第16話 市場

 街に入る前に少しだけ服装を変えた。

 館に戻ることを提案されたが、アンジェラの不調は精神的な問題であって、身体の問題ではない。

「大丈夫です。ご面倒をおかけして、あの、本当にごめんなさい」

 汚れなかったかの問いにコンラッドは問題ないといい、なぜか「昔は何度か介抱されましたし」と不思議なことを言った。誰かから受けた恩を、ほかの誰かに返していると言ったところか。



 街にはすんなり入れ、そのまま人の流れを見て市場に入る。

 気配を消しながら噂話を聞き、人々の様子を観察した。

 魔王の噂はほとんどなかったけれど、黒い飛竜の噂は多い。エドガーを見たらしき人たちが、彼を心配している声にアンジェラは微笑んだ。


 薬屋に寄り、飛竜の爪を二本換金する。

 古くからありそうな店だったのでもしやと思ったのだが、無事こちらのお金を得ることが出来た。薬屋は薬の材料になるもの以外にも引き取ってくれることがある。いわゆる質屋のような感じの存在だ。

 相場やお金のデザインは多少変わっているけれど、大きな変化はないかもしれない。

 日本で言えば、戦国時代の終わりから江戸時代にタイムスリップしたくらいの感覚だろうか? いや、江戸中期から後期程度かも。情報伝達手段が未発達らしきことを考えると、田舎から出てきたということである程度誤魔化せそうだと思いホッとした。

(文化的な変化が江戸から昭和だったら、絶対大変だった気がするわ)


「お客さん、旅の人かい。聖女の弓とは懐かしいものを持ってるね。うちのじいさんも使ってたよ」

 店主にそう声をかけられ、十字弓に手を伸ばす。

「聖女の弓ってこれのこと?」

「そうそう。田舎じゃ呼び方が違うのかい? 昔魔王討伐に出てお亡くなりになった聖女様が使っていた弓のことを、ここらではそう呼んでるのさ」

「そうなのね。使ってない納屋から出てきたのを手直ししたものだから知らなかったわ。じゃあ引き取りありがとう。また何か持ってくるわね」

「どうぞご贔屓に」



 アンジェラが薬屋から出ると、少し先の方でコンラッドが数人の女性に囲まれているのが見えた。


「ねえお兄さん、うちのお店に来ない? 安くするわよ」

 そう言って腕を絡め、豊かな胸を押し付けている女性たちはまだ二十代くらいだろうか。金髪、赤毛、明るい茶髪の美人たちは、それぞれ武器防具の店だったり、装飾品の店だったり、はたまた飲食店の女の子らしい。

 いったい何があった?


 きょとんとしていると、近くの露店の青年が「しょうがねえな」と苦笑している。そちらを見てみると「あいつら、いい男を見つけるといつもそうなんだよ。幼馴染でライバルってのかね? 自分の魅力でいかに客を呼べるかを競ってるんだ」と教えてくれる。いわゆる賭け事に近いものらしく、負けたほうは買った方にいくばかの金銭を払うとか。

 バカバカしくはあるが、確かに魅力的な女性たちだ。市の活性にも一役買っているのかもしれない。

 コンラッドは騒ぎを起こしたくないのか、黙って離れようと何度も試みるも失敗している。アンジェラに気づいたのか、ハッと身をこわばらせる様子に思わず吹き出しそうになった。


(どうしましょ。あんな可愛い顔をするなんて意外すぎるわ)


 アンジェラは彼にゆったり歩いて近づき、女の子の一人の手をグイッと引きはがす。そのままコンラッドの腕に抱き着き、「お待たせ」と満面の笑みで彼を見上げた。その後女の子たちを見回し「うちの亭主に何の用かしら?」と、心底不思議そうな顔を見せた。


「え、あの。旅の人みたいだから、うちの品を安くするから来ないかって、声をかけてたのよ」

 無害そうな笑顔に毒気を抜かれたように、女の一人がそう答えた。

「あら、なんのお店? これから食料品と衣料品を見に行こうと思ってるんだけど」

 アンジェラの、「いい子ね」と言わんばかりの柔らかく甘い笑顔に、三人はそれぞれ「いい店」を教えてくれた。まるで、褒めてほしくて尻尾を懸命に振る子犬のようだ。

「ありがとう、お嬢さんたち」

 そう言って腕を組んだまま踵を返せば、彼女のうちの一人がハッとしたように「お姉さん! 旦那、いい男ね!」と大きな声をかけてくる。思わず吹き出しそうになりつつも振り返ってにっこり笑って見せた。

「やっと捕まえたのよ。いいでしょ?」

 そう言ってみせれば、深く頷く女たちの姿が微笑ましい。なんとも可愛い娘たちだ。


 コンラッドも金縛りが解けたのか、

「私はずっと貴女一筋ですよ」

 と頬にキスをしてくる。

(意外とノリのいい人だったのね)

 背中に華やいだ悲鳴を聞きながら、教えてもらった食品の店にまず向かった。



「旦那様は目立ってしまうみたいですね」

 人気のないところで立ち止まると、アンジェラはホッと息をついた。小さな子供でもあるまいし、おちおち目も離せないとは。

「そうですか?」

 人の気も知らないで、どこか機嫌がよさそうなコンラッドは目をきらめかせてアンジェラを見下ろす。あまり意識はしてなかったけれど、やっぱり傍から見ると彼はフェロモンがすごいのだろうか?

 一歩離れて上から下まで見て、アンジェラは今度こそ盛大にため息をついた。

「四十とはいえ、これだけいい男なんですもの。目立つに決まってますわ。失敗した、全然考えてなかった」

 後半は早口に小声だったせいか、彼は「いい男」の部分に面白そうな顔をする。

「貴女もそう思ってくれるんですか?」

「失礼ですね。わたくしだって人並みの審美眼くらい持ち合わせてますから」

「……そう、ですか」

 なぜがっかりしてるんですか。


「顔の印象も少し変えてみますか?」

 そう提案すると、コンラッドは「少しなら自分でできます」と言って、さっそく詠唱をする。なぜかこちらを窺うような目に戸惑ったものの、変えられた顔に腰が抜けそうになった。

「黒い髪も目立ちますから、こっちのほうがいいでしょう?」

 イタズラを成功させたような彼の髪は金色に染まっている。綺麗に撫でつけていた髪をクシャっと崩せば野性的に変えられた目にかかり、先ほどまでとは違った色気を漂わせていた。

 本来ならば(逆効果です)と言いたいところだが、アンジェラは呆然としてしばらく瞬きはおろか呼吸も忘れた。

 心の準備が追い付かず、知らんぷりもできないアンジェラを見て、コンラッドは満足そうにうなずいた。


「スミレ、久しぶりだね」

「暁の、狼……?」

 最後に別れてから十五年は経っている。でもこの顔、この声、そして間違いなく自分のもう一つの名前を呼んだ。

「いつから気付いてらっしゃったんですか」

 じりっと後退するアンジェラの腕をコンラッドが掴む。

「今朝、門扉をくぐった貴女を見て、スミレだと思いました。幻視の魔法を解いた姿は、あの日のままの貴女だった。日焼けはしてませんでしたけどね。しかもそれがアンジェラ、貴女だったことに私も驚いているんですよ」

 コンラッドの手が頬に添えられ、目をのぞき込まれる。彼の目の奥に見えるのは混乱? それとも――。


「聞きたいことは山のようにある」

 切羽詰まったような目の色は、月夜のような深い青。

「アンジェラ、いや、スミレ。――あの時子供は出来なかった?」

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