小牧原美心はいただきますが言えない 29

「おいテル。これ何の意味があるんだ」


 文化祭当日。校内は隅々にまで賑やかな装飾が施され、普段の無彩色な景色とは打って変わり、無秩序な色相と喧騒がごった返していた。しかしそんな中で、雪輝とタケルの立つここ屋上は、他とはまるで別世界のようにすら感じるほどいつも通りで、ただ小さく、タケルのもたれ掛かった金網の音だけが響いていた。

「めんどくせぇ……」

 初冬の冷たい風に身を縮こまらせながら、タケルが双眼鏡を覗いてぼやく。彼が見つめる先は校門だった。文化祭が開場してからまだ数分の今は、駐車場先にある受付から校門にかけて列が出来ていた。タケルはその人だかりを覗き込んでいる。

「お前文化祭興味なさそうだったろ。今度飯奢るからちょっと手伝ってくれよ」

「それは構わんのだが、この行為の意味を聞かせてくれつってんだ! なんでオレがこんなストーカーじみたことをさせられてる」

「理由は話せるようになったら後で話すよ」

 雪輝がそうぶっきらぼうに返すと、一度双眼鏡を目から離してあからさまに嫌そうな顔を向けた。しかしその先にあった雪輝の顔が意外にも真剣だったため、タケルはため息を吐き捨ててまた双眼鏡を顔にくっつける。

「……坊主頭のチャラそうなやつを見つけたら、その子に連絡すればいいんだな」

「あぁ頼む」


 雪輝がそう返事をしたタイミングで、片耳につけたワイヤレスのイヤホンから「吉祥寺君、聞こえるかしら」と彼を呼ぶ声が聞こえてきた。來華の声だ。雪輝は耳に手を当てて話し始める。

「おう、どうかしたか?」

「冴島先生に小牧原さんを呼び出してもらったわ。彼女の代わりには、あなたの予定通り笠原君に入ってもらってる」

「とりあえずは順調だな。オレも向かうよ」

 雪輝が歩き出すと、タケルが双眼鏡を覗いたまま彼の背中に声をかけた。

「何してんのか知らんが、困ったら言えよ」

 その声に雪輝は一度足を止めるも、別に振り返る事もなく、小さく「あぁ」とだけ答えて屋上を後にした。



「あの、用ってなんですか?」

 相談室に呼ばれた美心は、窓の外を見つめる冴島の横顔に少し不思議そうに尋ねる。クラスの出し物用の聖母の衣装は、生地が薄くて少し寒いのか、腕を抱くようにして体を擦った。入ってきた扉を閉めると、部屋の奥にあるストーブの匂いにつられるようにして、美心はソファーの方へと向かった。

「なんか、二人っきりで話すのも久しぶりね」

「え? まぁはい。確かに最近は、テルキチとかに色々助けてもらってたから」

「えーん小牧ちゃんを男にとられちゃったー」

「……そういうのじゃないって先生が一番分かってるじゃん」

「あーはっはは」

 わざとっぽく笑う冴島は振り返り、今度は窓にもたれ掛かって美心の服装を確認する。


「言ってたのその衣装なのね。可愛いじゃん」


「あぁこれ……あはは、ありがとうございます……でいいのかな?」

「いいと思うわよ。クラスで仲良くやれている証拠じゃない」

「……もしかして、私を呼んだのは、この衣装の件でですか?」

「そっ」

「……」

 冴島の話し方には終始、会話を軽くしようというニュアンスが、分かりやすい程込められていた。美心ももちろんそれに気付いており、この人がそういう話し方をする時は、決まって真剣だという事も理解してしまっている。

 だからこそ、美心は返事に詰まった。


「みんなずーと同じじゃいられない。小牧ちゃんも、ちょっと前だったら多分それは着なかった。違う? だから先生としてはちょっと心配」

 冴島のその言葉に、美心はどこか見透かされているような気分を味わった。心配をさせないようにと今からどれだけの言葉を並べようと、きっとこの人には私の気持ちが見透かされるのだろう。そう美心は思った。

「確かに、昔なら着なかったかもしれないね」

「それだけみんなとの繋がりが深くなったのよね」

「……そう……なのかも……」

 美心がそう呟きながら暗く沈んだように俯くと、冴島がその顔を覗き込む。

「何か言いたげなご様子で」

「……先生の言う通りだと、思う。……だから、ね」



「……もう無理なのかもって、思う」


 そう言うと美心は苦笑いを浮かべた。

 冴島は彼女のその言葉を聞いて、待っていたかのように微笑んだ。


「あはは……ついに言っちゃったって感じ。ずっと気づかないふりをして、無理やり続けてきたけど。口に出すと……その、現実味ってのを感じちゃうな」

 いつにも増して彼女のその悲し気な笑い声が乾いて聞こえる。窓際にもたれて横並びの二人。冴島は彼女の手をとり、外から聞こえる音楽に合わせて腕を振った。とん、とん、と。リズミカルに二人の腕は壁にぶつかる。美心は特に抵抗を見せることなく、されるがままだった。

「困っている人は救うっていう救徒の教えだけが、みんなとの唯一の繋がりで、私も頼りにされるだけで満足だった。信仰を隠して、必死に現状を維持してきたつもりだったけど……私、みんなに……友達だって思って貰っちゃってた……そして私も、こんな格好までしちゃってる」

 とん、とん、と。壁に手がぶつかるたびに小さな衝撃とひんやりとした感覚が伝わる。それを美心は少し心地良いと感じていた。

「でもアカシアの救徒は抜けられない」

 冴島のその言葉は、少し突き刺さる様な声をしていた。美心は「うん」と答える。

「だから……お終いにしようかなって思うんだ。このままだと私はどんどんみんなの事を友達だって思いたくなっちゃう……この服を着た時にね、気づいちゃったんだ。私の気持ちがどっちを優先したがっているか。みんなにとっての『優しい小牧原さん』が作ったこの関係が、私にとって手放したくないものになっているだけじゃなく、もっと深くしたいものになっているって気づいちゃったの。でも本当は知らないままの方が良かった。だってどっちも大切だから。その気持ちに優劣をつけちゃったら、嫌でも前に進んじゃうもん……。そして今はまだ、家族を失うのが怖い……怖くて仕方がない。だから今のうちにお終いにする。みんなとの関係がもっと大切になったら、きっと耐えられないから……」

 美心は自分の中の複雑な気持ちを言葉にするのに精一杯という感じだった。

「この衣装を引き受けた時にね、テルキチが私に、このままだといつか、私が壊れてしまいそうな気がするって言ったんだ。その意味が最近分かった気がする。私は天秤にかけちゃいけない気持ちを、そのステージに乗せてしまったんだって」

 冴島は突然、握っていた美心の手を離した。揺れていた彼女の腕はそのまま壁にぶつかって、跳ね返る事もなくだらんと垂れる。

「彼はあなたよりも先にあなたの恐れに気づいてたんだと思う。頭のいい子だから……そしてあなたをここに呼んだのは、そのテルキチ君。彼ら今も、小牧ちゃんを守ろうとしてる」

「……え?」

 ぽかんと口を開けて冴島を見つめる美心。すると丁度そのタイミングで階段を昇る足音が聞こえてきた。明らかに一人分ではないその足音に、美心は反射的に扉の方に目をやる。そして一呼吸置く間もなくその扉は開かれた。外に立っていたのは雪輝と來華の二人だった。


「……テルキチ。それに來華ちゃん」


「呼び出してごめんなさい小牧原さん。大事な話があるの」

「へ? 話?」

 キョトンとした顔で二人を交互に見つめる。自分に向けられた二人分の真剣な眼差しに、美心は少し面食らっている様子だった。


「黙ってて悪い。実は、内山春樹が学校に来る」





 漆野はクラスの喫茶店の裏、簡易的につくられた更衣室にいた。と言っても着替えは一分ほど前に既に終わっており、今は足の震えが治まるのを待ちながら、緊張と不安と戦っていた。


「漆野さん? 着替え終わった?」

「ひぃっ! っちょ、ちょちょちょっと、待ってください」

 突如かけらた声に上擦った返事を返す。

「そんなに緊張しなくて大丈夫だって! 着替えで手伝いが必要だったらいつでも呼んでね」

「あ、ありがとうございます」

 すると足音が遠のくのが聞こえた。漆野は胸を撫でおろして「……びっくりして気絶するかと思った」と声を漏らした。そして漆野はスマホを取り出し、写真フォルダを開く。この行為は彼女にとってのおまじないだった。

 指で画面を撫で、少しずつ綺麗になっていく情報棟の画像を眺める。途中で雪輝の写真も何枚か出てきた。その顔を見る度に笑みがこぼれた。


「……頑張れ、漆野シノ」


 そう呟いた時には、震えは止まっているように感じた。スマホをポケットに入れて、深呼吸を挟んでカーテンを開く。その先にはクラスメイトの女子生徒が数人いた。カーテンの音に振り返り、コスプレ姿の漆野を見る。一瞬時間が止まったかのように感じた。もはや漆野も羞恥を覚える余裕すらなく、停止した思考は彼女の気を遠のかせた。

 しかし、彼女の思考はクラスメイト達の黄色い声にすぐに連れ戻される事となった。


「きゃー! ちょっと何、漆野さん可愛すぎない!?」


 女子生徒は漆野に駆け寄り、彼女が何かを発する前に抱き着く。漆野の口がそのクラスメイトの胸元に押し付けられた。息が出来ずにもがく漆野と、駆け寄った女子生徒達の声に、表からもクラスメイトが集まりだし、胸から解放され、漆野が顔を上げた時には、その狭い空間に十人ばかりの人だかりが完成していた。


「……あぁ、あの」


 自分に集まるその視線に、漆野はまた足が震えだしそうな予感を覚えた。何か話すべきなのだろうと思っても、頭が真っ白になり言葉が出てこない。そしてただ口をパクパクと動かすだけとなる。


 似合ってる。可愛い。などと周りのクラスメイトは口々に漆野を褒める。マシンガンの様に浴びせられたその恥ずかしい言葉に、漆野は顔を真っ赤にして、少し服を着たことを後悔した。しかし一人の女子生徒が漆野の手を取ると、はっと我に返る。その生徒もコスプレをしていた。

「漆野さん、ずっとお話してみたかったけど全然タイミングなかったから、今日こうやって一緒に文化祭楽しめて嬉しい」

 嘘を言っているわけでは無いと、顔を見れば漆野にもよく分かった。

「うん……その、私も」

 少しずつだか握られた手の温度で、緊張が溶けていくのを感じた。漆野にとってそれがたまらなく嬉しかった。


「おーい、そろそろお客さんくるよ」


 表の方でそう呼ぶ声がする。漆野の手を握った生徒はそのまま彼女を引っ張って歩き出した。

「さ、一緒に行こ! 漆野さんがいれば絶対に人気ブースになれるわ!」

「……が、頑張る!」

 引かれる力に乗って自ら動き出す。表に出た漆野の放った「いらっしゃいませ」の声は、図らずもその女子生徒とぴったり合わさっていた。


 声をかけてもらえるというのは嬉しい事だ。フロアに出た漆野は改めてそれを実感した。例えそのかけられた言葉が少し気恥しいものであったとしても、まるで自分の存在を確認できるようで心地がいい。みんなに褒められ、クラスの輪の中で活躍が出来ていると実感して満たされる。それは承認欲求と言う言葉では片づけらない、群れで生きていく中で、人間が身に着けた本能のような欲求が満たされる感覚だった。


「やっほ、漆野クン」


 声をかけられて振り返ると、琴弾がテーブルについていた。

「先輩。来てくれたんですね」

「うん。っていうかなんか思ったより仲よさそうじゃん」

「……そうだその、先週はありがとうございました。あのご……食事会で、色々踏ん切りがついて、今はちょっと上手くやれそうな気がしてるんです」

「良かったじゃん。じゃあもしかしてその助平な服は、あの時の助言のおかげ? いやぁあの二人は見れなくて残念だなぁ」

「もぉ変な事言わないでくださいよ」

 琴弾の冗談に漆野が困ったように答えると、彼女の後ろからクラスメイトの女子数人が二人の間に割って入った。

「お客さん。うちの子にセクハラはやめてください」

「退室してもらいますよ」

 漆野を隠すようにして、意外なほど真剣な眼差しで琴弾を睨む二人。琴弾はその様子に目を丸くし、漆野の方は慌てて二人の肩を叩いた。

「あのっ、ごめんね。その人知り合いで、その、大丈夫だから」

 この言葉を聞いて二人の鋭かった目がキョトンと垂れる。

「あらそうなの?」

「う、うん……。でもありがとう」

「いいのいいの、こちらこそゴメンね。でも何かあったら助けに入るから、その時は任せて!」

「本当にありがと、えっと……西田さんに畑山さん」

 漆野にそう名前を呼ばれた二人は、顔を見合わせてにっこりとほほ笑んだ。そしてもう一度琴弾の方に向き直り、一言「勘違いしてごめんなさい」と謝ってからその場を後にした。その始終で琴弾は終始にやけていた。

「なに? お姫様みたいな扱いじゃない?」

「わ、私もちょっとビックリしてます……大丈夫なんですかこれ、ちょっと怖くなってきたんですけど」

「まぁまぁみんなの好意を信じて受け止めるのも大事な事だよ」

「……そう、ですかね」


 と二人が話している途中で、プルルルと漆野のスマホがポケットで鳴った。

 事前に雪輝から『頼み』を聞いていた彼女は、その電話がその事だとすぐに分かった。急いで裏に入り、電話に出る。番号は登録されていなかったが、電話先の声には聞き覚えがあった。

「漆野……さんか?」

 野太い男の声。屋上にいるタケルだ。

「あっはい。漆野です。確か、大宮タケルさんですよね。吉祥寺君から話は聞いています」

 先程までの少し浮かれていた漆野の気持ちは一気に引き締まる、

「あぁそうだ。テルの言ってた特徴に似たヤツが今校門をくぐった。ただオレは顔を知らないから本人かどうかはわからん」

「それは大丈夫です。私が一度会ってますので、見れば本人かどうかは分かると思います。イヤホンに変えますので少し待ってください」

 漆野は裏に置いた鞄の中からワイヤレスのイヤホンを取り出す。その間タケル側のイヤホンからは、がさごそとせわしない音が聞こえてくる。しばらく待っていると、こちらに向けた声ではない漆野の『客引きしてきますね』という声が聞こえた。


「お待たせしました」

「ヤツは今第二校舎に向かってる」

「分かりました。入り口はどこから入りそうですか?」

「場所的に中央だ」

「じゃあ渡り廊下を渡って先回りしますね」

「頼む。校舎に入られるとここからじゃ見えない」

 漆野は軽く走り始める。タケルのイヤホンからは彼女の息遣いが聞こえ、余計な事を考えそうになる。その邪念を振り払うように双眼鏡を覗き込むと、渡り廊下を小走りで渡るチャイナドレスの少女を見つけた。スリットからチラチラと覗く太股に、タケルは思わず双眼鏡の倍率を上げた。


「もう校舎に入りそうですか?」

「え? あぁちょっと待ってくれ」

 漆野の質問にタケルは慌てて倍率を戻す。視界には目標がおらず、一瞬慌てるも、校舎入り口から辿る様にして探して無事彼の姿を捉えた。

「まだ入ってない」

 タケルがそう言うと漆野の階段を下る音が聞こえてくる。しばらくするとその足音が止まる。


「入り口前に着きました」

「見えた。少しでて左手側を歩いている。……なんか通路の反対側にたむろってる女子グループに近づいているように見えるな。話しかける気か」

「小牧原さんのクラスを聞く気です……顔を確認している時間は無いので出ますね」

 漆野はそう言うと校舎の外に出た。タケルの指示通り左手に進み、ハルキと思し召し人物に近づく。タケルの報告通り、彼は目の前にいた女子グループに話しかけようとした瞬間だった。先に漆野が声をかける。


「あっ、こないだの」


 その声に少年は反応して歩みを止めた。首を回して漆野の方を見る。二人の目が合い、動きが止まる。そこで漆野はその少年が先週金山で食事をした、あのハルキであると確信した。


「あんた、合コンの時の」

 驚いた表情を見せるハルキ。その反応を見て漆野は続けた。通話を切る間もなかったので、二人の会話は全てタケルの耳にも入っている。

「漆野です。この間はありがとうございました。その、篠原さんと何かあったみたいでしたけど……大丈夫でしたか?」

 そう笑顔で話しかけると、反対にハルキの方は訝しむ視線を送った。

「……お前はアイツらの仲間じゃないのか?」

「……仲間? えっと、やっぱり何かあったんですか?」

 上手にとぼける。漆野は自分自身でもどうしてこんなにスムーズに出来たのか分からなかった。しかし恐らくそれは、クラスメイトの件で少し自信がついたのと、走ってきて緊張を挟む時間もなかったからだろう。それも何となく自分で分かっていた。

 漆野の言葉を聞いて、ハルキは少し黙って考えた。


「……そうか、あの二人とは無関係か。なぁ、少し頼みたい事があるんだがいいか?」

「えぇ、どうぞ」

 にっこりとほほ笑む漆野。


「小牧原美心ってやつのクラスに案内してくれ」

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