16 杯目 若さ

SIDE 紘目ひろめ 茉奈まな


 あのクソリプから数日。うどんを愛する学生集団(自称)は、その後も懲りずに同じ内容を送り付けてきた。こちらがあえて無視していることにまだ気が付いていないのか。


「紘目さん、あれは何かね」

 上司が苦い顔をしながら聞いてきたのは、その日の午後一番だった。

 上司の指差す方向を見ると、確かに何だかよく分からないものが目に入った。見たままを言葉で表すならば、会社の前にプラカードを持ったヘルメット集団が十人程集まっている、と言ったところか。その周りを守衛さん数人が囲んでいる。言葉にしたところでやはり分からない。防災訓練の日でもないし、労働組合の何かの日でもない。一体何なのか。


 わたしが困惑していると、上司が続けた。

「あれ、君が原因じゃないのかね。拡声器で何か喚いてるぞ」

 窓を開けてよくよく聞いてみると、その内容を日本語として聞き取れ始めた。

「……であり、紘目氏の主張は……外れた主張で……明白である。従って我々は……」

 なるほど確かに、私個人の名を出していることから、私が原因との判断には論理的におかしな点はない。プラカードをよく見ると「うどん」「撤回」と言った文字が見られることから、先日の投稿に対するものだろう。


「紘目さん、厄介な人を連れてきてくれたね。どうしてくれるんだ」

 わたしは軽く頭を下げる姿勢を取った。

 どうしてくれると言われても。あなた自身、この前発案に賛成したじゃないか。すぐさま投稿したのはやや性急だったかもしれないが、どうせ最終的には同じことが起きていたのではないか。企業向けマナー講習であれSNSであれ、彼らのような人々は湧いてくるだろう。厄介な輩が今湧くか将来湧くか、タイミングの違いだけだ。どうしてくれると今更言うなら、なぜあの時賛同したのか。


「……とりあえず行ってきます」

 そう言って私は一階に向かった。上司をなだめるのは後だ。とにかくこの場をどうにかしなければ。


 私が玄関から出ると、集団からわあっと声が上がった。続いて全員がスピーカーを下ろした。なるほど、一応話を聞こうという姿勢は彼らも持ち合わせているようだ。


「あなたたちは、この前反対意見を投稿した人たち?」

 聞くと、中央の一人が前に出た。恐らく主導者級の人物だろうが、みんなヘルメットにマスクに保護眼鏡、右手には麺棒といういで立ちのため、見た目では区別がつかない。

「正確には違う。我々の多くは彼らとは別の団体だ。だが最終目標は変わらない。あの謎のうどんマナーの撤回を求めるために今日ここへ来たのだ」

 やはりそうか。彼らは何にも分かっていない。もう一度、最初から説明しなければ。啓蒙の道は長く険しいのだ。

「そんなマナー存在しないからデタラメだ、とあなたたちは言うけれど、それは今まで見えていなかっただけ。誰も気にしなかったから、今までそうだったからと言ってこれからも惰性で続けて良い理由にはならない。ニュースを見ていれば分かるように、この数十年でそんなことが世の中でいくつも起きてきたでしょう。あなたたちはよくお勉強なさっているでしょうから、いちいち例示はしないけれどね。今回もそう。目上の人と何を食べるかって、実は人と人との繋がりを考える上で見過ごせない大切なもの。今までみんなが無頓着すぎただけで、新たな問題があることに気が付いた以上、これからは意識する必要があるってこと。分かるでしょう」


 一気に喋った後、彼らの反応を待った。一瞬静まり、彼らはそれぞれに騒ぎ始めた。十人以上が同時に喋るものだから、当然私には一つ一つを理解することはできない。


 と、そこへ別の集団が現れた。紺色の制服を着た屈強な人々である。背中にはPOLICEと書いてある。うち一人が私にたずねた。

「こちらの会社の方から通報を受けたのですが、退去させるのはこの集団で良いですね?」

 

 あまりの急展開に呆気に取られていると、社内電話が鳴った。上司からだった。

「やあ、今警察が来たろ。私が呼んだんだ。これでもう解決だ。後は警察に任せて、君も戻って来なさい」

 その言葉はまたしてもわたしを失望させた。すぐに電話を切った。何という勝手なことをしてくれたのか。そんなことをすれば、わたしのマナーが間違っているというアピールをすることになる。国家権力たる警察の手によってこの問題を「解決」することは、つまりはこの問題が圧倒的強制力を有する者の手によらなければ鎮静化できないものであること、すなわちわたしの側に正当性がないことを表明するようなものだ。警察による強制排除は、彼らうどんを愛するナントカにむしろ正当性を与えることになる。従って、このマナー問題については彼ら自身が自発的に誤りを認め、撤退するという結末以外あり得ない。


「いえ、退去させる必要はありません」

 そう伝えると、警察官はえぇ、という困惑の声を漏らした。それはそうだろう。

「彼らにはこちらで対応しますので大丈夫です。呼んでおきながらすみませんが、戻っていただいて大丈夫です」

 何が起きているのか分からないといった様子で、彼らはぞろぞろと出て行った。


 電話が再び鳴った。案の定、上司からである。

「いや何で追い返したの」

「……余計なことをしてくれましたね。警察による強制排除では何の解決にもならないんです。あくまで平和的手段のみを使って、彼ら自身で自らの誤りを認めるのでなければいけません。とはいえ彼らもすぐには退去しないでしょうから、わたしの家へ移らせます。会社でなければ問題ありませんね?」

「…………若いねぇ。ま、こっちに影響は出さないようにね」

 スピーカーの向こうから、嘲笑を含んだ声が返ってきた。


 電話を切ると、わたしはうどん(略)の方へ近寄った。

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