小牧原美心はいただきますが言えない 16

 翌日の月曜日。

 いつもよりも三十分ほど早めに登校してきた雪輝が、朝練中の校庭の中を走って突っ切った。その奇妙な光景は酷く注目を集めたが、彼にはそんな事一切気にしている余裕は無かった。そのまま校舎には向かわず、相談室のある部活塔に一直線に走る。二段飛ばしで階段を駆け上がる足音が、プレハブの部活塔に響き渡っていた。

 荒々しく扉を開いた雪輝は、苦虫を噛み潰したような顔で部屋を見渡す。相談室には、そんな彼に驚いた顔を見せる冴島と神原がいた。


「どうした一年。うんこ漏らしたか?」

「よかった、先輩いてくれてた……」

 上がった息を整える事もせず、ずかずかと神原の元に向かう。コーヒーを飲んでいた冴島もカップを置き、不思議そうに雪輝の様子を見た。


「な、なんだよ。僕がなんかしたか……?」

「先輩……」


「――助けてください」






 前日、日曜日。

 会館で美心と別れ、雪輝は來華と共に電車で帰った。その道中は特に困ったことも起こらず、たまに会話が生まれる程度の穏やかな時間だった。駅で來華と別れ、駐輪場で自転車を探している時、スマホの振動に気がつく。確認するとそれは美心からのメッセージで、雪輝は歩きながらそのメッセージを開いた。


 今日はありがとね!

 記念品でもらったキーホルダー、私と來華ちゃんはスマホにつけることにしたからテルキチもお揃いにしよ!

 正答率十パーセントとか言ってたし、自慢になるかも


 そんなごく普通のメッセージだった。あの趣味の悪いキーホルダーをつける事にはしっかりと反論をしておいて、ふと正答率十パーセントとという言葉が気になった。

 確かにコンビニで流れていた宣伝でもそんな事言っていたなと記憶を掘り出し、雪輝はふとTwitterで検索をかけてみる事にした。

 その行動に深い意味は無く、彼、というか現代人の癖の様な行動だった。


 名古屋 脱出ゲーム クビキリ

 と検索をかけると、話題の投稿の欄には「クリアできなかった」とか「下駄箱フロアまでは進めた」などの投稿をよく見かける。それを見ながら、今日の事を思い出していると、最新の投稿欄に、とある写真付きの呟きを発見する。それを見て雪輝は一気に背筋が凍り付いた。



 名古屋の脱出ゲームでカルトちゃん見つけた 笑

 なんかキモイ取り巻きもいて相変わらずウザかったわ 笑笑



 あの時消させたはずの写真と共にそんな呟きが投稿されていた。投稿主はハルキと書かれている。あの時の坊主の少年だ。

「……なっ」

 雪輝は驚いてスマホを落としそうになる。

「なんでこの写真……。消させたハズなのに」

 するとその投稿にリプライがついた。



 うっわwマジじゃんwww

 つかカルトちゃんどこの高校行ってたっけ?



 アツシという人物から送られているリプライ。その後も数分おきにやりとりが続いている。雪輝はその場で座り込み、アプリを更新し続けて二人の会話を読み続ける。やがてその汚い言葉の連続に吐き気を覚えて口を押えた。

 すると自転車置き場の管理人が「大丈夫?」と不安そうに声をかけてきた。雪輝は慌てて立ち上がり、震えた声で大丈夫ですとだけ応え、急いで自転車を回収して家に走った。走行中もスマホが気になり、信号で止まるたびにアプリを立ち上げて会話を盗み見た。


 雪輝が家に着くころには、ハルキの投稿にアツシ以外にも、同じ中学であろう人たちが三人ほど会話に参加し、美心を貶す会話で盛り上がっていた――







「一年にいる小牧原美心って女子なんですけど、親のせいでとある宗教に入っているんです」

 相談室で神原に詰め寄った雪輝は、その場で端的に美心の秘密を話した。あまりの急な出来事に冴島も止めに入る事が出来ず、雪輝がそう言い終えた後に慌てたように立ち上がった。

「ちょっ、吉祥寺君!?」

「……なんだ? なんなんだ、あかねちゃんまで慌てて。というかそんな事僕に言ってどうしたいんだ?」

 目をぱちくりさせて首をかしげる神原。雪輝の発言よりも、それによる冴島の動揺に驚いている様子だった。

「で、美心はその事を学校でずっと隠してて、今もなお人に知られたくないって思ってるんです」

「それを今思いっきり僕に言ってるが?」

「それでこれを見てください……冴島先生も」


 雪輝はスマホを神原に渡す。冴島も隣に移動して覗き込んだ。映し出されていたのは昨日見つけたハルキという少年の投稿だった。

 その写真と内容を見た冴島は、相談室の扉を開いた時の雪輝と同じような表情見せ、顔を手で覆った。


「このカルトちゃんって言うのは、その小牧原の事か?」

「……はい」

「クズみたいな人間がいるもんだな。読んでて気分が悪い」

 ハルキとアツシを中心に、同級生と思わしき人たちが美心を小馬鹿にして楽しんでいる。その会話をスクロールしていくと、とある投稿が目に入った。



―――――――――――――――

 カルトちゃんが行った高校、もうすぐ文化祭やるらしいぞ。


 まじかwみんなで乗り込むか


 いいねそれw

 文化祭でアイツのカルト教団の事、言い広めてやろうぜ

 俺らがちゃんと、みんなにカルトちゃんの本性教えてやらんとな


 それ最高 笑

 どうせまたハルキの時みたいに無理やり勧誘とかしそうだもんな

 そうなる前に教えてあげないと危険だわ


 じゃあ決定でw

 当日乗り込んでカルトちゃんの本性みんなにばら撒こうぜ!

―――――――――――――――


「……ちょっとこれどうなってるのよ」

 冴島が絶句する。

「昨日名古屋に行ったじゃないですか。その時に美心の中学の時のクラスメイト出会ってしまって、写真を撮られたんすよ。その時オレが消させたハズなんですけど、残ってたみたいで……帰りに偶然投稿を発見して……」

「なるほどな。自動的にクラウドにバックアップ残る設定だったんだろ。消させるだけじゃ甘かったな」

 神原がそう言う。すると雪輝は自分を痛めつける様にギュッと力強く拳を握った。


「……それで先生には、文化祭の時にコイツらが学校に入れないようにしてもらいたいのと、神原先輩には、この投稿を消すことが出来ないか相談したくて早めに来たんです」

「文化祭はちょっと色々考えるけど、まずは何よりこの投稿ね。もし小牧ちゃんが見ちゃったら……どうにかならない? 神原君」

「消すって言ったってな」

 神原は考え込んだ。


「手段は三つある。まずは何とかしてこのアカウントのパスワードを入手し、ログインしてアカウントを削除する方法。二つ目はこのアカウントを凍結させること。そして三つ目。これは投稿を削除するってわけでは無いんだが……一時的に他の人に見られないようにするってだけなら一番現実的な方法で、アカウントに鍵をかけさせるってのがある」

「鍵っすか」

「あぁ。ちょっとまってろ」


 そう言って神原は鞄からノートパソコンを取り出す。

「捨てメアドで、大量のSNSアカウントを開設する。出会い系の斡旋とか、政治アカウントとか、とにかくウザいやつを沢山だ」

 そう言って慣れた手つきで捨てメアドを取得し、アカウントを生成していく。

「botで数日アカウントを育てたらたら、コイツのアカウントをフォローしまくったり、日常ツイートをリツイートしたり、ウザいリプを送ったりするんだ。最初は一軒一軒ブロックしてくるだろうが、そのうち面倒になってアカウントに鍵をかけるだろう」

「うわぁ、陰湿……」

「なんか言ったか?」

 神原は手を止めて雪輝を睨んだ。

「いや何も言っておりません。よろしくお願いいたします」

 頭を下げる雪輝。

「まぁいい。前にやった時に作ったアカウントが家のPCに二十個ぐらい入ってるから、とりあえず帰ったらそのアカウントで嫌がらせを始めるよ。同じIPから一日で大量のアカウントを開設するとすぐに凍結を食らうんでな、毎日五件ずつぐらいアカウントを増やして、育てながら嫌がらせをしよう」

 そう言う間に五つの新規アカウントが開設された。アカウント名は左翼思想の強いもの、FXの斡旋、出会い系、ゲイポルノの動画紹介、サプリメントのサブスクリプションとなっている。


「……すげぇ」

「前は二十アカウント作ってその半分で鍵をかけたから、正直そんなに必要ないかもしれんが、念のためだ。可能ならそっちでもアカウントを作っておいてくれ」

「分かった」

 SNSの方は何とかなりそうだと、雪輝は安堵の息をついた。


「しかし学祭に来られたら元も子もないだろう。その子の秘密を守りたいなら、今から手を打っておいた方がいい」

 そう言って神原は冴島に視線を送る。

「そう言われてもね……。来校は自由になってるし、水際で止めるのは他の先生方と協力でもしないと難しいかもしれないわ」

「……そうっすよね」

「でもそれだと小牧ちゃんの秘密を他の先生方に教える事になっちゃうし……」

「それは流石に仕方ないんじゃ」

「はぁ……正直なとこ、あたしはこの学校の……いや、教師っていうものを全く信頼していないのよ。吉祥寺君も覚えてるでしょ、あなたの事件をこの学校がどう処理したか」


 そう言われて雪輝は黙り込んだ。無言のまま重苦しい雰囲気が続く。

 するとしばらくして相談室の扉が開いた。そこに立っていたのは來華だった。


「おはようございま……どうかしたんですか?」


 來華がそのいつもと違う相談室の雰囲気を察し、不思議そうに三人を見つめたまま扉の前で止まる。


「東雲ちゃんか。おはよう」

 冴島がそう挨拶すると來華も動き出し、いつもの席に荷物を置いて三人の元に歩いてくる。

「吉祥寺君もいつもより早いし、何かあった?」

「まぁちょっと色々とね。東雲ちゃんは気にしなくて大丈夫よ」

 無理に笑顔を作って誤魔化すように冴島は言う。

「あ、彼女も美心の事は知ってますよ。昨日本人から直接。なぁこれ見てくれ」

 雪輝はスマホを來華に渡す。彼女はSNSの投稿を読み始めると、その目つきが段々と教室で見せる冷たいものに変わっていった。

「これ、昨日の人たち?」

「あぁ」

「やっぱ殴っておいてもらえば良かったわね」

「……だな」

「ちょっとちょっと暴力は駄目だかんね」

「分かってます。大丈夫ですって」

「で、これどうするの? 放っておけないでしょ」

「あぁ。とりあえずSNSの投稿は神原先輩とオレの方でなんとかする。しかし学祭に来るうんぬんはなぁ」

「出来れば小牧ちゃんの事はあたし達だけで秘めておきたい。そして彼女本人にもこの事は知られないようにしたい」

「私達だけで解決させるって事ですか?」

 來華が冴島に問う。すると彼女は黙って小さくうなづいた。それを見て雪輝はどこか不安そうにため息をつく。


「正直僕はまだよく把握していないんだが、あかねちゃんが必死そうだし、何かするなら協力はするよ」


 神原がそう口を開いた。

「神原先輩……」

「だが――」

 神原は雪輝の睨めつける。

「君が僕を差し置いて、勝手にあかねちゃんと秘密を共有していたのは途轍もなく気に食わない」

 普段は細めの鋭い神原の目が見たこともないサイズに大きく見開かれ、血走った眼球が雪輝を突き刺した。その眼力に、あははと誤魔化すような笑いを浮かべることしか出来ずにいたが、冴島が後ろから神原の頭を撫でると、すぐにその目はいつものサイズに戻り、雪輝はほっと胸を撫でおろした。

「ありがとね、神原君」

「礼はいいよ。僕はあかねちゃんの味方だから」

 そう言う神原はとても満足そうな顔をして目を閉じた。その様子を見ていた來華は少し引き攣った顔をして「何を見せられているの……?」と小さく声を漏らした。


「とにかくよ」


 仕切りなおすかのように冴島が少し大きな声を出した。

「文化祭までまだ後一か月あるわ。それまでにあたし達だけで出来る限りの対策を練る。それでも無理そうだったら、ひじょーに不安だけど、他の先生方の協力を仰ぐ。それでいい?」


 神原が無言で頷き、來華は雪輝の方を見る。同じく雪輝も彼女に視線を送っており二人の目が合った。


「それで行こう」

「えぇ。このクズ共は絶対に学園に入れさせないわ」

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