第14話 コンラッド⑤
「エドガー、ちょっと手伝って」
コンラッドはアンジェラの声に、白昼夢からさめたようにハッとする。
見ればアンジェラは飛竜の鱗を砕きたいらしく、十字弓を出したところだ。
エドガーを少し離れたところに立たせると、鱗を軽く投げさせる。それに弓を撃つと、放たれた矢は的に当たった瞬間消え、的であった鱗はきれいに四分割に割れた。
(スミレ)
心の中で彼女の名を呼ぶ。
代理の家庭教師に来たのがスミレだと確信したのは、彼女が弓を召還した時だ。懐かしくて心が震えた。あの独特な弓を、あの美しい矢を、見間違えるはずがない。
シドニーもコンラッドもすぐ援護できる体勢ではいたが、彼女の腕は相変わらずだった。
◆
ヒィズルにいた最後の年、コンラッドはへまをした。
山奥で崖から落ちたのだ。
幸い怪我はかすり傷程度で済んでいたが、毒草で二の腕を切り、あっという間に高熱が出て動けなくなった。雨が降り体温が奪われるが動くことが出来ない。
そんなコンラッドを見つけてくれたのがスミレだった。
彼女はコンラッドを支え、途中で見つけた洞窟に避難させ、火をおこし、手当てをしてくれる。
「朝まではここで過ごしましょう。頑張れるわね?」
「ああ。すまない……」
吐息のような返事に微笑むスミレは、火の光に照らされてとても美しかった。
濡れた服を脱がされ体を拭かれた時も、ただぼんやりして為すがままだった。毒のせいで意識が曖昧だったのだ。
背中を支えられ、水筒から水を飲ませてもらう。続いて彼女もそれに口を付けたのを見て、コンラッドの中で何かがはじけ飛んだ。
「キリ達は、貴女の子ではないそうだな」
つっけんどんな口調になっていたものの、おしゃべりに付き合ってやろうと思ったのか、スミレは「そうですよ」と軽く答える。
「なぜ一人で育てようと思った? 貴女なら子供ともども面倒をみてやろうって男が山ほどいただろう」
「あら。それは過大評価ですね」
少女のようにクスクス笑われるが、コンラッドの目に真剣な色を認め小さく微笑んだ。
「自分の面倒くらい、自分でみられますから。子どもたちもいい子に育っているでしょう?」
「ああ。それは間違いない」
彼自身がキリとは十歳しか離れていないせいか、時にライバル心をむきだされたり、友達みたいに扱われることがある。ナズナは明るく快活だ。二人とも年齢より大人びているのはつらい経験のせいだろうけれど、それを表に見せたり同情を引いたりするようなことは全くなかった。
「スミレは、どうして一人で生きようとする? どうしてそんなに頑張れる?」
彼女がいずれ一人になろうとしていることは薄々感じていた。
この人も消えるのかと恐怖さえ感じた。だから
「私がキリとナズナの父親になりたいと言ったら、貴女はどうする?」
あの子たちもこの
「狼さん。女って生き物はね、キラキラ光る思い出が一つあれば、けっこう強く生きられるものなんですよ」
晴れやかに笑うスミレにやんわりと突き放されたことを感じ、胸が切り裂かれたように痛んだ。その思い出の相手に気が狂いそうなほど嫉妬した。
熱で浮かされていたから、理性が薄れていた。
そのまま、ただ本能の赴くままに彼女を抱いたのは夢だったのだろうか――。
意識が戻った時、コンラッドは自宅の寝室にいた。
様子を見に来たヤマブキが、「三日も意識がなかったんですよ」とほっとしたように教えてくれる。
「スミレは……」
助けに来てくれたのは、あの洞窟でのことは、すべて夢だったのだろうか。
「スミレは貴方を連れ帰った後、
「なにっ!」
「なんでも、スミレたちを勘当していたご当主であるおじいさんが危篤だそうで、一刻の猶予もなかったんです。貴方のことをとても気にしてらっしゃいましたよ。何しろ死んだようにぐったりしてましたからね」
「
「さあ。慌ただしく出ていきましたし、たぶん誰も聞いたことがないと思います。ヒィズルの北か南かもさっぱり。落ち着いたら便りでもくれるといいんですけど」
しかしその後、コンラッドがヒィズルにいる間にスミレの消息を聞くことはないまま、自分も国に帰ることになった。
二十八歳でワケアリの女性との縁談(だがほぼ決定)が来て、そのまま結婚した。
もう、彼女には会えないと思っていた。
◆
そして今。
思いもかけない事故で異世界に飛ばされ、スミレ、いや、アンジェラ先生が助けたのはヴィクトリアの息子だ。自信に満ちた強気な目が母親によく似ている。
しかも幻視の魔法を解いたアンジェラ先生の姿は、あの頃のスミレであり、同時にコンラッドの初恋の人であるアンジェラだった。二人が同じ人物だったなんて、誰が想像できただろう。
そうなると、娘の家庭教師のナタリーはナズナなのか。
突然洪水のようになだれ込んできた情報に、コンラッドの感情が追い付かないでいた。
メロディに、きれいに割った鱗を加工する方法を教える彼女の姿をさりげなく見つめる。エドガーも誘われ、一緒に加工するのを見つめる姿にくらくらした。
これは懐かしさなのか、それともショックなのか。
そこにメイドのライラが相談があると耳打ちしてきた。
この館はあくまで娘のための別館であり、食料は茶葉や茶菓子程度しかない。何日ここで過ごすことになるか分からないが、これでは大人四人と子供二人の腹を満たすのは無理だということだ。
「じゃあ、飛竜の肉はこちらで食べてしまいましょう」
コンラッドたちの様子に気づいたらしいアンジェラがそう提案する。
「お腹の肉は柔らかいし、煮込んでシチューにするといいわ。もも肉ならステーキにしてもいいし」
次々指示し、保冷庫が使えることを確認すると、補助に使えると言う鱗の一枚に魔力を込めて保冷効果が続くよう施す。
くるくると立ち働いたあとは、街で買い物や情報収集もしたいなどと言いだした。
「じゃあ俺が」
「エドガーはまだここにいたほうがいいわ。こういう時は大人のほうが無難よ」
そう言ってアンジェラはエドガーからこの世界の服装の特徴を聞き出し、軽々と幻視の魔法で服を変えてしまった。さっき倒れたとは思えない、呆れるほどの魔力量だ。
そのまま出かけようとするので慌てて追いかける。
「アンジェラ。私も行きます」
「旦那様は、ここでみんなを守って下さらないと」
「それならシドニーがいるから大丈夫ですよ。彼は私と同じくらい、もしかしたらそれ以上に強いですからね」
何せ一緒に鍛錬を積んだ兄弟子だ。
執事たちに後のことを頼むと、アンジェラは「まあ、それでしたら」と了承し、メロディに何か話す。そのあとエドガーにも頷きかけると、
「では参りましょう」
と、コンラッドに微笑んだ。
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