8.二十日目


 科学者の培養するパルダリウムに、なぜか今日はユムシが入っていました。淡水でも生きられるのか、というかそもそもなぜむき出しのユムシがケースの中にいるのか疑問でしたし、第一気持ちが悪い。でも、科学者がそれをピンセットでつかみ上げた瞬間ギイギイ物凄い音で鳴きわめくものですから、より一層気味が悪いし、恐怖すらありました。とりあえず霧吹きを吹きかけて様子を見ることにします。照明を消して、就寝。

 翌朝。物がひび割れる音で目覚めた彼は、水槽から今にもはちきれんばかりに膨張したユムシを見たのです。

「あああああ! やめて!」

 自分が何を叫んだのかもわからないままカッターを突き付けました。すると皮の中から大量のウマビルが。自室を飛び出して両親に忠告しますが、なぜか家族は一人もいません。寝巻のまま急いで家を飛び出すと、いつの間にかより巨大に膨張したユムシが家を壊して出てきました。しかも何だか一匹ではありません。二匹三匹と、無限に建てに連結した巨大ユムシです。重力につぶされることなく、巨大な口で何もかもを食べつくしながらこちらへ向かってきます。轟音と激震。住民もなぜかいません。ここには自分だけ。助けて!――


「科学者! 起きて」

「ん、う」

「この音、揺れ。感じるっしょ? デカいやつが来てんだって!」

「ユムシ!」

「はあ、何それ? とにかくほら」

 叩き起こされて拠点を飛び出ると、向こうの方に辛うじて大船のような塊が見えました。少し近づいてきたことでそれがキャタピラで動いていることがわかりましたが、上はどう見ても船です。船首でバリバリと気持ちいいくらいに物を掻き分けていきます。

「ちょ、ちょっとさ、もしかしてあれ、人が運転してるんじゃ」

「それはそうだと思うけど」

「皆さん、船の人間に話してみません?」

 そうなればもう話が早いので、拠点のことなどいざ知らず一目散に追いかけます。それにしても近づけば近づくほどに大きな船体と轟音に、三人だけではなく周りからも人が集まってきました。彼らもこの船のことが気になるでしょうし、あわよくば乗りたいと企んでいるのでしょう。

 ついにその大船が止まったと思うと、中から三人の男女が出てきました。ジャンクから飛び出していたプラスチック製タンクの中を匂うと、タンクごとまた持って帰ります。

「あのー、すみません、ちょっとお尋ねさせていただいても」

 無視です。

「聞かなくても、彼らが何者かは分かったけどね」

 元カノが指さす向こうには、旗が掲げられていました。ノアの方舟と達筆に書かれていることから、彼らの選民思想的性格や宗教理念すらもわかってくるようでした。

「そっか、あまり、ぼくたちを乗せてくれる気は、なさそうだよね」

「いちいち目につく人のせてたらすぐパンパンになるし」

 ため息をつきながら、三人は意気揚々と走り去るノアの方舟を見送るのでした。腰かけているものは愛眼生体の雛形ドール、もちろん故障したものです。皆口にわざわざ出そうとはしませんが、そういった周囲への認識も弱るほどに、彼らの失意は大きい物でした。沈黙が続きます。船のもたらす刺激的な音が薄れていきます。

「科学者……? 科学者じゃない」

「え」

「科学者!」

「ん、ちょっともしかして……知り合い?」

「ええ、私科学者の母です。皆さんは、科学者のお友達ですか、お世話になっております」

 深々と頭を下げる、お淑やかな女性でした。彼女もノアの方舟の異常な騒音に釣られてやってきた人々の一人で、物津波によりついぞ合流することが出来なくなっていた科学者の母親だったのです。

「パパは」

「主人は、残念だけど見てないの」

 突然すぎる出来事に誰もが信じられないと言った表情です。二人の間には純粋な親子の愛とやりとりだけがあり、嘘や誠など、そういった概念すらありません。一行は何のためらいや疑いもなく、この女性――名を家内と言います――を仲間に加え入れることにしました。元カノは性格の合わなかった姉を思い出し、社会人は聡明でいて料理が上手い祖母に思いを馳せます。

 ところで、拠点となる金属の半ボールは四人で寝るにはかなり狭いというか場合によっては不可能な狭さだったので、人数が四人になった以上、今日から夜は誰かしらが交代制で見張りをすることにしました。今まで幸運なことに盗みなどされなかったとはいえ、科学者の作り出した品々は希少性が高いものばかりです。用心するに越したことは、無いと言えます。

「そうだ! 家内さん、初めまして。わたくし夢の島旅団の社会人、と申します」

「あらあら、名刺なんか持ってるんですね。受け取っておきます」

「ありがとうございます、今後とも、よろしくお願いさせてくださいませ」


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