小牧原美心はいただきますが言えない 28

「吉祥寺、少しいいか」


 土曜日。

 雪輝が金山に向かう前のお昼ごろ。学校で文化祭の準備をしていた彼の前に神原が顔を出した。

 呼ばれるまま教室の外に出ると、彼は辺りをぐるりと見渡して「場所を変えるか」と一言いい放った。雪輝が「いいですよ」と答え、二人は相談室に場所を移した。


 雪輝にとっては数週間ぶりの相談室。しかしそこまで久しぶりだなと言う感覚はなく、慣れたようにソファーに向かい、腰を下ろした。


「何の用ですか?」

「……まぁ一応報告しておこうと思ってな」

 そう言うと神原も向かいに腰掛け、足を組んでどこか遠くを見る。

「多分今日、東雲がハルキに会う」

「は?」

「前に話があったんだ。僕の幼馴染と言うか知り合いに顔が馬鹿みたいに広いやつがいて、東雲がそいつにハルキと会う機会を作れないかって相談を持ち掛けてた。んで、東雲の様子がここ数日変だったうえに、その知り合いがさっき、服どれがいいと思うってメッセージを送ってきた」

「それで今日会うと?」

「多分な。あいつは気合の入った合コンがある時いつも服の写真を送ってくるんだ」

「ん……ちょっと待て……合コン?」

「あぁ」

 雪輝が少し硬直する。


「アイツが……合コン!?」

「落ち着け。ハルキと会うためだ」

「いやいやいやいやいやいや。ミスマッチすぎるだろ。だってあの來華っすよ」

「無理してんだろ。ここ数日マジで落ち着きが無かったしな」

「……」

「まぁ心配なのは分かる。お前には言うなって言われてたけど、一応伝えておく必要がある気がしてな」

「場所は分かりますか?」

「詳しくは分からん。けど、恐らく名古屋方面だろう」

「すぐ向かいます」


 と雪輝が立ち上がったのと同時に相談室の扉が開く。

 二人がその音のする方を見ると、そこには冴島が立っていた。


「面白そうなことになってるわね」

「……あかねちゃん」

 冴島はそのままソファーの方に向かい、雪輝の隣に座る。

「あの子、本当に変わったわ。吉祥寺君のおかげね」

 その落ち着いた言いぶりに、雪輝もまた腰を下ろした。

「どういう事ですか?」

「あの子が他人のために無理をしている。そのきっかけを作ったのは吉祥寺君でしょ?」

「……それ、オレがアイツに無理させてるって捉えられるんすけど」

「あははは、まぁ間違いじゃないんじゃない」

「……」

 少し俯いた。その様子を冴島が優しく見つめる。

「悪い事じゃないと思うわ。……敵ばかりだったあの子に、君が大事なものを作ったの」

「……多分、美心が凄いんだ。アイツも最初は苦手そうだったのに、すぐに打ち解けたし。そして今はみんな彼女のためにって思ってる」

「教室に戻って、小牧ちゃんと過ごして君はどう思った?」

 その質問にまた雪輝が黙った。言葉を探しているようだ。

「……凄い人だと思う。アカシヤの救徒での事、中学での事、色々あるはずなのに人といる事を諦めていない。そしてみんなアイツを好きになっている。……でも、今は危うい」

「危うい?」

 その言葉には神原が反応を示した。雪輝が言葉を付け足す。

「アイツわりかしちゃんとアカシアの救徒の規則を守ってたじゃないですか。そのせいで食事を隠れてとってたり、人との付き合いも一歩引いてたり。学校も交友関係も、教えの範囲内で楽しもうとしてたんだ。美心自身も言っていたけど、現状維持に全力を注いでいた。でも……。今回アイツはラインを超えた。バレたら審問にかけられて脱会かもって事をして、意外と嫌な気持ちにならないって言ったんです。クラスメイトには宗教の事を明かせずに嘘をつく。そして今度はアカシアの救徒……家族にすら嘘をつく。大切な関係を続けるために、バレたら一発で関係が終わる様な嘘に慣れていってしまってる……こっから先、アイツがどうなるかを考えたら……危ういって感じた」

「なるほどね。まぁ何かを隠した付き合いってのはそうなるもんだ」

「あの子、アカシアの救徒をやめたいとは、言ってない?」

「……分からないって言ってました。大切な繋がりで裏切れない。でも、たまにどうにでもなれって思う事もあるって」

「……確かに、それは危ういかもね」

 冴島のその、何かを知っているような口ぶりに雪輝の眉が動いた。


「アカシアの救徒を抜けたら、どうなるか知ってるんですか?」

「……」

 その問いに、冴島の表情が曇る。

「……没心徒と救徒の事は知ってるわよね。心の没した器の生命と、心の宿ったアカシアの救徒。でも括りはもう一つあるらしいの。それが離心徒。会を抜けた人はその括りに分類されるって言ってたわ」

「離心徒……心を手離した人って事ですか?」

「そう。一度心をを手離したら二度と宿る事は無い……そしてそれは彼女らには禁忌のようなもので……救徒とは絶縁になる」


「絶縁……? それって」

「えぇ。会員とも、家族とも」


 雪輝は言葉が詰まった。そしてふと美心との会話が頭をよぎった。


『テルキチはさ、言わないよね。私にアカシアの救徒を抜けたらどうだとか、やめれないのかとか』

『……今はまだ、ね。でもその勇気がないってだけなのかも。だからたまにどうにでもなっちゃえって思うことはあるんだ。今も、そんな気分』



「そんなの……」

 と一言呟いた。神原も天井を見上げて口を曲げている。

「どうにでもなれって気持ちで選んでいい道じゃない。抜けるにしても、それはあの子にとって本当に大切なものが出来た時じゃないと、きっと後悔する。少なくとも形だけの友達ごっこを続けるためだけにしていい判断なのかは……」


 冴島の言葉を聞いた時、雪輝は謹慎中に家に冴島が現れた時の彼女の言った『君がみんなの居場所になれるってね』という言葉の真意が分かった気がした。


「……先生、もしかして全部分かって」

「いいえ、分からないことだらけだわ。でもその中で辛うじて君を見つけた。みんなが東雲ちゃんを嫌って、教師ですら疎ましく思っている中で、彼女のために怒ることが出来た君なら、もしかしたらみんなを変えられるかもって思えただけ。そして事実君は東雲ちゃんを変えてくれた」

「……別にオレは」

「それにあたし達は知ってるわ。君が支えになってくれたのは、東雲ちゃんだけじゃないって」

 ぼそっと呟く。向かいで神原がまた遠くを見ていた。

「……え? それって一体」

 不思議そうな顔をする雪輝だったが、その背中がパシンと冴島に叩かれ、すぐにしかめっ面に変わる。

「まぁその話は今はいいの! さ、行っといで。東雲ちゃんもきっと君が助けに来てくれることを願ってるわよ。対人スキルゼロの子なんだから」


 と、せかされるようにして雪輝は立ち上がる。少し腑に落ちない顔をするも、彼はそのまま相談室を出て行った。冴島はその後ろ姿を見つめる。やがて扉が閉まり、彼が階段を降りていく音が聞こえると、神原が口を開いた。


「……あかねちゃんは吉祥寺を信じてるようだけど。考えようによっては今の『カイ』を作ったのはアイツだろ」

 二人は目を合わせずに話す。

「……それでも。あの子を支えてたのは彼よ」


 足音はやがて聞こえなくなり、窓の外で走る雪輝が見えた。




 荷物を取りに教室に戻った雪輝。すると教室の様子は出て行った時とは異なっていた。窓際に全員集まって賑やかな様子で、その中には美心もいる。彼女は手に一枚の写真を握って、じっとそれを眺めていた。

「どうしたんだ?」

 美心に近づく。周りを見て何をしているのかはすぐに分かった。スマホ用のチェキプリンターを持ってきている生徒がいたようで、写真を撮っては印刷して配っていたみたいだ。

「……あ、テルキチ。これ、貰っちゃった」

 そう言ってまた困ったように笑い、手に持った写真を見せられる。

 女子数人で集まって映っている写真だった。中央には美心。そして写真にはペンで『ズッ友』と落書きがなされている。

 彼女の困ったような笑みの理由が分かった。

「あははは……」

「そんな風に笑うなよ」

「……うん。そだね」

 美心がじっと写真を見つめる。

「オレも前に言ったろ。美心がどう思おうと、オレは友達だと思ってるって。みんなも同じなだけだ」

 そう言うと美心は首を振った。

「テルキチのとはちょっと違うよ。みんなは『私もみんなと友達だって思ってる』って信じてる。それで私、そのみんなの気持ちに嘘をつき続けてる……」

「美心……」

「それはちょっと……辛いよ」

 美心の写真を握る手に力が籠る。それは少し震えているようにも見えた。雪輝が声をかけようとすると、先にもう美心が「それにね……」と口を開いた。

「なんか私、改めてとんでもない事をしちゃってるんじゃないかって思えて来ちゃって……」

 そういう彼女の声は、完全に震えていた。写真を握る手の震えも、見間違いなんかじゃない。雪輝は先程の相談室での会話を思い出すと、彼女の震えの理由も簡単に想像がついた。


『絶縁となる……会員とも、家族とも』


「……」

 美心の顔は暗く沈む。すると雪輝は彼女の手から写真を取り上げた。美心は「あっ」と小さく声を漏らし、不思議そうに顔を上げた。

「この写真はオレが預かっておくよ。んで、美心が嘘をつかなくていいようになったら返す。大丈夫、多分そんなに遠い未来じゃない」

「……え?」

「大丈夫」

 

 美心に背を向けて、雪輝は鞄を取りに向かう。その後彼はクラスメイトに「ちょっと用事が出来た」と声をかけて教室を出て行った。その際にもう一度チラッと美心の顔を見て、雪輝は優しく笑った。




___________________________





「で、どういうつもりなの?」


 金山での一軒を終え、月曜日の放課後。

 相談室にはソファーに腰掛けた雪輝と、いつもの席で腕を組む來華、そして教員用の事務机を挟んで冴島と神原がいた。声を出したのは來華だった。

「ちょいちょい、オレ今来たばかりじゃん」

 雪輝はポットをとり、カップにお湯を注ぐ。その後机の上に置いてあった箱から紅茶のパックを取り出して開封した。


「東雲は結局ハルキとか言う奴に会えたのか?」

 背もたれに覆いかぶさる様にして椅子に座っていた神原が尋ねる。

「えぇ一応。色々言いたいことは言いました。でもその時の事で、吉祥寺君に意図を問いたい事があって……」

 來華は立ち上がって紅茶をすする雪輝の元に向かう。


「あの時彼に言った、文化祭に来て欲しいって、どういう意味なの?」


「……怒ってる?」

 少し苦笑いを浮かべて雪輝が答えた。すると來華が深いため息をつく。

「はぁ……いいえ。概ねは信じてるから、あなたの事」

 來華は雪輝の隣に腰を下ろした。

「概ねって……まぁいいや」

「話して頂戴」

 雪輝はカップを置いた。


「美心が嘘で築いた偽物の関係を終わらせる。そしてもう一人で抱えなくていいようにしたい」


 真剣にそういう雪輝を、周りは少し怪訝な顔で見つめた。

「確かにあたしもそうなれば理想だとは思うけどねぇ」

「できんのか? そんな事」

 と、冴島と神原。

「考えがあるんです。その為に……ちょっと申し訳ない気もするけど、ハルキを使いたい」

「だから彼が文化祭に来る必要があると?」




 來華のその問いに雪輝は黙って頷き、改めてその『考え』を語りだした。




「……確かに、あなたの言った通りに上手くいけば、この上ないわね……」


 雪輝の話を聞いた來華は、腕を組んでじっと考えた。

「でも勝手にそんな事をして、さらに小牧原さんを傷つける事になったらって考えると……」

「もちろんそうなる可能性もある。……だからこの事は美心に黙ってやりたいとは思わない。もしアイツが本当に困った顔をしたら、ハルキには帰ってもらうつもりだ」

 雪輝は冴島を見た。一瞬その視線に驚いたように見せたが、次には破顔して言った。

「君のやりたいようにしなさい。結果がどうなろうと、ここにはあの子を本当に大切に思う子たちがいる。それだけでも多分あの子は救われるから」

「……ありがとうございます」

「その前にいいかしら。……小牧原さんは、内山春樹と話をしたがっているの」

「……そうなのか。いや、それはむしろ都合がいい。実行するかどうかは、先に二人が話し合ってからにしよう。じゃあ当日の動きは――」


 そう言って雪輝は文化祭のスケジュールと学校の地図を鞄から出して机に置いた。冴島と神原も二人の元の集まり、顔を寄せあった。





___________________________




 翌日の昼休み。

 いつものように情報棟の掃除に訪れた雪輝だったが、掃除途中の部屋に入るとそこには漆野はいなかった。

「今日はオレが先に着いたか」

 と独り言つと同時に階段を昇る軽快な足音が聞こえてきた。

「あ、吉祥寺君。もう来てたんだ」

 声に振り返ると、漆野が腕に何やら荷物を抱えて立っていた。

「おう、今日もやるか」

「あっ、ちょっと待って。今日はその前に見てもらいたいものがあるの」

「ん?」

 雪輝が首をかしげる。すると漆野はもう一度「ちょっと待ってて」と言って部屋を出て行く。向かいの教室の扉の開閉音が聞こえて来て、雪輝は不思議に思いながらも言われるまましばらく彼女を待った。

 数分後、今度は扉の向こうから彼女の「入るよ」という声が聞こえてくる。反射的に「おう」と返事だけすると、ゆっくりと扉が開かれた。

 すると目の前に立つ漆野の格好が、いつもの制服とは違う。

 とても目立つ鮮烈な赤。そして太股まで大胆に開いたスリット。彼女は、前に言っていた文化祭用のチャイナドレスを身を纏っていた。


「お……おう」

「ちょ、その反応は困ります!」

「あぁすまん。……でもどうした急に」

 漆野は足を隠すようにもじもじと服を伸ばしながら話し始める。

「……私、文化祭はこの格好で出るって決めたんです。だからその、先に吉祥寺君の反応を見ておきたいなって思って……ど、どうですか?」

 少し恥ずかしそうに、そして不安そうにそう尋ねた。


「エロい」

「もー!!」

 漆野は顔を真っ赤にして雪輝に駆け寄り、その胸を叩いて軽い怒りを表した。

「ごめんって。いや似合ってる! 似合ってるよ!」

「……ほんとですか」

 手を止めて潤む目で見上げる。

「本当。いや、想像以上に似合ってるよ。多分みんな同じ感想を抱くはずだって」

「……信じていい、んですよね?」

「オレを信じろ」

 自信に満ちた顔で雪輝が言う。漆野はまだ少し照れながらガラスに映った自分を見る。軽く乱れた髪を整えて、小さく笑った。


「……もし変な感じになったら、責任取ってくださいね」

「どう取ればいいか分からんが、任せろ」

「ふふっ。もぉ、無責任なんですから。じゃあもう着替えてきますね」

「え、そのままでもいいんだけど」

「このまま掃除なんか出来るわけないじゃないですか」

「床の拭き掃除してもらおうと思ったのに」

「……セクハラで訴えますよ」

 じとっと睨むような目で言い、漆野は再び向かいの教室に入っていった。しばらくしてまた制服姿に戻った彼女が入ってくる。すると教室内にいた雪輝は、先程までのチャラけた様子とは違い、少し真面目な表情をして待っていた。その様子に少しだけ漆野は強張る。

「えっと、どうかしましたか?」


「漆野。すまんが、少し頼みたいことがある――」

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