小牧原美心はいただきますが言えない 30


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 今週の初め。相談室に集まり、雪輝が自分の考えを全員に話した月曜日の放課後。四人が学校の地図を覗き込んだ時に雪輝がこう言った。


「まずはハルキと美心を会わせる。それも二人っきりで」


「まぁそうね。人の行きかう中で小牧原さんと彼を合わせたら、その場で彼女の秘密を叫ぶかもしれないし。でもどこで会わせる? 文化祭中は多分どこもかしこもひと気があるわよ」

 來華の発言に冴島が反応した。

「あと残念ながらここを使うのは微妙かもね。忘れがちだけどここは部活塔。毎年文化祭の時は下の運動部の部室が、それぞれの部の出し物の控室になるから人通りは多いのよ」

「大丈夫です。実は場所はもう考えてる」

 雪輝は地図を指さした。


「情報棟だ」


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「小牧原美心ってやつのクラスに案内してくれ」


 ハルキがそう言った時、漆野はほっと胸をなでおろす気分だった。上手くいくか不安だった部分が、とりあえず成功しそうだからだ。数日前、情報棟で雪輝から聞かされた『頼み』を漆野は思い出す。


『内山春樹くんを私が情報棟にですか?』

『あぁ。巻き込んですまないと思ってるが、オレと來華じゃ多分警戒されるんだ。幸いアイツは美心のクラスを知らないから、どこかで誰かにそれを聞くはずだ。その前に怪しまれずに話しかけられるのは、面識がある漆野と琴弾先輩だけなんだ』

『……確かに、そうですね』

『來華に聞いたところによると、琴弾先輩には美心の事伝えてないんだろ? となると、漆野に手伝ってもらうのが一番なんだよ……』

 雪輝は少し不安そうにしていた。その顔を見た漆野は思わず彼の手を取った。それは無意識だった。手が触れた時に自分がした行為を認識し、一瞬動きが停止したが、すぐに思考も再開して、漆野は掴んだ手を胸元の高さにまで持ち上げる。

『私、やります。小牧原さんの事も心配でしたし……それに、吉祥寺君の頼みなら……私、断りませんよ』


 手まで勝手に握って、あんな事まで言ってしまったんだ。私が失敗するわけにはいかない。漆野はそういうプレッシャーを少し感じていた。


「小牧原さんですか? はい、委員会でお話したことあるので、クラスとかも分かりますよ? 今なら多分クラス出し物をしてると思いますけど」

「そこに案内してくれ」

「わ、わかりました」

 そう言って漆野は歩き始める。本来美心の教室に向かうには、今漆野が出てきた校舎の中に入る必要があるのだが、彼女が向かったのは中庭の方だった。ハルキは隣にピタリとついて歩く。歩いている最中、二人の間に会話は無かった。漆野に緊張が芽生え始めたこともあったが、それ以上にハルキの冷たい目を見て、喋りかける勇気も出なかったからだ。

 中庭に入ると漆野の耳につけたままのイヤホンからタケルの声が聞こえてきた。漆野は驚いて一瞬気が遠のくのを感じたが、寸前の所で耐える。しかしその際に少しふらつき、ハルキが不思議そうにその様子を見た。

「ご、ごめんなさい。この靴に履き慣れなくて」

 その自然な誤魔化しにハルキは興味を無くしたようにまた前を向いて歩き始める。漆野がほっとした時、またタケルの声が聞こえてきた。


「テルから伝言だ。中に入れて少し時間を稼いでくれってよ。聞こえてたら頬を掻いてくれ」

 指示通り彼女は右手で頬を掻く仕草をする。屋上にいるタケルがそれを確認した。

「よし。次は到着したら教えてくれ」


 中庭から数十秒歩いて情報棟の前にたどり着く。もちろん中に人はいないので、暗く静まり返っている。これでは流石に怪しまれてしまうと漆野も思ったが、引くわけにはいかないと、演技をつづけた。


「着きました」


 その言葉は、目の前のハルキだけではなく、通話先のタケルにも向けていた。ハルキが言葉を発するよりも先にイヤホンからタケルの「了解」という声が聞こえ、その次に通話の終了を告げる音が聞こえてきた。


「本当にここなのか?」

 案の定ハルキも怪しんでいる様子だった。

「はい。ここの最上階でお化け屋敷をやってるみたいです」

 と、漆野が言ったタイミングで中から「キャー!」という叫び声が聞こえてきた。続けて笑い声も。少なくとも数人分の声だ。

 漆野はその声を確認して扉を開く。入り口には『お化け屋敷』と書かれた簡易的な看板が立てられている。

「上に行きましょ」

「後は一人でいい」

 そう言ってハルキは一人で情報棟に入り、階段を上って行った。漆野も慌ててその後ろをついていく。

「あっ、小牧原さん多分中にいるので用があるなら私も行った方が」

「いいって言ってるだろ!」

 階段の途中で振り返ってハルキが怒鳴る。その声に漆野は恐怖を感じ、その場で動けなくなった。

 前を向き直ったハルキはずんずんと進んで行き、最上階の元電算機室にたどり着く。階段を上ってすぐの扉。その向こうからは絶え間なく悲鳴や笑い声が聞こえてきた。扉に手をかけて勢いよく開く。しかしその先に広がっていたのは、埃っぽいだけのだだっ広い空間だった。


「……は?」


 誰もいない空間を前にしてハルキの目が見開かれる。誰もいないはずなのに声だけが聞こえる。ハルキは声のする方を探すと、そこには『着信中』と表示された一台のスマートフォンがあった。悲鳴も笑い声も、全てそのスマホから流れてきている。声は全て着信音に設定されていた音源だったのだ。


「ハメやがった……!」


 ハルキはそのスマホを手に取り、着信に出た。

「テメェ誰だ! あの女の方か!?」

 ハルキは電話先に向かって怒鳴る。しかしその通話相手は來華でも雪輝でもない。音声を流すために電話をかけていたのはタケルだった。

「うおっ、びっくりした」

 まさか通話に出られるとは思っていなかったタケルの素の驚きがスマホから流れる。するとその時、ハルキは背後に気配を感じた。そして振り返る前に、その気配が喋りかけてくる。


「その通話先の相手は無関係だ。何も知らないから当たらないでやってくれ」


 その声に振り返る。背後にいたのは雪輝だった。

「その……悪いな、せっかく来てもらったのに回りくどいことして……」

 落ち着いた声で謝る雪輝。その声に少し溜飲が下がったのか、ハルキも声を荒げることなく、スマホの通話を切って元あった場所に置いた。

「教室に行かせたら、すぐにでも美心の秘密をバラしそうだったろ? だからこんな事させてもらった」

「それで? こんなトコに誘い込んでどうするつもりだ?」

「話がしたいって……美心が」

「!?」

 雪輝が扉の外に出る。すると代わりに美心が入ってきた。例の聖母姿のまま、少し緊張した表情で視線は斜め下。口は真一文字に結ばれていた。


「……美心ちゃん」


 美心を見て、ハルキが無意識に呟いた。

 雪輝はゆっくり扉を閉める。その際、美心が振り返る事はなかった。



 部屋の外に出た雪輝は階段を下っていく。するとその途中に來華に支えられた漆野の姿を見つけた。力が抜けて、立っているのがやっとという様相だった。

「大丈夫か、漆野?」

「う、うん。ちょっとビックリして力抜けちゃった。ごめんね、東雲さん」

「こちらこそ、巻き込んでしまってごめんなさい」

「ううん。私もほっとけないもん。それに、あの日冴島先生に相談室に連れて来られれた日から、私、自分が変わっていったのを感じてるんだ。それは吉祥寺君と、あと多分東雲さんや先生のおかげでもあるから……役に立てたなら、私も嬉しいの」

「そうか」

 雪輝はそう呟いて微笑んだ。すると彼のスマホが鳴る。取り出すと相手はタケルだった。

「よぉお疲れ。上手くいったよ、ありがとな」

「なら良かったが……説明は……まぁいい。盗み見になっちまったが、東雲も関わってるんだろ? だったら、他にもやることがあったら何でも言え。オレはアイツに償わねえといけねぇからよ」

 スマホから流れるそのその声が來華の耳にまで届いているのを確認した雪輝は、耳から離して「だとさ」と來華に向かって言った。來華は少し考えた後、そのスマホに向かって「使えるなら使わせてもらうわ」と言い放った。その言い方に雪輝は笑う。

「聞こえたか?」

「……聞こえたよ」

「まぁとりあえず今は終わりだ。本当にありがとな。クラスの方手伝ってやってくれ」

「はいよ」


 そうして通話は切れた。三人は情報棟の一階に到着して、扉の前で佇む。

「じゃあ漆野もありがとな。戻ってもらって大丈夫だぞ」

「その、二人はどうするんですか?」

「私たちは上の二人を待つわ」

「じゃあ私も」

「漆野さん……その衣装、せっかく似合ってるのだから、あなたにはあなたのクラスですべき事をして欲しい」

「でも……」

 漆野は少し申し訳なさそうに俯く。その頭に雪輝がぽんと手を置いた。

「言ってたろ? クラスのみんなで楽しくわいわいしたいって。出来そうなんじゃないのか? 今の漆野なら」

 ぎゅっと裾を握るだけで何も言わなかったが、それが肯定である事は雪輝にも伝わった。

「だったら目的を果たしてくれ。人の輪に入りたいなら、タイミングだけは絶対に逃しちゃ駄目だ。これはコミュ強なオレからのアドバイス」

 そう言って笑う。すると隣で來華が「自分で言うかしらそれ」と小さく突っ込みを入れた。それが漆野にも聞こえていて、彼女はふいをつかれた様に小さく笑った。

「……うん。ありがとう、吉祥寺君」

 雪輝は彼女の頭から手を離す。漆野は二人の顔に一度ずつ視線を送って微笑み、最後に「何かあったらまた連絡して」と言って情報棟から駆け足で出て行った。残った二人はその背中を見守っていた。が、数秒も経たないうちに、來華の蹴りが雪輝の脛に直撃した。

「いたっ! 何で!?」

 腰を折り、蹴られた脛をさする。來華はそっぽを向いて腕を組んだ。

「女の子の頭を気易く撫でてて気持ち悪かったからよ」

「いやあれは……雰囲気的に許せよ!」

「全く……あなた、コミュ強とか言ってたけどただのヤリチンなんじゃ」

「お嬢様がお下品な言葉を使うな」

「はいはい」

 雑に返事をした來華が床に腰を下ろして壁にもたれる。蹴られた脛を屈んでさすっていた雪輝も、彼女の隣にそのまま座った。二人で階段を見上げる。壁を隔てた外から聞こえる学園の騒がしさを、二人はどこか心地良く感じていた。

 そんな中で雪輝が口を開く。


「吉祥寺雪輝は優しい人間? それとも知らないふりが苦手なだけ? だったか」


 ここに初めて来た時、來華が雪輝に言った言葉だ。

「何? どうしたの急に」

「いや、なんとなく思い出してさ」

「やめてよ……」

 來華は立てた膝に赤くなった顔を埋めた。雪輝はそれをみて笑う。

「ははっ、自分で恥ずかしがってんじねぇよ。……実はオレも言われてから考えることがあるんだ。美心の件もさ、勝手に首を突っ込んで、話をややこしくしてしまってるんじゃないかとかさ……」

「まぁそうかもしれないわね」

 ときっぱり言われてしまう。雪輝も自分で言っておきながら、その突き放され具合にはガクッと力が抜けた。

「でも、私は……いい方向に進めた。と、思う。吉祥寺君が私のために大宮君達を殴ってから……あの日から私は疲れることが増えたわ。悪い意味でも、いい意味でも。……そしてそれが楽しいとも……思えてる」

「いや、だからあれは別にお前のためにってわけじゃ――」

 雪輝が言い切る前に、彼の膝の上に來華の手が添えられた。驚いて彼女の顔を見ると、その顔は優しくて、そしてゆっくりと首が横に揺れていた。


「そう、思っていたいの」


 その言葉に雪輝も顔を赤らめる。その後はお互いに言葉を交わすことは無く、外の喧騒に耳を傾けながら、じっと二人で階段の上を眺めていた。





 電算機室の中で美心とハルキが対峙する。お互いに目を合わせることなく、ただ時間だけが流れたが、しばらくして痺れを切らしたように、美心の方から沈黙が破られた。


「……その、來華ちゃんが会いに行ってくれたんだってね」

 美心がちらっと顔を上げて言う。無理につくられた笑顔が少し強張っている。

「あと、あの男もな」

「そっか、テルキチもいたんだ」

「友達いたんだな。作れないんじゃなかったのか」

「そういう訳じゃないんだ。あの二人はその、私のこと知ってくれてるだけで……友達にはなてれてない」

「ふんっ」

 と、ハルキは馬鹿にするような、少しほっとしたかのような笑みを零す。

「じゃあアイツらは今勧誘中ってわけか。あの時のオレみたいに」

「そんなんじゃない……」

「違わないだろ!」

 ハルキが叫んで、そこで初めて二人の目が合う。

「……オレは……くそっ。オレはあの時、美心ちゃんにとって特別だって思ってた。でも違った。ただのカモだった……」

「違うの……違うのに……」

「否定するな!」

 再び叫ぶ。美心は一瞬ひるんだように後ずさりするが、それでも彼から視線を外さず、悲しそうな目で首を横に振った。

「特別だった……私のとってもハルキ君は――」

「もういい……。オレがここに何しに来たか聞いたか?」

 美心は黙って頷く。

「……認めるよ。あの頃オレは美心ちゃんのことが好きだった。そして、美心ちゃんにとってもオレは時別な存在になってると思ってた……でも裏切られた。中学に入って他の人も勧誘しているって聞いて全て怒りに変わったよ」

 ハルキがそう言うと、美心の目が驚きに見開かれる。

「……え、なにそれ」

「今更とぼけるなよ……! お前は周りの人間を勧誘できそうなカモとしか見ていないんだ。だからオレはこの学校のお前の周りの人達を救う。オレみたいなヤツを作らないようにしてやる!」

 ハルキは半分叫びながら扉の方へ向かって歩きだした。慌てて美心も一歩前に出る。

「違うの、聞いて! 私、ハルキ君に謝らないとってずっと思ってた。会館での事……アレは私の裏切りだよね。ごめん……でも私、中学で勧誘なんて――」

「どけ」

 ハルキが冷たくそう言い放った。彼の前に塞がる様にして立っていた美心は、彼の目に向けられていた視線を足元にまで落とし、横にずれて扉への道を作る。その道をハルキはゆっくりと歩きだした。

「会館での出来事の後、ハルキ君から逃げちゃったことを、私ずっと後悔してた。今でも後悔してる。私が伝えたいのは、それだけ……」

 美心が俯きながらそう呟くように言う。扉に向かって歩くハルキが、その言葉に一度足を止め、何かを言いかけるも、その口に出かかった言葉を払い飛ばすように首を振り、扉を開けて出て行った。


 ハルキは階段を降りると、その先で雪輝たちにあった。

「意外と短かったな」

 雪輝がそう話しかけるも、ハルキは無視した。しかしその次の「美心のクラスは三組だよ」という言葉には反応を示す。

「なんで教える?」

「どうせ聞いて回ればすぐに分かる事だしな。決めてたんだ。美心と話し合って、それでもお前が美心の事をバラすっていうなら、オレ達は介入しないって」

「なぜだ?」

 今度は來華が答えた。

「小牧原さんの願いよ。彼女はあなたに罪悪感を抱いている。あなたの好きなようにしてもらって、それであなたが少しでも楽になるのなら、そうしてやって欲しいって言ってたから」

「……なんだよそれ」

「これを聞いてもやるって言うなら、オレ達はもう口を挟まない」

 雪輝のその言葉を聞きながらも、ハルキは情報棟を出て行った。その目つきは、相変わらずの冷たさを含んでいる。


 ハルキが出て行ってすぐ、雪輝と來華は三階の電算機室に入った。中には床にぺたりと座り込む美心がいた。


「小牧原さん……」

 來華が駆け寄る。俯く美心だったが、彼女の声に顔を上げる。その表情は悲しげだったが、泣いているわけでは無かった。眉をハの字に曲げ、いつもの困ったような笑みを浮かべる。

「私の言葉……ハルキ君に伝わらなかった……」

「仕方ねぇんじゃね」

 雪輝が言う。

「盗み聞きだが、オレにはなんとなく分かった気がする。アイツも必死なんだろう。自分がしてきたことが間違っていないって思いたくて、美心への気持ちを、怒りで上書きするのに精一杯って感じ。ヒジョーに自分勝手な話だが、まぁあるあるだな」

 美心は黙った。雪輝の言っている事を少し理解したのだろう。

「……でもごめんね。せっかくテルキチ達も私の秘密を守るために頑張ってくれたのに、結局バレちゃうことになっちゃった……」

 再び下を向く美心。今度は目が薄っすらと水気を帯びていた。

「小牧原さんが望むなら、私たちは今からでも止めに行くわよ?」

 その提案には首を横に振る。

「私には……そんな資格ない」

「……そう」

 來華は呟いて一度雪輝を見た。二人は何か意思の疎通を行ったかのように頷き。そして二人で美心に手を差し伸べる。


「それじゃあいこっか、小牧原さん」

 差し出された二本の手に美心は不思議そうな顔をした。

「……え? 行くって?」


「美心のつくった繋がりの強さ。それを確認しにさ」


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