小牧原美心はいただきますが言えない 20

 ソファーに腰掛けている來華の横で、美心の食儀は行われていた。その様子を見るのは二度目だったが、やはり少し慣れないのか、そわそわと足を組み替えたり窓の外を見つめたりしている。聞きなれない言語がどこか落ち着かない。


「お待たせ」


 顔を床から持ち上げた美心が、少し恥ずかしそうにはにかんだ。そしてそのまま來華の座るソファーに腰掛ける。

「食べよ」

「えぇ。いただきます」

 そう言って來華は手を合わせるが、はっと何かを思い出したように美心の顔を見た。

「あぁ、ううん。気にしなくていいよ。來華ちゃんのいつも通りにして」

「そう、じゃあそうするわ」

「來華ちゃんは、その、いただきますっていう時、何を考えているの?」

「正直に言うと別に何も考えていないわね。あの時も、吉祥寺君が怒られてくれなかったら私がああなるところだったわ」

「あはは、あの時は私もヒヤッとしたよ」

「でも、不思議な言葉だなとは思う。いただきますとごちそうさまって。確かにその言葉を口にする時は、特に何かを考えているわけでは無いのだけど……言えなかったら言えなかったでモヤっとしてしまう。挨拶と違って、誰かに聞かせる言葉でもないのにね」

「へぇ……そこら辺はなんだか私たちの食儀と同じだね。私の場合はモヤっとと言うよりかは罪悪感だけど」

「根本は同じなのだと思う。昔から父にきつく躾けられた事とかは、今でもそれと違うことをする時に変なしこりを感じるし」

「やっぱり結構厳しい家庭だった?」

「そうね。小学校に上がる頃にはこっちのお爺ちゃんの家に預けられたのだけど、お父さんと一緒にいた時の記憶は、やっぱり厳しかった思い出が多いわ」

「あっ、お爺ちゃんって日曜日に会ったあの」

「うっ……。まぁ、そう」

「元気そうなお爺ちゃんだったね。凄くオシャレだったし」

「……実は見た目ほど元気ではないの。病気も色々患ってるし。あの日は私のその、と、友達……に会いたいと言って無理してたのよ」

「そうなんだ……。今はお爺ちゃんと二人暮らしなの?」

「いいえ。住み込みのお手伝いさんがいるわ」

「お手伝いさん!? それってメイドとか執事ってこと!?」

「そんなアニメみたいなものじゃないわ。家政婦のおばさんって感じの……あぁ、そう。あの会館にいた園田さんみたいな人ね」

「あぁなるほど。何となくイメージ沸いた」

「園田さんも料理美味しかったけど、うちのお手伝いさんも料理が得意なの」

 そう言って開かれた弁当を美心に見せる。

「ほんと、凄く美味しそう」

「良かったら少し食べてみる?」

「やった! 食べたい食べたい」


 二人は他愛ない会話をしながら昼食を口に運ぶ。お互いに言葉にすることは無かったが、この時間、二人は同じことを考えていた。


 『こういうの、初めてかも』


 同性のクラスメイトと、お互いを深く知っていくための会話。そしてお弁当のおかずの事など、特に深い内容の無い会話。まるで教室で他の人たちがしているような、普通の高校生の昼休み。それは美心にとっては半ば手に入れることを諦めていた時間で、來華にとっては、まさか自分がこれを経験することになるとはという、驚きに満ちた時間だった。


「……ところで、私に何の用だったの?」


「……」


 來華が話を切り替えると、雑談を楽しんでいた美心の顔が固まった。

「小牧原さん? そう言えば屋上にいた時から少し様子がおかしかったけど」

「あぁ、うん……屋上でも心配してくれてたよね。ごめん」

「それはいいのだけど。もしかして、何か話したいことでもある?」

 美心は黙ったまま頷く。來華はそのまま会話を進めることはせず、美心のペースに合わせるように言葉を待った。


「……テルキチ、凄いよね」


 開かれた口から出た意外な言葉に、來華は首をかしげる。

「吉祥寺君? 彼のどこが?」

 その言葉に美心は小さく笑った。

「どこがって、ふふふっ。流石にそれは失礼だよ」

「笑ってるから同罪よ」

 コホンとわざとらしい咳払いをして、美心は話をつづけた。


「……やっぱ仲直りって凄く勇気がいると思うんだ。特にテルキチは大宮君達に怪我をさせちゃってたし……多分ずっと不安だっただろうなって」

 來華は昨日の雪輝の様子を思い出す。机に突っ伏して「気が重い」と言っていた。

「そんな不安とか、恐怖とか、あと多分恥ずかしさとか、そういうの全部抱えたうえで、テルキチはああいう風に思いを伝えられる……それが凄いなって思ったんだ」

「ふふっ。その言い方だと、彼が誰かに告白でもしたみたいに聞こえるわね」

「あはは……でも、同じ事かも。テルキチはそう言う勇気を持っているんだと思う」


「……でね」

 と、口調に会話の流れを変える意図を含ませる。話している美心の表情も少し暗いものへと変化した。


「そんなテルキチを見てたら、忘れようとしてた事が恥ずかしくなったの……」

「忘れよう?」

 美心が頷く。

「……ハルキ君の事」

「えっ」

 その名前を聞いて、來華の心臓がどくんと暴れた。

「前に言ったよね。ハルキ君が会館で怖い思いをしたって。それがきっかけで私はいじめられたって」

「……えぇ」

「中学の頃は確かに辛かったし、今でもハルキ君は……怖い。でも、あの時の事、謝らなきゃって……ずっと引っかかってたの」

「それは別に……あなたが謝る事じゃないと思うわ……」

 言葉を探しながら喋る來華だったが、美心は黙って首を横に振った。

「これはその、多分なんだけどね。小学生の頃、ハルキ君が会館に来る時までは……彼、私のことをその……好きでいてくれてたんだと思うの」

「好き? それって、恋愛感情の好き?」

 美心はこくんと頷いた。

「何となく分かったんだ。それで、当時は私も色々考えたの。その結果がアレなんだけど……」

「彼を会館に招いたと」

「うん。その頃には私の生活の環境が、みんなとはちょっと違うって事は分かってて、それでハルキ君には知ってもらおうって思った。私がどういう生活をしているのかと、没心徒と救徒は恋人になれないって事を。……それでももし、ハルキ君がアカシアの救徒に入ってくたりしたら、そしたら私も恋が出来るのかななんて、そんな甘い事まで考えてた」

 美心の瞳がうっすらと水気を帯びるが、声色は変えずにそのまま続けた。

「会館に呼んだ時ね、凄く喜んでくれたんだ。一緒に歩いた道でも、楽しそうに会の事を聞いてくれて、もしかしたら私たちの事を理解してくれるんじゃないかって、私も嬉しかった。……でも結果は違った。彼からしたら多分……裏切られたような気持ちだったんだと思う。自分の恋心を利用して、勧誘しようとしたんだって……私はそんなつもりなかったのに……こうなっちゃった」

「小牧原さん……」

 膝の上でギュッと固く結ばれた拳に、來華の手のひらが覆いかぶさる。

 來華は名古屋で会った時のハルキの言葉を思い出していた。

 『お前ら、カルトちゃんの事どこまで知ってるか知らんが、あんまり関わらない方がいいぞ』

 あの時振り返らなかった來華は、彼がどんな顔をしてその言葉を言ったのかは分からない。あの言葉にはどんな気持ちがのしかかっていたのだろうかと、美心の手を撫でながらふと考えた。

 恨み? 軽蔑? 警告? それとも、悲しみ? もしかしたら、嫉妬。

 もちろん考えた所で答えが出るものではない。それは來華自身もよく分かっている。しかし、どうしても言葉は詰まった。


「私本当に酷い事をしたんだと思う。ちゃんと謝ろうと何度も思ったけど、テルキチみたいな勇気は私になくて、そのうちに彼が私を『カルトちゃん』って呼び始めて……でも実はそのおかげでちょっと気が楽になって……」

「小牧原さんが罪を感じることは無いわ。詳しい状況はもちろん分からないけど、小牧原さんは彼に自分を知ってもらいたかっただけなんでしょ……私はその、あなたは悪くないと思う」

 すると美心は首を横に振った。

「傷つけちゃったのは変わらないよ」

「……それでも」

「私、そういう事全部向こうに置いてきて、こっちで初めからやり直そうと頑張ったんだ……でも逃げてきたって気持ちも消えてくれなくて……前とは違う『優しい小牧原さん』になる事で必死に忘れようとしてた。それでもね、さっきのテルキチを見て、やっぱこの気持ちに知らないふりは出来ないって思っちゃったの」

「謝りたいって気持ち?」

 今度は縦に首を振る。

「きっと謝ってもなにも変わらない。昔みたいな関係に戻ることは出来ないし、友達とか恋人になる事は私には出来ない。でも、謝らないと進めない気がする……このまま彼を裏切ったままは嫌だって、テルキチにそう思わせて貰っちゃった……」

 水気を帯びた目をしていたさっきとはまた少し変わり、軽く頬を染めて照れ臭そうに美心は言う。

 拳の上に乗せられた來華の手のひらを、美心は優しくどかして微笑みかけた。

「私、結構自分勝手な事言ってるよね」

「そんな事無い」

「……ありがと」


 美心は目を閉じてそう呟いた。


 しばらくお互いに言葉を発することは無く、静かな時間が流れていた。机の上には空っぽの弁当箱が二つ仲良く並んでいる。


「……そうだ」

 急に美心が声を出し、ポケットからスマホを取り出した。

「謝るって言ったって、連絡も取れないんじゃどうしようもないもんね。ハルキ君SNSとかやっていないかな」


 そう言うとSNSのアプリを立ち上げる

 來華の心臓が再び暴れだした。


「あのっ、ちょっと小牧原さ――」


「ん? 高校名と名前で出てくるかな」


 來華の言葉に返事をしつつも、美心はなれた素早い手つきで検索を始めてしまった。

「あっ、あった。このアカウントかな」

「っ!!」

 來華は背筋に悪寒を感じる。口を開いたまま、どうすればいいのか分からず、とりあえずスマホを奪おうと手を伸ばしたとき、美心のため息がその動きを止めた。


「はぁ、駄目だ。鍵垢だ」


 美心はそう言ってスマホを來華に見せてくる。

 アカウントはこの間雪輝に見せてもらったのと同じアカウントで、ハルキの物に間違いは無かった。ただ、そのアカウントには鍵がかかっており、投稿の内容は見れなくなっている。

 もちろん、文化祭に来る件のやり取りも、美心の写真も、そのスマホの画面には映っていない。


「このアイコンの写真、彼で間違いはないんだけどなぁ。まぁそうだよね、こういうのって結構鍵かけてる人多いもんね」

「そ、そういうものって聞くわね」

 激しく暴れた心臓の音がバレないように、冷静を装いながら來華は美心の話に合わせた。


(神原先輩。言っていた例のやつ、もうやってくれてたのね)


 來華は安堵と共に心の中で神原に礼を言う。

「仕方ないか。でも、どっかでちゃんと会って謝る機会を作らないと。……その、來華ちゃんも協力してくれるかな」

「えぇ。もちろん。あときっと吉祥寺君も協力してくれるわよ」

「……うん」


 するとそこでチャイムが鳴った。昼休みの終了五分前を告げる予鈴だ。

 美心は机の上の弁当箱に蓋をして、小さな鞄にしまった。


「もう行くね。今日はありがと」

「こちらこそ……その、一緒にお昼食べれて、楽しかった」

「それは私も! なんていうか……ありがとね」


 『なんていうか』の後に、何か付け加えようとしてやめた事に、來華も気付いた。

 何を言おうとしたのかは聞かなかった。多分自分と同じ事を思ってくれているのだろうと、何となく分かったからだ。


「昔の事も、聞いてくれてありがと。私頑張ってみる」

「えぇ。手伝えることがあったら言って」

「うん」


 そうして美心は相談室を出ていった。


 代わりに数秒後、聞きなれた声が入ってくる。


「神原くんにお礼言っておかなきゃね」


 扉の前に立っていたのは冴島だ。

「先生。いつからそこに?」

「お弁当のくだりから。……にしても小牧ちゃんが自分からあんな話をするなんて」

 冴島はソファーの背中に、後ろから覆いかぶさるように体重を預ける。そして隣にある來華の頭に小さく「変わったわね」と呟いた。

「それは……どっちに言ってます?」

 首を横に回し、細めた目を冴島に向ける。その視線に冴島は苦笑いで返した。

「あら、気づいちゃった? どっちもよ。小牧ちゃんも、そしてあなたも変わった」

「自覚は……あります」

「おや、意外に素直」

「……人の事を考えるなんて、初めてですから。ましてやそれで悩んでいる」

「小牧ちゃんとあの少年を合わせていいのかって?」

 來華は頷いた。

「……あたしはね、この半年、あの子の『友達ごっこ』をずっと眺めてきたの」

 冴島のその言葉に來華は目を見開いた。

「クラスの輪に入るために人の頼みは断らず、いつも笑顔を作って、流行りも必死に勉強して、そして隠して……そうしてる内に気づいたんだと思う。みんなの中にある『優しい小牧原さん』というキャラクターに。そして段々と彼女は、信仰が知られて、そのキャラクターが壊れることが怖くなっていった。でもそういうのは彼女だけに当てはまる事じゃないの。みんな周りから思われている自分の姿に気づいていって、そしてそれを裏切らないように生きている。もちろん悪い事じゃない……ただ、彼女が作ってしまった『優しい小牧原さん』は、友達ごっこしか出来ないキャラクターだったの……」

 來華は仲が深まる前の美心を思い出していた。

 誰もが私を避ける中、人目も気にせずに話しかけてきた彼女。教室ではいつも、どこか一歩引いた立場で優しく微笑んでいた。そしてそんな彼女の事を不気味とまで評してしまっていたことも思い出す。吉祥寺君は先生と話しているみたいって言ってたなと、小牧原美心に関する記憶が連鎖的に蘇った。


「でもさっきのあなた達は、決してごっこじゃなかった。あの子はそれを口にする事は出来ないでしょうけど、あなたは感じたんでしょ」


 机の上の空っぽの弁当箱。來華はそれを見つめて頷いた。


 『なんていうか……友達になれて良かった』


 來華の頭の中に浮かんだその言葉は、自分ではなく、美心の声のような気がした。


「だからね、あたしはもう、彼女が傷つく事を恐れない。あなたや吉祥寺君がいるから。ごっこじゃない関係があるからね。彼に会って傷つくことになっても、きっと大丈夫でしょ」

 冴島は体を持ち上げてソファーから離れていく。そしていつもの彼女の席に腰掛け、教室に戻っていく美心の背中を窓から眺めた。


「……でもその前に、私が会います」

「ん?」

 來華の言葉が意外だったのか、少し驚いたように、窓から來華へと視線を戻した。

「経緯はどうあれ、日曜日に会った時の彼は最低でした。だから小牧原さんと会わせる前に、会って聞きたいことがあるんです」

 來華そう強く言った。

「……そう。ふふっ、ホントに変わったわね」

「あっ、いや……はぁ。やめてくださいよ、そういうの」

 來華は赤くなった顔を隠すように背ける。

「えー。さっきは素直だったじゃん」

「何度も言われると、なんか腹が立ちます」

「あはは、それは申し訳ない。……でも、あなたももう少し素直になっていかないと、そのうち困るわよ」

「大きなお世話」

 呆れ顔で來華は机の上の弁当箱を片付け始めた。その様子を冴島のにやけた視線が追いかける。

「そうねぇ、じゃあ預言してあげる。近い将来、あなたは素直になれなくて、絶対に、泣くほど困る」

 冴島のその言葉は、意外なほど真剣な声色だった。その雰囲気に、來華の片付ける手が止まった。

「泣くほど? 誰が?」

「東雲さん家の來華お嬢様が」

 さっきとは打って変わって、その言葉に含まれているのは茶化すようなニュアンス。どこか気が抜けたように來華はため息が出た。

「……馬鹿らしい」

「そう言ってられるのも今の内よ。その時はすぐに来るんだから」

 再びにやけたような冴島の視線を受け、來華は片づけを再開しながら「その時って、どんな時なんですか?」と、てきとうな言葉を投げかける。


「……」


 答えはせず、含みのある笑顔を向けるだけの冴島に、若干の引っ掛かりを感じた來華だったが、弁当箱の片づけが終わり、そのまま「手を洗ってきます」とだけ言って部屋の外に向かった。


 その後ろ姿を見つめながら、冴島は彼女に聞こえないように呟く。


「――本気で人に、恋をした時よ」

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