのことも、昔なじみの息子ということで宜しくお願いしますわ」

 一瞬、コンラッドらしくもない唖然とした顔を見てアンジェラは首を傾げる。


(状況的にも優先順位的にも、何もおかしなことは言っていないわよね? ――ああ!)


「さっきわたくしが倒れたから心配してくださってるんですか? 大丈夫ですよ。飛竜の核をエドガーが魔法石に変えて持たせてくれましたから、もう倒れません」

 胸を張って言うと、何故か今度はガックリうなだれている。今のコンラッドは意外と表情豊かなようだ。

 昔は稀にアンジェラと話すことがあっても、まともに目も合わせてくれなかったのに――。そんなことを思い出すと少し可笑しい。


「魔法石なんて、そんな簡単に作れないでしょう」

「エドガーは優秀ですから」

 そういう問題じゃないと言われた気がするが、事実でしかない。


 アンジェラたちの持つ魔力は心からの影響を強く受ける。

 あらゆる知識を応用できるアンジェラに匹敵できるだけの力を持つエドガーは、アンジェラよりも魔力が高い。彼も前世の記憶持ちでは? と思うくらいには、飲み込みも早く判断力も高いのだ。アンジェラがこうしてくれれば核から魔法石を作れると言っただけで、あっさり実践してくれた。


 その素直な資質とこの世界のせいだろうか。アンジェラの既視感はますます強くなる。もしくはエドガーの金色の髪のせいだろうか。

 そしてようやく森を抜けて街を見下ろせる場所に来たとき、それが気のせいではないことに気づき、膝を付きたくなった。一瞬全身に震えが走り、足を踏み出すことが出来なくなる。

 もしやと思わなかったと言えば嘘になる。

 眼下に見えた色合いに、記憶を刺激されなかったかと言われれば否定できない。


「アンジェラ? 疲れましたか?」

 実際にふらついてはいなかったはずだが、支えるように手を取ってくれたコンラッドに思わず縋り付きたくなった。頭の奥が揺れる。

「気持ち、悪い……」

 耐え切れず呻くとすぐに木の陰で背中をさすってくれた。

 ずっと名前を呼び励ましてくれるコンラッドの声が遠い。遠くて懐かしくて、よけいに混乱が深まっていく。渦巻く記憶が絡み合って、どれが誰のものか分からなくなる。

(助けて。誰か)


「遠慮せずに吐いてしまいなさい」

 えずくだけで苦しむアンジェラの口に、コンラッドが指を入れて強制的に吐かせる。何度も吐き続けて落ち着くと、ぐったりするアンジェラを抱き上げたコンラッドは少し離れたところに座り、アンジェラを膝に乗せたまま口を漱がせ、水を飲ませてくれた。それはとても献身的で、そしてあまりにも親密で戸惑うものの、あらがう力もなく彼の肩に頭を預けて目をつむる。

 無言のまま髪を撫でてくれる手が優しくて涙がこぼれた。

 どうしてこんな風に優しくしてくれるのか全く分からない。振り払わなければと思うのに、どうしても動けない。


(やっぱりわたくしは、土下座をしなければならないわ……)

 娘の雇い主は素晴らしい人だと思うけれど、それだけではない気がする。昔の知り合いだから――? 覚えていてくれていたことさえ不思議なくらいなのに。


 離れようと力なく肩を押したものの、逆に抱きしめられた。

「頼む。もう逃げないでください。もう嫌なんだ」

 震える声は誰のことを言っているのだろう?

 あまりにも頼りなくて悲しそうで、思わず抱き寄せてしまいたくなる。すでに命綱であるかのように、きつく苦しいほど抱きしめられているのに。

 コンラッドも何か傷ついているのだろうか……。


 先ほど冗談だと言ったメロディの顔が浮かぶ。

 あれはきっと真実だと、少なくともあの子の耳にそう思わせるよう吹き込んだ誰かがいるのは確実だと思った。

 二人を傷つけたのは誰なのだろう。


(でも少なくとも今は――。遭わなくてもいい事態に遭わせたのはわたくしのせいだ)


 この世界はかつてアンジェラが違う人生を歩んでいた世界――森の王国シェダイで間違いないのだから。

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