エピローグ

 この世界は騒がしすぎる。

 沢山の価値観、沢山の愛とエゴ。その中で人は自分の正しさを貫くために、自分とは違うモノに耳を塞ぎ、目を閉ざし、知らないふりをしてを生きていかなくてはならない。


 かつて東雲來華は父にそう教わった。


 それが国一番の嫌われ者でいても、堂々としていられる父の強さの根底にある物だと理解していた。しかし、賛同はしていなかった。なぜならそれは父が立派で、清廉潔白で、力強くて、いつも正しい答えを導き出せるからこそ、しても良い特別な考え方だと分かっていたし、その考え方のせいで嫌われ者で在り続けているという事も理解していたからだ。


 学校を出て行く内山春樹の小さい背中を、相談室の窓から眺めている來華の頭に、その父の言葉がよぎった。


「彼の歪んだ感情は、現実から耳を塞ぎ、目を閉ざし続けた末路のようなものね」


 相談室には來華だけではなく冴島に神原、そしてその來華の呟きに答える雪輝もいた。

「かもな。でもそれは誰しもが陥る可能性のあることだろ。自分の中の罪悪感と向き合って生きていくのはとても辛い。……正当化できる、被害者になれるって可能性があれば、誰だってそっちに転ぶさ」

「……人って弱いわね」

 お前は強すぎるんだよと、雪輝は心の中で思ったが口に出すのはやめた。するといつもの席に座っている冴島が大きく伸びをして、気持ちよさそうに言った。

「とにかく、色々上手くいって良かったわ」

「僕もそうだな、画像を流すタイミングがピッタリだったようで安心した」

「いやー本当に助かりました」

 神原は向かいの校舎から雪輝たちの教室を眺め、良さそうなタイミングを見計らって画像を送信していた。声までは聞こえていなかったので、上手くいったからどうか少し不安だったようだ。


 するとカンカンと、鉄の階段を上る足音が聞こえてきた。この部屋は誰かが上ってくるとすぐに分かる。

 扉が開かれ、美心が顔を出した。服はもういつもの制服に戻っており、手に何やら袋をぶら下げて「……お邪魔して、いいですか?」と控えめに尋ねた。


「小牧原さん、どうかしたの? ……まさかクラスで何か問題が?」

 來華が顔を青くして尋ねる。すると美心は首を横にぶんぶんと振った。

「ううん違うの! その、クラスでは……みんな優しくしてくれた。友達って言えなくていいから、学校にいる時だけでも仲良くしてって……みんな言ってくれたんだ」

 少し照れ臭そうに、それでも嬉しそうに彼女は答える。それを聞いて來華も安心したのか、表情が柔らかくなった。


「……でも、酷いよテルキチ!! どうして言ってくれなかったの! はじめっから教えてくれてたら、私みんなの前であんなに泣かなくて済んだのに! すっごく恥ずかしかったんだからね!」

 部屋に入った美心はソファーに座る雪輝に近づき、後ろから数回その頭を叩いた。

「いてっ。痛いって」

「私結構本気で怒ってるよ?」

「……それに関してはマジでゴメン。でも美心がああいう反応をしてくれないと、みんなの心は動かないって思ったんだ。それに、最初から全部を話してたら、またみんなを騙しているみたいで美心も気が進まなかっただろ?」

 雪輝がそう言うと、美心は少し黙る。そしてその隣に腰かけてぼそっと口を開いた。


「……やっぱり、ホントにテルキチが仕組んでた事だったんだね」


「美心……その、嫌だったか?」

 彼女はまた首を横に振った。

「……結果には、満足してる。もし他の形でみんなに信仰の事がバレたら、多分その時は中学と同じ様になっていたと思うし……バレるのもやっぱり時間の問題だったから」

 教室でのクラスメイトの話。それを聞いていると、やはり美心の行動はかなり怪しまれていた事が分かった。

「それに、私も限界だった。みんなを騙し続けることと、みんなとの関係と家族を天秤にかける事に疲れちゃってた。……でもテルキチのおかげで、今信じられないくらいの希望を持ててる。偽らずにみんなと過ごせるこの先の二年間が、とても楽しみなの」

 美心は小さく笑った。その後何かを思い出したようにハッと我に返り、手に持っていた袋を机の上に置いた。


「これ、屋台をやっているクラスで買ってきたの。みんなお昼まだだったら一緒に食べよ」

 袋からは焼きそば、フランクフルト、お好み焼き、フライドポテト等々、明らかに数人分はある量の食料が出てきた。


「いいのか?」

「もちろん! ちょっとしたお礼みたいなもの。どうせさっき騒動を作るために、テルキチ達色々無茶な事してたんでしょ? ……ん? ちょっと待って、まさか文化祭の延期って……」

「すごい量ね食べきれるかしら」

「あぁ! 來華ちゃんが話を逸らした! あっ、先輩や先生も食べてください」

 呼ばれた二人は顔を見合わせて一度笑い、美心達の元に集まった。


「ねぇ、小牧原さん。差し支えなければ、漆野さんも呼んでいいかしら?」

「え? 漆野さんってテルキチと一緒に掃除をしている漆野さん?」

「えぇそうよ。実は今回の件で、色々手伝って貰てたから」

「……そうだったんだ。私、知らない間に色んな人に支えてもらってたんだね」

 美心がしみじみと言って破顔する。

「もちろん呼んで欲しい。私からもお礼を言いたいし」

「……分かったわ」


 來華が漆野に電話を入れると、彼女はすぐに相談室に現れた。待っている間、美心は食事の前の食儀を行う。雪輝たちは美心の食儀が終わるまで食事には手を付けず、ただ彼女のその美しい動作を見守っていた。


 小牧原美心はいただきますが言えない。ただそれは、一緒に食事が出来ないというわけではない。もちろん誰かの文化や信仰に、全員が合わせる必要もないのだ。ただただお互いの日常を尊重しあい、それが交わるだけの事だった。しかしそんな簡単な事でも時に人は見失う。他人の生き方を簡単に否定する。これからも美心の前にはそういう人たちが現れるだろう。もしかしたらクラスの中にももういるのかもしれない。でも、冴島が最初に作ろうとした、美心にとって安心できる場所がここに出来上がっていた。それはとても暖かく、友達よりも強い繋がりだった。



「そうだ美心。これ返しておくよ」

 そう言って雪輝はポケットからあの日預かった写真を取り出した。

「あぁそれ……」

 差し出された写真。美心は受け取ろうか一瞬迷ったが、ぐいっと彼の手を押し戻した。

「ん?」

「えっとね。その、今はまだ、テルキチに持ってて欲しい……」

「……今は、なのか?」

 美心がこくんと頷く。

「いつか……本当にみんなの事を『友達』って呼べるようになったら……その写真はその時に受け取りたい……」

「でもお前それって……」

 心配そうに見つめる雪輝。しかし美心の顔には不安の色は無かった。

「そんな日が来るかは分からない。けどもし本当にそうなったら……というか、私がそうしたいって本気で願ったら。その時はまた、みんなに相談するかもだけど……いい?」

 美心は相談室の面々を見つめた。漆野に神原、來華に雪輝。そして冴島という順番に視線は流れ、そのまま彼女に向かって照れ臭そうに笑みを浮かべた。

 いつもの様にハの字に曲がった眉が、困っているようにも見える美心の照れ笑い。それを見て冴島もつられた様に笑う。そして腕を組み、無駄に偉そうな態度をとってこう言い放った。


「何言ってんの? ここは生徒相談室よ」




 小牧原美心はいただきますが言えない 完


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