小牧原美心はいただきますが言えない 15

 中心街から外れると、その景色は一気に見慣れたものとなった。

 幅のある県道を挟んで、両脇に飲食のチェーン店やコンビニ、カーショップや中古ショップが並んでいる。目を細めて眺めると、まるでいつもの地元にいるような、どこにでもある郊外の景色だった。少し歩くと庄内川が見える。そこだけが唯一、雪輝に遠出をしているという実感を与えていた。


「ここだよ」


 美心はそう言って白い建物の前で立ち止まる。コンビニと英会話塾に挟まれ、そこまで立派な建物とは言えない見た目をしていたが、小奇麗な二階建てのその会館の入り口には、美心が持っていたペンダントと同じマークが記されており、アカシアの救徒と書かれた看板も出ていた。

 扉を開けると玄関には数人分の靴があり、三人もスリッパに履き替える。すると奥から五十代ぐらいの和装の女性が顔を出した。


「あっ、おばさん! お邪魔します」

「あら、美心ちゃん。いらっしゃい」

 そう言うといそいそと玄関の方までやってくる。そして雪輝と來華を見て「そちらの方々は?」と美心に尋ねた。

「高校の子たちだよ」

「お、お邪魔します」

 雪輝が軽く会釈する。

「まぁ、美心ちゃんが人を連れてくるなんて小学生の頃ぶりね。入って入って」

 そのおばさんは気さくにそう言い、奥の部屋に入る様に促す。

「紹介するね。この人は園田さん。えっと、一応この会館の管理人、でしたっけ?」

「管理人というか、住まわせてもらってるだけなんだけどね。そちらのお二人は?」

「吉祥寺です」

「東雲です」

 園田と呼ばれたその女性はにこっと笑い「いらっしゃい、吉祥寺君、東雲さん」と優しく頭を下げる。

 三人は園田の後について奥の部屋に入った。十五畳ほどの畳張りの部屋には、他にも数人が座禅を組んで静かに瞑想を行っている。

 その姿を横目に、雪輝達と園田も部屋の隅で腰を下ろした。


「今日ママは?」

「優香さんは今日夜遅くなるらしいよ。お仕事があるんだって」

「そっか。パート始めたって言ってたもんね」

「ところで、本当に久しぶりね。美心ちゃんがこうやって新規の方を連れて来てくれるなんて」

「あっ、その事なんだけど……なんて言うか、今日は二人とも見学みたいな形だから、あまり細かい話はしないであげてもらえるかな……?」

「あらそうなの? ……そうね、分かったわ。二人もくつろいでいってね。後で食事持ってくるから、みんなで食べましょ」

 そう言うと園田は立ち上がり、部屋を出て行く。

 静かな空間で、雪輝と來華はどこか落ち着かない様子を見せていた。


「あ、二人とももっと楽にしていいよ」

「お、おう」

「そうね。でもなんだか緊張するわ」

 雪輝と來華は控えめな声のトーンでそう話す。

「そんなに緊張しないで。静かな部屋だけど声も普通に喋って大丈夫だから。ここにいる人たちはみんな小さい頃からの知り合いだしね」


 雪輝は周りを見渡す。部屋の前の方で五人組が座禅を組んでいた。普通に話していいとは言われたが、どうもそんな気分にはなれないような、そんな厳かな雰囲気に包まれている。

 しばらく黙って座っていると、その五人組は瞑想を終えたのか、一人が後ろに振り向いて美心に手を振った。


「やあ美心ちゃん。今日は二人も連れて来てて凄いね」

「違うの。ちょっと色々あって、ここで食事する事になったんだ」


 そう言うとぞろぞろと五人が美心達の元に集まってくる。來華が少し不安げに雪輝のそばに肩を寄せた。


「そうかい、まぁいいんじゃないかな。それも立派な救心活動だと思うよ」

 その男もまた優しい表情を見せる。

「じゃあ僕らはちょっと園田さんの手伝いをしてくるよ。そちらの方々も、ゆっくりしていってね」

 そう言って五人は部屋の外に出て行った。そのタイミングで來華は肩の力が抜けたように足を崩す。


「ふぅ……」

 部屋には三人だけとなり、來華の少し疲れたようなため息が響き渡った。


「ごめんね、ちょっと息苦しかったよね」

「いいえ大丈夫よ。小牧原さんの言う通り、想像してたよりも穏やかな人たちね」

「そうなの。まぁ色々あったから、多分私が連れてくる人にはそんなに熱心に布教活動はしないと思う」

「色々?」

「うん……。さっきビルですれ違った人いるじゃん。あの坊主の人がね、実は小学校の頃は結構仲良かったんだけど、ここに連れて来た時にみんな凄い勢いで布教活動をしちゃって、それで途中で逃げちゃったんだ。それがきっかけで、私も学校であんな感じになっちゃったから……会の人たちもそれを知っててね……」

「そうなの……」

 その話を聞いて雪輝は、あの時去り際に少年の言った「お前ら、カルトちゃんの事どこまで知ってるか知らんが、あんまり関わらない方がいいぞ」という言葉を思い出した。少し引っかかってはいたが、恐らくこの事を言っていたのだろうと納得した。確かに小学生がこういう場所で、大人にこれまでとは違う価値観の話を熱心に聞かされたのかと考えると、そうなってしまう事も仕方がないように雪輝は感じた。


「その後すっごく怒って、以来私がここに人を連れてくる事なんて無かったから、むしろ会の人たちの方が緊張してると思う」

 美心はそう言って笑った。

「じゃあここに来る前に、美心が言い淀んでたのってその事があったからなのか」

「あはは。ちょっと不安だったのバレてた?」

「えぇ。多少はね」

「ははは……お恥ずかしい」

 そう言って美心は頬を掻く。すると廊下から園田が食事を運んで入ってきた。


「はーいちょっとごめんね。あ、美心ちゃん、机出してくれる?」

「うん、分かった」

 美心は立ち上がって、部屋の隅にある折り畳みの長机を動かす。雪輝もそれを手伝おうと腰を上げ、美心の反対側を持ち上げた。

「ありがと」

「構わんよ。食事頂くわけだしな」

 部屋の中央に設置した机に、次々に食事が運ばれてくる。伊勢海老に刺身、揚げ物からローストビーフまで、まるで料亭の様な光景に雪輝は目を見張った。


「すげぇ豪華だな」

「これ殆ど園田さんの手作りなんだ。凄いでしょ」

「あぁマジですげぇ。毎週来ようかな」

「あはは、嬉しいけど。こんだけ豪華なのは月に一度だよ」

「今日は特別なのか?」

「うん。最高預言者様がお見えになるんだ」

 それを聞いて雪輝はサイトで見た写真を思い出す。

「あぁ、あの啓示を受けたっていう」

「え? 知ってるの?」

「ネットのサイト読んだんだ」

「うそっ、あれ読んだの?」

「あぁ、美心の写真も見たぞ」

「げっ、あの写真恥ずかしいから見ないでよぉ……」

「いやいやいい写真だったじゃん」

「……くぅ。外してってお願いしてるのに、若い子少ないからってずっと使われてるんだ。せめてもうちょっといい写真にして欲しいのに……」

 恥ずかしそうに言う美心に雪輝は笑った。

 すると廊下からまたぞろぞろと人が入ってくる。さっきの五人組だけではなく、いつの間にか人が増えており、しめて十数人が部屋に入った。するとさっきまでとは打って変わって、辺りが少し騒がしくなる。

 入ってくる人はみんな美心に挨拶をしたり、立ちながら雑談をしたりする。雪輝と來華は、少し離れた位置からその様子を眺めていた。


「みんな親戚みたいな感じだな」

「えぇ。なんて言うか、こういうの悪くないわね」

「確かにな。つか來華もこういう集まり結構あるんじゃないか?」

「そうね。毎年年末とかは、お父さんの政治家の集まりに参加させられたりとかするけど、あれは気を遣うばっかりで、あんな風に笑えた試しなんかないわ」

「それはお前の素が仏頂面だからだろ」

 そう言うと恒例の様に雪輝は蹴られる。

「だから痛いって」

 そんなやりとりをしていると、男性が一人雪輝らの元にやってきた。


「美心ちゃんから話聞いたよ。今日は来てくれてありがとね」

 來華が雪輝の背中に隠れるように身を寄せ、男の言葉には雪輝が応えた。

「あぁいや、こちらこそ。こんな豪華な食事いただく事になってしまって、ありがとうございます」

「気にしないでよ。没心人に手を差し伸べるのが、僕らの活動だから。あっ、没心人が何かは聞いてる?」

「はい一応」

「そうかそうか。今日はあまり深い話はしないようにと美心ちゃんから釘を刺されちゃってるけど、でも出来たらちょっとでも、心の在処と宇宙の始まりについて考えていってくれると嬉しいよ」

「は、はい」

 すると少し離れた所で美心が「浅野さん!」とその男性の名前を呼ぶ。振り返ると美心が少し頬を膨らませてその浅野さんを睨んでいた。

「あははは。美心ちゃんに怒られちゃうから僕はもう行くね」

 そう言って男性は他のグループの元に去っていき、そのまま席に着いた。


「ごめんね、なんか変なこと言われた?」

 美心が申し訳なさそうに二人の元にやってくる。

「いや全然。つか、そんなに気を使わなくていいからな」

「でも……」

 美心の中では、余程その小学生時代の失敗が頭に残っていたのだろう。やたら不安そうにしていた。

「……はぁ」

 雪輝がどこか呆れた様にため息をつく。

「あのな。今更俺らがアイツみたいに逃げて、美心と距離を置くようになると本気で思ってるのか?」

「……でも」

 美心が俯く。


 雪輝が次の言葉をかけようとした時、周りのざわめきがぴたりと止んだ。そして一呼吸置いたのちに「お越しいただきありがとうございます、最高預言者様」と揃った大きな声が聞こえてきた。

 美心もその声で振り向いて、少し遅れて同じ文言を繰り返す。そして慌てたように頭を下げた。


 入ってきたのは雪輝がネットで見た写真、そのままのお爺さんだった。一見最高預言者という呼び名に違和感を覚えるような、そんな普通のスーツ姿ではあったが、その顔や姿勢、身体にまとう雰囲気には、どこか常人離れしたような何かを感じさせられた。カリスマ的なオーラと言うのだろうか、そんなことを雪輝は考えていた。

 その人は軽く会釈をしてから、園田の案内に従って用意された席にゆっくりと腰を下ろして胡坐をかく。先ほどまでの騒がしさが一気に消え、ピンと張りつめたような空気が少し不気味だった。美心もその場で腰を下ろして姿勢を低くし、同じようにするようにと雪輝と來華に目を配った。


「ごめんね、食儀が始まるからしばらくそのままで見てて」


 美心が小声でそう言う。

 気づいたら周りの人たちも皆頭を低くしていた。二日前、体育倉庫で見た光景を雪輝は思い出す。あの時と同じように、今隣で美心は額を床につけている。その異様ともいえる非日常的な光景に、來華は少し戸惑った様子を見せたが、膝を擦って雪輝の横に移動すると、部屋の端っこで二人は静かにその様子を見守った。

 十五分ほどだっただろうか、それは雪輝らにとっては不思議な時間だった。大人が十数人も首を垂れ、静かな部屋に聞いたこともない言語が呪文のように流れている。息の詰まる様な神聖さと不気味さの入り混じった、奇妙な体験だった。



 食儀を終えると最高預言者が話をし始めた。大阪で行った救心活動の成果報告、勉強会の案内、新しく建てる会館の事など、どちらか言うと事務報告の様な内容で、聞いていて少し意外に感じた。その話が終わると食事が始まる。その頃には美心も立ち上がり、部屋の隅に移動していた雪輝らの手を引いて机に向かった。

「さ、二人とも待たせちゃってごめんね。食べよっか」

「えぇ」

 横並びで席に着き、三人は食事に手を付ける。


「よっし。いただきます」


 雪輝がそう言った瞬間。何故か周りが静まり返った。

「……ん?」

 不思議そうな顔でキョロキョロと視線を泳がす雪輝。すると周りの人たちがみんな自分を見ていた。

「え、なんかマズった?」

「あの、すみません。この子たち今日見学みたいなもので、食儀の作法もまだ知らなくて」

 美心がそう説明すると、最高預言者の男はにこっと微笑んで雪輝に「こちらに来なさい」と声をかけた。

「オレですか……? は、はい」

 不思議そうに立ち上がり、男の前で腰を下ろす。

「君は今、いただきますと言ったね」

「えぇ」

「何を想いながらそう言った?」

「想いながらですか……?」

「そうだ、正直に答えなさい」

「……うぅん」

 腕を組んでうなりを上げる。どこか上の方を見て考えている仕草を見せるが、答えが出ないのか、眉間にはシワが寄った。

「……特に何も考えなかった、です。あぁ、最初に何食べようかなとかは考えていたかも」


 軽い口ぶりでそう言った。すると離れた所で美心が顔を真っ青にして「……テルキチぃ」と息荒く呟いたが、それは隣にいた來華にしか聞こえない。


「そうだろうね。君は正直でいい子だ。見ない顔だけど、美心君が連れてきたのかな?」

「は、はいっ」

 美心が緊張気味に立ち上がって答える。

「し、失礼を働いてしまい申し訳ありませんっ」

 そう言って頭を下げた。すると男は少し笑って「顔を上げなさい」と応える。


「君、名前は?」

「吉祥寺です」

「名前を聞いているのに苗字を答えるとは、変わった子だね」

「あぁ、名前は雪輝です」

「ふむ、雪輝君。我々を知ってもらうために一番最初にこれを教えよう。アカシアの救徒では『いただきます』という言葉を禁止にしているんだ」

「禁止。何故ですか?」

「君の様になるからさ」

「オレの様……?」

「そうだ。改めて聞くよ、君はどうして食事の時にいただきますと言う?」

「えっと、どうして……ですか。作ってくれた人と、いただいた命への感謝の為にですかね」

「立派な事だ。だが、さっき君が言った『いただきます』には、その気持ちは込められていなかったように思うのだが、どうだろう」

 そう言われて雪輝は、男の伝えたいことが何となく分かってきた。

「言葉に込めるべき意味を理解していても、人というものはすぐに中身を見失う。心を無くしてしまう。さっきの君の様に、形骸化した言葉だけで生きている人たちを、我々は没心人と呼んでいるのだよ。いただきますと言う言葉は、食欲と言う本能を前にあまりにも手軽すぎる。心を没してしまいがちな言葉だ。だから我々は禁止にしたのさ」

 雪輝は言い返すことが出来なかった。

 概ね男の言う事に理解を示してしまっていたのだ。美心から没心人の話を聞いた時、サイトで救徒の説明を読んだ時、自分が心の無い器だけの存在と書かれている事に、どこか馬鹿げた話のように感じていたのだが、今の男の話にはどこか説得力のようなものを感じてしまっていた。


「君は自分に心があると思うかい?」


 その問いに雪輝は少し迷ったが「はい」と答えた。


「しかしそれは本当に君の心なのかな? 例えば君に好きな人がいるとする。愛という気持ちは君の心から生まれる想いなのか、それとも性欲から生まれた衝動なのか、それとも、寂しさや共に過ごした時間という環境から生まれた依存なのか、それを判断する事なんて出来やしないだろ?」

「……」

「君が自分の心だと感じているものはとても脆弱で虚ろだ。しかし心が虚ろでも考えることはできる。アーカーシャのクオリアが人を作ったとき、心とは別に脳という器を与えた。自分と同じ、宇宙を模して脳を作ったのだ。永遠に広がる思考の宇宙で、心を探してみるといい。我々はその手伝いをしよう」


 そう言うと男は雪輝を美心達の元に返し「さぁ、食べましょう」と仕切りなおした。二人の元に雪輝が戻ると、來華が自分の寿司を一つ雪輝の皿にのせる。不思議そうに雪輝が「どうした?」と尋ねると、彼女は「あとちょっとで私がああなるとこだったわ。馬鹿みたいに大きな声で言って、先に叱られてくれたお礼よ」と小馬鹿にするように笑った。



 食事を終えると時間は二十時を過ぎていた。そろそろ行くかと雪輝が言う。

「そうね、帰りましょうか」

「あ、ごめん二人とも。私は今日泊まっていくから二人で帰ってよ」

「そうなのか。分かった」

「ごめんね、あと今日はありがと。なんだか凄く色々あったけど、楽しかった」

「オレもだよ」

「……私も」

 雪輝と來華が答えて立ち上がる。

「じゃあ帰るか」

「玄関までお見送りするね」

 三人は玄関に向かった。途中で園田がやってきて、残ったお寿司を包んだ手土産を持たされた。やっぱりなんか親戚の家みたいだなと雪輝はまたそう思った。


 外に出ると風が冷たかった。庄内川が近いせいだろう。


「じゃあ、小牧原さん。また……」

「うん、また明日ね」

 美心が手を振る。雪輝と來華は県道沿いに来た道を戻ってゆき、その背中を美心は見えなくなるまで眺めていた。


「……また、か」


 美心は過去の光景を思い出す。ここにあの坊主の少年を連れてきた時は、彼の帰る姿も見ることは出来なかった。そんなことを何となく思いながら、また会館の中に戻っていった。



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