野山の異世界無双

神獣生まれる(いや珍獣か?)

 それは嵐の夜だった。


 暗い洞窟から苦しそうな唸り声が響く。


 風は吹き荒れ木々を揺らしながら不気味な音を立てる。雨は地面を抉るように叩きつけ葉っぱや石に当たり風と共に恐怖の音を奏でる。それはまるで獣の唸り声のようで洞窟にいるのが人であるなら恐怖で震えていたことだろう。


 だが洞窟で雨風を凌いでいたのは二匹の獣であり、嵐など何度も経験しており常に命の危険と隣り合わせで生きてきた獣にとってはなんてことのない日。

 そんな獣であっても新たな命を生むのは自分の命を懸けた危険な行為。


 横たわり苦しそうに息む一匹の獣を、もう一匹の獣が心配そに見守り、時々舐めては毛づくろいをし寄り添う。

 二匹は野犬というには大きく、どこか狼を彷彿させる姿をしていた。狼が絶滅したとされる日本において彼らはその血を宿しているのかもしれない。

 人里離れ山奥で過ごしてきた彼らにとってそんなことはどうでもいいことではあるが。


 嵐が起こす暴風雨に加え、いかずちが空を切り裂き始めたとき、嵐の中に小さな声が混ざり始める。


 きゅうきゅうと鳴く声は小さくとも、この世に生まれ激しい嵐に負けない強さを見せる。


[あなた、見てこの子]


 横たわったままの母犬が一匹の子犬を鼻で押し父犬に見せる。


[赤毛か、珍しいな]


[ええ、でも赤い色は森では目立つから心配だわ]


 心配そうに母犬が赤毛の子犬を鼻で撫でたとき、赤毛の子犬はゆっくりと目を開ける。普通生まれたばかりの子犬が目を開くのは十日ほどかかると言われている。初めての出産ではない母犬は正確な日にち等は知らないが、それが早いことは分かった。


 赤毛の子犬は自分の手をじーと見つめ、自分の顔を肉球でぺたぺたと触れ始める。そして母犬と父犬を見て、自分の顔をぺたぺたと触ってもう一度母犬たちをじっと見る。


「なんじゃこりゃあああああっ!!」


 赤毛の子犬が叫ぶ。


 だがそれは人の言葉。母犬たちは何を言ったか分からない。


[まあ、なんて元気な鳴き声なんでしょ!]


[ああ、この子は強い子になるぞ]


 嘆きの雄叫びを上げる赤毛の子犬とは対照的に、親犬たちは元気いっぱいな我が子の力強い鳴き声に喜ぶのである。



 * * *



 大きな灰色の犬の後ろを赤毛の犬と黒い犬が静かに並んで歩く。


 灰色の犬が止まると、後ろをついていた二匹も静かに歩みを止める。黒い犬が赤毛の犬にそっと話し掛ける。


[にいにっ、えさだ]


[ああ、ここは父上に任せよう]


 人の世界に生きるものたちと違い、基本獣は名を持たない。子犬の中で一番体が大きく強い犬は自分で自分の名前を付ける。転生特典によりこの世界における言葉を全て網羅した彼は『断つ者』の意味を持つ『シュナイデン』を元とし、自身を『シュナイダー』と名乗る。

 だが、元々名前など持つ習慣のない親、兄弟たちからは『にいに』と呼ばれるので心の中で名乗っているだけだ。


 彼は前世ガストン・と呼ばれていた。犬として生まれ変わったことに驚きはしたが、生をうけたものは仕方ない。ここでの生活と犬としての人生を堪能してやろうと前向きに生きることにしたのだ。


 この日は父犬から狩りを実践形式で教わっており、シュナイダーを含めた五匹の兄弟藪の隙間からことの成り行きを見守る。


 父犬は灰色の毛並みを僅かに揺らし藪の隙間を縫うように走ると、地面を力強く一蹴りする。

 タンッと音がしたときには獲物であった野ウサギは、父犬の牙に貫かれ今日の夕食へと姿を変えていた。


[すげぇー!!]


 兄弟たちは藪から飛び出すと父犬の元に駆け寄る。飛び出て来た子供たちに一瞬微笑む父犬だったがすぐに険しい顔つきになると叫ぶ。


[お前たち隠れろ!]


 突然大声を出す父犬に何事かと驚く子犬たちの中で、シュナイダーがいち早く意図を理解する。

 小さな鼻に突き刺さる危険な匂い。前世ではそこまで活躍する場が少なかった嗅覚による危険予知。魔力がない世界における危険を察知できる新たな能力に感心しながらも、背中に刺さるような殺気に自然と毛が逆立つ。


 シュナイダーが未だ戸惑いその場をウロウロする兄弟の首を噛むと、首を振り後方の藪へと次々と投げる。


 最後の兄弟の首をくわえたとき木々の間から大きな黒い影が飛び出てくる。2メートルはあろうかという体を更に大きく見せる為、太い腕と凶悪な爪を出して威嚇してくる熊に父犬が果敢に飛び掛かる。


 父犬は他の犬に比べ大きくても、熊からすれば些細な違いで取るに足らない生き物。太い腕で自分に纏わりつく父犬を振り払うついでに地面に叩きつける。

 きゃんっと鳴く父犬を見た後、熊は周囲に目を向ける。父犬も食えるが、なによりも丸く柔らかそうな子犬たちの存在を確認して、今宵の豪華なディナーを想像し、テンションが上がりってしまい吠える。


 まずは手始めにと、すぐ目の前で兄弟と思われる子犬を口にくわえた赤毛の子犬を前菜にしようと手を伸ばす。


[逃げろぉ!!]


 背中から叩きつけられまだ息も上手く出来ない父犬が力を振り絞って叫ぶが、熊の手は無情にも伸びていく。

 死なない程度に叩いて弱った子犬を口へを放り込む。そうしてやろうと子犬に向かって叩きつけた手は空を切り、代わりに地面の土を叩いて乾いた音を立ててしまう。


[うむ、風の魔法の扱いはまだ上手くいかないが、体に魔力を流すことは出来るか]


 ぶつぶつと呟く子犬が何を言っているか理解できるわけもなく、熊は再び前菜を捕まえようと両手を広げシュナイダーへ向かって突進する。


 シュナイダーは口にくわえていた兄弟を投げ藪へ放ると、小さな牙を剥き出し丸い目を僅かに鋭くし熊を睨む。


 一撃目に振られた腕を避けその手首を蹴ると、空中で回転し二撃目の腕を避ける。だが、熊も攻撃を緩めず空を切った腕の勢いを生かし、体を回転させ下から振り上げた三撃目は空中に身を置くシュナイダーを確実に捕える。

 確実に捕らえたと誰しもが思った瞬間、シュナイダーの小さな足が何もない宙に触れると空気が歪み小さな波紋が生まれる。そのまま宙を蹴ると真横へ一直線に飛び、熊の渾身の一撃を避け宙にしがみつく。


[うおっ!? どっちが上か下か分からなくなるぞ]


 実際は空気を掴んで張り付いているのだが、父や兄弟、熊から見ればシュナイダーは浮いている様にしか見えない。意味の分からない光景に目を丸くし、口を開ける一同だが、そんな視線など気にもせず、宙で屈んだシュナイダーが勢いよく弾ける。


 この場にいる誰しもが見たこともない現象に、熊は一瞬反応が遅れてしまう。本の一瞬だがそれは自然界では命取りとなる。


 空中に赤い線が引かれると、シュナイダーの頭が熊の頭部へヒットし空気が弾け衝撃波が広がる。


 子犬の放った一撃とは思えない一撃に、熊は白目を向けゆっくり倒れ鈍い音を立て地面に沈む。


 魔力を利用し空気を纏った弾丸と化した……などとこの場にいる誰も知っていわけもなく、たとえ説明したところで理解できるわけもない。


 だが、一つだけ分かることがある。


[[[にいにすげーぇ!!!]]]


 そうシュナイダーが強いということだ。


 意識を失って倒れる熊と、駆け寄ってシュナイダーを称える兄弟、遠くでちょっぴり寂しそうな父犬の姿を見たシュナイダーは焦ってしまう。

 仕方なかったとは言え魔法の概念がない世界で、まだ上手く扱えない力を使用したこともあるが、なにより父犬の尊厳を傷つけてしまったとは失敗だと罪悪感を感じてしまう。


 上手く誤魔化し場を繕おうと言葉を選ぶがこういう場合、古今東西、異世界や人の世、たとえ犬の世界でもこう言うしかないのだ。


[オレ、なんかやっちゃいました?]

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巧血の乙女の人たち 功野 涼し @sabazukikouno

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