小牧原美心はいただきますが言えない 19

「なんでお前が」


 屋上を歩くタケルは、奥で腰を下ろしている雪輝を見つけて拳を握った。

「よっ」

「よじゃねぇよ。説明しろ」

「もしかして怒ってる?」

「……いや」

 そう言って新品になった包帯を、少し悲しそうに撫でて隣に座る。


 隙間ほどに開いた屋上の扉の前には、リョウと美心。そして來華と漆野がいる。


「隣に座ったわね」

 狭そうに四人が屋上の様子を覗く中、來華がそう呟いた。

「だね。これは意外だ……っていうか何で東雲さんがいるの……? それに隣の人は?」

 リョウが來華と漆野を見る。

「さ、三組の漆野です。吉祥寺君の……友達? です」

「私達のことは気にしないで」

「う、うん」

 不思議に思いながらもリョウは再び屋上の二人に集中した。



「なぁタケル」

 お互い顔は見ず、ただ青い空を眺めながら雪輝が彼の名前を呼ぶ。

「……言いてぇことは分かってる。……リョウとはどうなった?」

「今朝仲直りした」

「アイツはずっと謝りたがってたからな」

「一発殴って貰ったよ」

「じゃあ俺はテメェの鼻を折らねぇとなんねぇな」

「それで気が済むならそうしてくれ」

「……」


 会話が途切れる。風もなく、静かな時間が流れた。


「鼻、痛むか?」

「別に」

「曲がったりしてない?」

「もう一発貰ったら戻る」

「……その、悪かっ――」「謝んな」


 雪輝の言葉を阻む。驚いて彼の顔へと視線が動いた。


「謝んじゃねぇ……くそっ。それが一番聞きたくなかったんだよ」

「なんで!」

 音を立てて雪輝が立ち上がる。

「殴ったのはオレが悪い。机に悪戯をしたのはお前が悪い。互いにそれを謝ってお終いでいいじゃんかよ!」

「……」

 タケルは言葉を発さなかった。

「なんか言ってくれよ……。何が気に食わないんだ。何が……!」

 雪輝がタケルの胸ぐらをつかむ。


 その様子を見て、美心が止めに入ろうと扉に手をかけた。

「まって」

 その手を固く掴んで、引き留める二本の腕。リョウと來華だった。

「來華ちゃんまで……このままだったらテルキチまた……」

「だとしても彼の問題よ」

「僕はテルを信じる」

 二人は強い視線を美心に送る。しばらく迷ったのち、美心は頷いて扉から手を離した。

「見てください、大宮君も立ち上がりましたよ」



「殴るか?」

 立ち上がったタケルが小さく言った。しばらく睨み合う二人だったが、少しして雪輝は腕の力を弱める。視線を横に逸らし、罪を語る様に話し始めた。


「……あの時二人を殴ったのは、別に來華を庇うとか、そういう正義感からじゃないんだ。衝動だった……嫌な気持ちが熱になって、なんていうかただ、自分の中のその気持ちを振り払う為だけに手を出したんだ」


「知ってるさ」


「……え?」

 逸らした視線が再びタケルに向けられる。


「あの時のお前の顔見ればそれくらい分かる。とんでもねぇ目してたぞ。ゴミを見る目だった」

「……すまん」

「だから謝んな。それに関しては、オレらもそれほどの事をしたんだ。無論反省もしているし、東雲に謝罪もした。それに……分かってる。オレがただ、被害者扱いの自分が惨めでお前を避けてたって事も、自分でちゃんと分かってんだ。それが馬鹿らしいって事も」

「じゃあ……」

「……でも見つからねぇんだよ。落としどころが。互いにどれだけ謝ったところで、オレがあぁいうクズ同然な事をしたという事実は消えねぇし、お前が衝動を前にした時は、友情もなにも無くなるって事実も消えねぇ。オレが悪いのに、全部テルのせいになっている現実も変えられねぇ。その事に知らんぷりして、上っ面だけの友達続けるのは……一番嫌だ」

「……お前」

 力が籠っているのか、それとも込み上げる感情が涙になるのを抑えているのか、タケルの唇は、雪輝が見て分かる程に震えていた。



「ほんっっっと面倒くさいなぁ……」

 扉の向こうでリョウが呟き、さらに続ける。

「っていうか、言ってること自己中すぎ。ちょっと腹立ってきた」

「確かに。自分が満足できる形じゃないと友達を続けれないって、かなり横暴ね……」

 來華も少し呆れた顔で言った。

「……でも、それがタケっちだから。はぁ……昔からのジャイアニズムはもう一生治んないのかね」

「それでも三人は友達だったんですよね」

 漆野が問う。

「不思議なことにね」

 そう言って笑みを浮かべた。

 そのリョウの笑みに何かを思うのか、美心が目を丸くして見つめている。すぐ隣に立っていた來華だけが、その美心の表情の変化に気がついた。



「なぁ、タケル」

 雪輝が顔を少し伏せながら彼の名前を呼んだ。


 そして、タケルが返事をしようと口を開いた瞬間。雪輝の右足が、彼の腰の少し下辺りを水平に蹴り抜いた。


「っっ! てめぇ!」

 本気では蹴っていなかったのか、タケルは少しぐらついただけで、体勢が大きく崩れることは無かった。すぐに雪輝に向き直って、今度はタケルが胸ぐらを掴む。

「何しやがる!」

「お前泣きそうだったから」

「はぁ泣いてねぇし!」

 グイっと雪輝の身体を引きよせて、ドスのきかせた声を浴びせる。その声に顔を背けるようにしてから雪輝は小さく笑ったが、今度は少し真剣な表情を見せて言った。

「上っ面だけの友達って、本当にそうなると思ってんのか? そう思ってんならそれが一番ショックだぞ……」

「……」

「それによ。完ぺきな関係なんて無理だろ。夫婦ですらすれ違うんだぞ」

「夫婦って……キモイ事言うな」

「似たようなもんだろ。俺は一生付き合っていくもんだと思ってたぞ、お前らと」

「……」

 タケルは少し顔を赤らめて目を逸らし、雪輝の身体から手を離した。

「だから泣くなって」

 雪輝は茶化すように言う。

「泣いてねぇつってんだろ!」


 そう叫んで雪輝に背を向ける。空を仰いで一瞬目頭を摘まんだ。その時にピキっとした痛みが走り、小さく声を漏らす。


「お、おい。大丈夫か?」


 タケルの背中に声をかけると、彼は勢いよく振り返り、そのまま雪輝に同じような蹴りを見舞った。

「うおっ」

 横腹に入った蹴りは優しく、雪輝も少し姿勢を崩す程度だった。


「……オレは、ぐちゃぐちゃだ。もう正直自分がどうしたいのかすら分かんねぇ。自分が許せねぇし、お前にまで……腹立ってる。なんで腹立っているのかも分かんねぇだ。自分勝手でどうしようもない事言ってる自覚はあるんだが……このモヤモヤした気持ちはどこに向けたらいい」

「でも『こうなると嫌だ』っていうのはあるんだろ」

 上っ面だけの友達続けるのは一番嫌だ。という先ほどのタケルの言葉を掘り返すように言う。タケルもゆっくりと小さく頷いた。


「……嫌だ。お前との関係が……その、薄っぺらになるのは……」

 恥ずかしそうにそう言う。

「俺もだよ」

 雪輝がそう言うとタケルの顔が更に赤くなる。それを見て雪輝も少し照れる。


「はぁぁぁあ」


 雪輝は空気を変えるように、わざとらしく大きなため息をつく。


「つかさ、そもそもを考えるとコレ、学校が悪いんじゃねぇのか? 学校が來華の事を隠蔽さえしなければよ、俺らの関係は互いに謝ってそれで元通りだっただろ? 学校がこの問題をややこしくしたんだ」

「それは……そうだな」

「來華が言ってたんだ。対立を感じてるなら、それは対立を成り立たせている前提条件が間違っているって。本当にその通りだと思うよ。俺らがこうなった原因は俺でもねぇし、お前とリョウでもねぇ。來華に謝罪したんだろ? じゃあお前のモヤモヤを向ける先は――」


 雪輝は屋上の端の金網に向かって走り出す。

 そしてそのまま金網に思いっきり蹴りを入れた。先ほどのタケルに向けた蹴りとは違う、遠慮のない力強い一発だった。


「この学校だろ!」


 ガシャンと気持ちのいい音が屋上に響き、振り返った雪輝のスッキリとした笑顔にタケルは目を奪われる。

「……」

 驚いたようにただ雪輝を見つめるだけだったタケルだが、しばらくして小さく笑った。

 そのままつかつかと雪輝の隣まで歩き、もう一度ガシャンと金網が揺れる音が響いた。タケルが蹴ったのだ。


「……そうかもな」

 目を閉じてタケルは呟く。



 その光景を見ていたリョウが「うぅぅ」と身悶えるような声を上げながら背中を掻きむしった。

「くぅぅ何アレ!? 見てるこっちが恥ずかしくなるよ」

「……本当。鳥肌立ちそう」

 來華も口を横に開いて、冷ややかな視線を送った。その後ろでは美心と漆野が優しい目をしている。

「でも、なんだか私はちょっと感動しちゃいました。いいですよね、ああいう友情」

「漆野さん、それ本気?」

「えっ、でもなんか漫画みたいじゃないですか」

「漫画の中ならいいけど……ぅう、ちょっともう見てらんないかも」

 そう言ってリョウは反対を向く。しかしその口ぶりとは違って、その表情は少し嬉しそう。

「……小牧原さん?」

 黙ったまま雪輝たちを見つめる美心に。心配げに來華が声をかけた。しかしその声が耳に入らなかったのか、美心の返事はない。

「小牧原さん」

「あっ、うん。ごめん、何かな?」

「……いえ。なんでもないわ」

 


「……なぁ、テル」

 金網の前でタケルが呼ぶ。

「なんだ?」

「……その気になったら教えろよ」

「なにが?」

「気付かねぇと思ってんか? あの時のお前の目、オレとリョウに向けられたモノじゃなかっただろ。アレは何か別の、別のもっと深い憤りに向けられてた……何か抱えてるものがあるんじゃねぇのか?」

「……」


 意外だったタケルのその言葉に、雪輝はいつもの夢がフラッシュバックする。

 教室ですすり泣く少年の背中を見つめ、目を逸らすことも出来ずに、ただ立ち尽くす夢。


「お、俺は別に……」

「今はいい。でも、言ったろ。上っ面の関係は嫌だって。俺だってその……お前とリョウとは一生友達でいたい。くそっ、恥ずいな……だからなんだ、その……嫌なんだよ。そういうのも」

 そういうのと言うのは、一人で抱えるなという事だろうと、彼の不器用さに雪輝は少し笑えた。

「……分かったよ。じゃあ俺はもう行く。仲直りって事でいいよな? 冴島先生に伝えないといけなくてな」

「あぁおい、もう一ついいか」

 屋上を去ろうとする雪輝を引き留める。

「なんだ?」

「その……すまん。関係のねぇ話なんだが……」

 また顔を赤くして何か言いづらそうに話し始める。


「……告白って、どう受ければいいんだ?」



「……」


「……」


「……は?」


 もじもじと巨大な体をくねらせながら、顔を真っ赤にしたタケルを、雪輝は頭の中がショートでもしたかのように、ぼーと見つめる。唖然として言葉が出てこない様子だった。


「いや、実はオレが屋上に来たのは、これを貰ったからなんだよ」

 そう言って件のラブレターを差し出す。

 雪輝は珍妙な生物を見ているかのような視線を向けたまま、ショートした思考の修繕に勤しんだ。


「……お前。まじか」


 状況を把握した雪輝が発したのは、呆れたようなその一言だった。


「それ……出したの、俺だぞ。つか、気づけよ……」

「……は?」

 タケルが固まる。目を丸くして、パクパクと口を動かした。

「はァァァァアアア!? えっ、つぅ事は、テルお前、オレの事を――」

「バカ!! 何でそうなるんだよ!! 気づけよ! それはお前を屋上に誘い出す為に美心に書いてもらったんだよ!」

「はっ! そういう……。ん? つぅことは、オレに告白してくる女の子は……」

「いるか! んなもん!」


 それを聞いたタケルは音を立てて膝から崩れ落ちる。


「……な、あぁ……そんな」


「お前、さっきまでの会話よりも今の方が全然感情出てるよな」

 呆れたように雪輝が言うと、屋上の扉が開く音がした。音に視線が奪われると、そこには同じく呆れた顔のリョウが歩いている。その奥にいる來華と美心と漆野の姿も雪輝の目に入った。


「全く。ほんっっっとの馬鹿だよね。タケっちは」


「リョウ! つか、來華に美心……漆野まで……お前ら覗いていたのか?」

「ご、ごめんね、吉祥寺君。お昼掃除に来れない理由を東雲さんに聞いたら、私も気になっちゃって……」


 すると放心状態だったタケルも我に返ったのか、振り向いてリョウ達を確認する。リョウは怒られるかと、一瞬わざとらしく身構えるポーズをとるが、そのタケルの視線はリョウの奥、美心に向けられていた。


「こ、小牧原。これ書いたの小牧原なんだよな! つまりオレの事……」

「えっ!? 私!? あのっ、その……ごめんなさい!」

 慌てたように深々と頭を下げる美心。それを見てタケルは灰のように真っ白になる。


 リョウと雪輝は、堰を切ったように笑いだした。

 その声を聞いてタケルは立ち上がり、顔を真っ赤にして「……テメェら」と呟く。プルプルと震えた拳からその怒りを感じ取った雪輝とリョウは、慣れたように走ってタケルから距離を取った。

「テメェらぶっ殺す!!」

「くははははっ逃げろ逃げろ!」

 リョウは雪輝と共に楽しそうに屋上を駆け回った。


「み、みなさん屋上なので走ると危ないですよっ」

 心配そうに漆野が注意するも、もう三人には聞こえていない。

「まぁ、もう大丈夫そうね」

 來華は腕を組んで踵を回す。そのまま出口の方に進むも、少しして振り返り、どこか寂し気に雪輝の顔をもう一度見つめた。


「あっ、來華ちゃん!」


 屋上を出て行く來華を引き留める美心の声。

「……なに?」

「その、この後ちょっと話いいかな」

「私と? 別に構わないけど」

「ありがと。出来れば人のいない場所がいいんだけど……」

「今日は相談室、誰もいないわ」

「じゃあそこで。お弁当持って行っていいかな」

「えぇ。私もまだだし」

「じゃあすぐ行くね」


 そう言って美心は手を振る。慣れなくて恥ずかしかったが、來華も小さく手を振り返してみた。美心は微笑みを返すと、そのまま雪輝らの方に向き直り、走り回る三人をしばらく見つめる。

 來華はなぜか、彼女のその表情に小さな引っ掛かりを感じていた。


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