小牧原美心はいただきますが言えない 17

 昼休み。

 雪輝はいつもと変わらず、掃除の為に情報棟へと向かっていた。

 しかしその頭の中は文化祭と美心の事でいっぱいで、扉の前で出迎える様に待っていた漆野の笑顔とは対照的に、雪輝の眉間には、力の籠ったシワが寄せられていた。


「こんにちは、吉祥寺君」

「おう。今日もよろしく」

「そんな、こちらこそだよ……って、どうかしたの? なんか難しい顔してるけど」


 漆野の指摘で雪輝は横を向き、ガラスに映った自分の顔を見る。そのまま両手で顔を覆うと、シワを伸ばすように円を描いてこねた。


「ちょっと寝不足かもな」

「疲れてるなら今日は私だけでも大丈夫ですよ」

「いや平気。気晴らしには丁度いいし」

 雪輝は笑ってそう言い、腕をまくった。そのまま情報棟の扉を開けて中に入る。少しずつ綺麗になっているとはいえ、長年使っていなかったこの棟の廊下は、まだ微かに埃のにおいがした。咳き込むほどではないが、どこか郷愁を覚えるその古臭い香りは、まるで学校からこの空間だけを切りとったかのような、不思議な特別感があった。

 雪輝は掃除を行う教室に入る前に、開けっ放しにしてある廊下側の窓に干されていた雑巾を手に取り、無造作に置かれているバケツを拾って水を汲みに行った。その様子を見て漆野も掃除に取り掛かる。遠くで微かに水の音が聞こえ、彼女はその音のリズムに合わせる様にして、鼻歌まじりに、土日で溜まった埃を軽く箒で掃いていく。とても楽し気な鼻歌は、水を汲み終え、教室に戻ってきた雪輝にも聞こえていた。


「なんか楽しそうだな」

「――ひんっ」


 後ろから声をかけられ、漆野は肩を跳ねらせて驚いた。


「び、びっくりしたぁ……って、もしかして、鼻歌、聞かれちゃってました?」

 漆野が振り向いて雪輝を見ると、バケツを下ろした彼の顔は、まるで微笑ましいものを見る目をしており、返事は無くとも自分の顔が熱くなるのを感じた。


「ははっ。なんの歌かは分かんなかったけど、可愛らしい曲だったぞ」

「か、感想言うのは禁止です……!」

「あはははっ」

 笑う雪輝。漆野は後ろを向いて、赤くなった顔を隠した。


「そ、そういえば! 脱出ゲームどうでしたか?」

 しばらくすると、話を変える様に漆野からそう質問が飛ぶ。

「おう、クリアしてきたぜ!」

 得意げに言う雪輝。すると彼女は目を輝かせる。

「本当ですか!? あれ相当難しいって聞いてたんですけど、凄いですね!」

「まぁ俺は殆ど悪霊から逃げてただけだけどな」

「あっ知ってますよそれ、クビキリさんですよね。それが無ければ私も行けたんですけど……」

「そうだなー。怖くないやつ探して、今度は漆野も一緒に行こうぜ。チケットのお礼もしなきゃなんねえしな」

「お礼はいいですけど、遊びには是非ご一緒したいです!」


 漆野がそう言い終えたタイミングで、廊下の方から棟の玄関を叩く、コンコンという音が聞こえてきた。反射的に音のする方を見る二人。すると間髪入れず、元気な女の子の声が響いてくる。


「テルキチいるー?」


 声の主は美心だ。一瞬あのSNSの内容が雪輝の頭をよぎり、震える美心の顔がフラッシュバックするも、続けて聞こえてきた彼女の「開けるよー」という明るい声のおかげで、その表情に動揺の色が現れることは無かった。


「お邪魔しまーす」

 足音と共に、二人の前にひょっこりと顔を出した美心だったが、雪輝はその雰囲気に少し違和感を覚えた。

「あれ……なんか、黒いな」

 挨拶よりも先にそう発する雪輝の視線は、美心の身体に向けられている。

「あぁ、これ? 衣替え、移行期間終わっちゃったしね」

 美心は少し恥ずかしそうに、ワンピースセーラーの裾を引っ張った。

「……もしかして、変?」

「いや、そんな事ないぞ」

 ぶっきらぼうにそう答えると、美心も「良かった」とだけ返した。二人とも昨日の駅での事を教訓に、照れる前に話を切り上げようとしている様だ。


「小牧原さん、ですよね」


 二人のやり取りを見ていた漆野が、小さい声でそう尋ねた。

「そだよ。確か三組の漆野さんだよね。チケットくれた」

「あぁはい、漆野シノです」

 そう言って頭を下げる。

「二組の小牧原美心です。チケットありがとね! 結構怖かったけど凄く楽しかったよ!」

 美心は漆野の手を握ってお礼を言う。

「なら良かったです」

「でも漆野さんも来たら良かったのに……」

「わ、わわ、私は無理です! 多分生きて帰れないと思います!!」

「そんなにホラー苦手なの?」

「苦手といいますか……私の場合最悪心臓が止まってしまいそうで……」

 自嘲的な笑みを浮かべる。


「つか、美心はここに何しに来たんだ?」

 何気なしに雪輝がそう尋ねる。すると何かに反応した漆野の耳がピクリと動いたが、二人はそれに気づくことは無く、そのまま会話が続いた。

「あぁそうそう。隣の部屋借りていいかな?」

 美心が手に持った弁当箱を見せてそう言った。その仕草を見て雪輝は彼女の目的を理解した。

「構わんぞ。今日は多分この部屋の仕上げやってるから」

 暗に漆野がそっちの部屋に入る事はないと伝える。

「ありがとっ。じゃ、また。漆野さんも良かったら今度沢山お話ししよ」

 そう言って手を振る。

「そうですね。私も色々とお話、聞きたいです」

 漆野の発したその言葉は、何故か普段よりも少し低めのトーンで、どこか穏やかではないニュアンスが込められていた。しかし美心も雪輝も気に留めることなく、美心の方はそのまま笑顔で部屋を出て行った。


「さて、仕上げやるか」


 雪輝がグイっと背筋を伸ばすと、その背後に不穏なオーラを感じ取る。

「……ん?」

 振り返ると、目に光を無くした漆野がぼーっと静かに雪輝を見つめていた。


「吉祥寺君……。小牧原さんの事下の名前で呼んでるんだ」


 淡々とした口調で漆野がそう言う。

「え? あぁ、まぁ。色々あってな」

「へぇ色々……色々あっちゃったんですね」

「なんだ? どうした?」

「いいえ。東雲さんとは付き合ってないって言ってましたけど、まさか小牧原さんの方だったとはと、ちょっとびっくりしてるだけです……」

「は、ハァー!?」


 雪輝は顔を真っ赤にして驚いた。

「な、なに言ってんだ。違う違う。美心ともそういうんじゃなくて、ただの友達だって!」

 その友達という関係すら片思いなんだけどなと、雪輝は心の中で思ったが、それを口にする事は無かった。

「本当なんですか……?」

 疑いの視線を向ける漆野。

「本当だ。嘘つくわけないだろ」

「じゃあなんで急に名前呼びになったんですか? この間は確か小牧原って」

「それは……つか、そんなに重要か?」

「重要です!!」

「お、おう……」


 意外なほど食いかかる様子に少し面食らってしまう。しかし名前呼びになった理由には、美心の友達への憧れが関係している。それはつまり彼女が隠している信仰にも関わる事だ。それを言うわけにもいかないと、雪輝は少し悩んだ。


「あれだよ。参加したゲームがさ、結構名前を呼ばないといけないシステムになってて、それがきっかけで呼び方変わったわけ」

 かいつまんでそう説明する。

「そう、なんですか……」

「そうなの。だから東雲の事も今は同じように呼んでるよ。なんか戻すのも変な感じするし。……これで納得したか?」

「しは……しました」

「なら良かった。はぁ、全く漆野は好きだよな、そういう話」

「別にそういう訳では無くてですね……っていや、普通気になりますよ! 急に呼び方変わってたら何かあったって思うじゃないですか」

「そういうもんか?」

「そういうもんなので、気を付けてください」


 顔を背けて漆野は掃除に取り掛かり始めた。どこか少しだけ怒っているような雰囲気を感じた雪輝も、それ以上何も言う事はせず、静かに自分の仕事に取り掛かった。




 時間はすぐに経ち、四十分程の昼休みはもう終了手前になった。

 次の時間が体育だった漆野は、急ぎ気味に恒例の写真撮影を済ませる。

「毎回すみません。片付けをお任せしちゃって……」

「いいってそれくらい。それにしても今日でこの部屋は終わりだな」

 綺麗になった部屋を改めて見渡す二人。

「そうですね。私一人だったら何倍もかかってました……吉祥寺君のおかげですね。改めてありがとうございます」

「そんな改まんなよ。照れる」

「ふふっ」

 漆野が笑うと予鈴のチャイムが鳴り響いた。


「次体育なんだろ? 間に合うのか?」

「あぁ、それなら大丈夫です。……よいしょ」


 そう言って袖から腕を抜き始める。

「え?」

「下に体操服を着ているので、これを脱げば……」

 漆野は制服の内側からスカートを捲り上げ、ワンピースのセーラー服を一気に脱ぎ切った。その時、下の体操着も一緒に少し巻き込まれて、チラッと小さなおへそが晒される。

「ほら、まぁちょっと品のない脱ぎ方ですけど、これですぐに体育に行けますっ」

 と、髪を乱しながらも得意げに言った。

「お、おう。間に合いそうだな」

 内容の薄い受け答えだったが、雪輝の意識は、一瞬見えた彼女のおへそに持っていかれていたため、それも仕方なかった。


「それじゃあ私は行ってきますね。すみませが、後はよろしくお願いします」

 折りたたんだ制服を抱え、漆野は情報棟をあとにした。

 その後ろ姿を見送った雪輝は、バケツを拾い上げて水場に向かう。その先には歯を磨いている美心がいた。


「よう、授業間に合うのか?」

「いひょうひょうひふふふほほらはは」

「なに言ってるか分からん」

 美心はコップの水で口をゆすぎ、改めて言い直す。

「移動教室すぐそこだから大丈夫」

「あぁそっか、次は化学だったか」

 バケツの水を流す。そして新しい水を入れ、中に入っていた雑巾を数度洗う。

「あの部屋大分綺麗になってたね」

「結構頑張ったからな。多分明日からは隣の部屋の掃除になると思うから、昼食で使うなら、今日掃除した方を使ってくれ」

「うん、ありがと」

 雑巾からは汚れた水も出なくなり、最後にまたバケツに溜まった水を流すと、雪輝は水場を出た。横に付いていくようにして美心も歩き出す。廊下に出ると雪輝は、教室側の壁沿いにバケツを置き、開けっ放しの窓に雑巾をかけた。簡単だが、今日は箒と雑巾しか使っていなかったため、これで後片付けは終了だ。棟の出入り口に向かい、「鍵をかけるぞ」と、まだ中にいる美心に声をかけると、弁当箱を取りに右側の部屋に戻っていた彼女が駆け足でやってくる。

 二人は外に出て扉に鍵をかけた。そして美心は化学室に、雪輝は相談室に向かうために移動しようと振り返った時、予想していなかった人物が二人の前を通りかかった。


「……テル」


 顔に包帯を巻いた少年が雪輝に気づき、そう声を漏らす。するとその隣にいた生徒も雪輝の方を見て驚いた顔をした。

「……あっ」


「……タケル、リョウ」

 二人の少年を見て雪輝は名前を呟く。

 この少年たちが、來華の机に悪さをしようとし、そして雪輝に殴られた大宮タケルと笠原リョウだ。


「……」

「……」

「……」


 無言で見つめあう三人。いや、タケルの方は、どちらかというと睨むといった具合だろう。

 その三人の様子に耐えかねた美心が「あはは」と作った笑いを浮かべて間に入る。

「はは、もしかして三人とも、会うの久々だったり?」

「小牧原、ちょっと外せ」

 タケルがそう言い放つ。美心は不安そうに雪輝を見る。しかし彼の方も美心に頷きの視線を送った。

「け、喧嘩はしちゃだめだからねっ!」

 美心は最後にそう言って化学室の方に走っていく。


「……久しぶりだな」

 タケルが先に口を開いた。

「だな」

 ぎこちなく答えると、それだけでもう会話がなくなり、重い空気のまま沈黙が続いた。しばらくすると本鈴が鳴り響く。しかし、三人とも動くことが出来なかった。


「なぁ、テル……あれは僕らが――」

「喋んなリョウ」

 何かを言おうとしたリョウの言葉をタケルが遮った。

「ちょっ、タケっち。いい加減にしろって」

「いいからお前は黙ってろ!」

 タケルがそう言ってリョウを軽く突いた。三人の体格には結構な差がある。一番大きいのは大宮タケルで、百八十センチ超えの身長に、ラグビー部員の様な筋肉質な骨格をしていた。入学当初からその見た目でかなり怖がれていたこともあり、雪輝の事件の噂が、尾びれをつけて広まったのも、この大宮タケルを一発でのしたという事実があったからだろう。体格差順で言うと次は雪輝になる。と言っても彼は標準的な体型で、少し背が高いぐらいの特徴しかない。しかし笠原リョウは、特徴的な小柄体型だった。腕も足も女の子の様に細く、身長は百六十とちょっとしかない。

 今もタケルは本当に軽く制止するようなつもりでリョウを小突いのだが、それでも彼は「あっ」と声を上げて後ろによろめいた。


「リョウ!」

 雪輝が慌てて飛び出す。するとタケルは、動くなと言わんばかりに腕を突き出した。

「なんだよ。殴っておいて今更心配かよ」

「……」

「だからタケっち……!」

 リョウが叫ぶ。するとタケルは腕を引っ込めた。


「あぁもういい。……いくぞ」


 そう言うとタケルは踵を返して校舎に向かっていく。リョウもその後ろを走って追いかけた。途中で一度振り向いて、悲しそうな、申し訳なさそうな顔を見せたが、またすぐに前に向き直った。

 一人残された雪輝。

 『殴っておいて今更心配かよ』

 痛々しい包帯が巻かれた彼の顔とその言葉が、反芻するように何度も脳内に浮かんでは消えた。




 重い足取りで相談室に戻ると、雪輝を待っていたかのように來華、神原、冴島の三人が扉を見つめていた。

「遅かったじゃん」

「ん? どうかしたんすか?」

 雪輝がそう尋ねると、冴島が相談室の前の方を指さした。そこにはペンを持つ來華と移動式のホワイトボードがある。そしてボードには『今後の方針』と題され、沢山の文字が書かれていた。

「小牧原さんの件を、何事もなく済ませる為の作戦を練っていたの」

「昼休みにか?」

「えぇ。私達が出来ることと、それを行ったらどうなるのかを、思いつく限りでシミュレーションしただけって感じだけど」

「それでもこんなに……」

 ホワイトボードには、沢山のアイデアとバツ印が。


「いい、これがゲームだとしたら私たちの勝利条件は三つ。これ以上小牧原さんの秘密を広げない事、小牧原さん自身にこの状況を知られない事、そしてあいつらの来校を阻止する事。このどれか一つでも失敗すれば、彼女はこれまでと同じ生活を送ることが出来なくなってしまうわ」

 來華はキュっと音を立ててホワイトボードにその三点を書いていく。そして冴島が引き継ぐように話し始めた。

「当日の受付で該当人物を来校拒否するにはね、どうしても他の先生方の協力が必要になっちゃうわ。それで理由を話して協力を仰ぐとなると、必ず三者面談が発生する。担任と小牧ちゃんと、その親御さんを呼んでのね。だから受付での対応はやっぱり使えない」

「となるとこの条件を満たす為には……」

 來華がホワイトボードの一部を消して、文字を書き始める。

「一、そもそも来校させない。する気を無くさせる。二、駅から校門までの間で発見し、受付をする前に帰らせる。三、受付を通った後に何かしらの理由をつけてご帰宅願う。この三つの内のどれかね」

「いや、美心の写真がアカシアの救徒のホームページに上がってる。だからもし校内で揉めた時に、その名前を叫ばれただけで美心の秘密は暴かれちまう。たった一言で終わるんだ。出来れば校外で解決したい」

 雪輝がそう言うと、來華はボードに書かれた三番目の案にバツ印を打つ。

 するとここで神原が手を上げた。

「一番の案だが、ちょっといいか」

「えぇどうぞ」

 神原はノートパソコンを見ながら話し始める。

「ずっと件のSNSを見てたんだが、どうもハルキとかいう奴と、その他取り巻きとで空気感に差があるように見えた」

「差?」

 雪輝が首を傾げてそのノートパソコンを覗き込んだ。

「他の奴らは、なんというか、ただノリで話しているような感じだが、このハルキとかいう奴は、何回も小牧原美心に関する恨みつらみを呟いていて、ガチ感が凄い。何があったか知らんが、こいつとその他とでは明らかに目的が違って見える」

 それ聞いて雪輝と來華は昨日の美心の話を思い出した。

「……こいつ昔、美心と一緒に会館に行ったときに、酷い勧誘を受けてトラウマになったんだ」

「なるほどな。まぁそれが原因かどうかは知らんが、とにかくこいつの目的は復讐。取り巻きの目的は暇つぶしってところだろう。この空気感の差は大きい。SNSを見る感じ、今ですらこのハルキとかいう奴は、昨日と比べると少し周りに引かれ気味だ。だとすればだ、ここに来るのを面倒くさいと思わせる事が出来れば、少なくとも周りの取り巻きは下ろすことが出来るんじゃないのか? やつは一人でも来るだろうが、それでも大勢で来られるよりかはやりやすい」

「私と吉祥寺君なら彼の顔を見ているし、来るのが彼一人になるなら、校外で対処できるわね」

「でも面倒くさく思わせるって、どうやって?」

 冴島がそう質問すると神原は少し考えこんだ。


「……ここって確か」

 神原はノートパソコンを見つめて呟いた。

 そしてブラウザを立ち上げ、何やら検索を始める。


「なんか見つけたんすか?」

「これを見ろ。SNSでハルキの投稿につるんでた連中だ。この三人は同じ高校に進学している」

「それが一体」

 すると画面を、先ほど検索したページが表示されているブラウザに切り替えた。

「で、これがその三人の通っている学校のホームページ。私立だからもしかしてと思ったんだが、予想通りだった」


 表示されているページには『第一、第三の土曜授業』と書かれている。


「土曜授業? でもうちの文化祭は確か」

 雪輝がそう呟くとホワイトボードの前で來華が「第二土曜よ」と答えた。

「つまり文化祭の開催を一週間遅らせられればって事か。いや流石に無理だろ」

「どうかしら。爆破予告でもすれば延期になりそうだけども」

「おう、じゃあ言いだしっぺに頼んだわ。大物政治家の娘が爆破予告かぁ。すげぇスクープになるな」

「……謝るわ」

 來華がそう言うと、雪輝の乾いた笑いが響いた。


「あっ!」


 雪輝の笑いをかき消すように、冴島が声を上げて立ち上がる。そのまま棚に向かい、引き出しを開けてなにやら資料を漁り始めた。

「確か数年前に……あったあった」

 そう言って一枚の紙を取り出し、三人に見せる。


「あたしが来る前の事なんだけど、四年前に文化祭が延期した事例があったわ」


 差し出された紙を受け取り、雪輝が読み進める。

「台風により展示物破損の為、開催を一週間延期……意外ですね、こういう理由でも延期するんだ」

「相談室生活の吉祥寺君達は知らないかもだけど、うちの文化祭ではね、毎年三年生が神輿を作って、当日にそれを担いで町内を回るっていうメインイベントがあるの。この時はその作りかけの神輿が壊れちゃって、協議した結果、これが無いと文化祭をやる意味がないって事で、完成に合わせて延期したんだって」

「なるほど……」

「それ、使えそうですね」

 來華はそう言ってホワイトボードに『神輿を壊す』と書く。


「……でもそんな事。人がせっかく作っているモノを壊すなんてな」

「まぁ、やりたくは無いわよね。でもやむを得ない事情で完成が遅れたら、どう?」

「んなこと出来るんすか?」

「こないだのゲリラ豪雨覚えてるわよね」

「えぇ、午後から急に降ってたやつですよね」

「実はあの時、作業場に使う予定だった倉庫に雨漏りがあったの。その修理が今週末にあるのだけど、修繕内容によっては数日かかるみたいでね」

「つまり雨漏りの部分を広げればって事っすか」

「そ。結構古い建物だからクロスもボロボロで、これを機に綺麗にしたいって意見も教員内で上がってたところだし、今のところは雨漏り部分だけを修理って話なのだけど、雨漏りの個所が増えれば、修理が一週間ほど伸びる可能性があるわ」

 すると神原がまたノートパソコンでなにやら検索を始める。見ていたのは天気予報。

「幸運なことに今週の木曜がまた雨だ」

「ピッタリじゃない。雨漏りの個所を増やして、修理を伸ばす。それなら延期の決定が出る可能性は大いにあり得るわ。つか、あとはあたしが根回し出来る」


 雪輝と來華がお互いを見合う。そして小さく頷いた。

「それで行きましょう。可能性があるなら、やる価値はあるわ」

「そうだな」


 するとまた神原が難しい顔をする。

「だが問題はどうやって倉庫に入るかだ。あそこは基本的に立ち入り禁止だろ」

「俺の校内清掃で入れないか?」

「それは無理かもね、雨漏りの件で掃除は必要ないって言われそうだし」

 冴島がそう答える。


 するとその時、流しっぱなしだった來華の、授業の様子が映っているタブレットから、歓声が聞こえてきた。

 ふいに四人の意識がそのタブレットに囚われる。


『次回の授業は、今回勉強した気体の膨張の実験で、ペットボトルロケットを制作します。なので化学室ではなくて、第二校舎裏の倉庫に集合してください』


「あっ!!」

 雪輝が思わず声を上げた。

「なんちゅータイミング」

 冴島もそう言って笑顔を作る。


「來華、次の俺たちの化学の時間って」

「ちょっと待って……水曜日ね」

 來華が予定表を確認して答える。

「冴島先生……!」

 雪輝が何かを頼むように冴島を見た。


「……授業復帰させてくれって顔ね」

「いいだろ、もう一か月近く奉仕活動したんだし」

「とは言ってもね……気づいてるとは思うけど、あなたの謹慎を完全に解くには、あの二人との和解が条件になっているのよ。分かるでしょ、また揉めて『あの事件』がぶり返されるのを学校が恐れているの」

「……」

「……出来る?」


 冴島のその問いに、雪輝は先程のタケルの顔と言葉を思い出す。一瞬不安の色が顔に現れたが、それを払いのける様に手に力を込めた。


「話し合いますよ。明日までにタケルとリョウに、謝る。謝って、そんでちゃんと元に戻る。いずれやらないといけないんだ。後伸ばしにするのは、もうやめる」

 力強くそう答える。その顔を見て冴島は少し悩んだ。そしてしばらくして「わかったわ」と小さく首を縦に振った。


「方針が決まったな。僕の方はSNSを担当する。アイツのアカウントに鍵をかけさせたうえに、他の奴らの動向も伺っておくよ」

「頼みます、先輩」

 雪輝はノートパソコンを広げる神原の肩を後ろからパンパンと叩いた。

「鬱陶しい。僕は別に君の為にやってるわけじゃないからな」


 希望が見えてきた、と。そういう雰囲気だ。


 しかしその中で、來華だけは何故か、少し複雑な表情で雪輝の事を見つめていた。


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