第9話「ほうふくぜっとうのこくはく」

 俺が最後に、ルチアに会いに行こうと出口を求めたその時、急に扉が開いて、小さな西洋風行燈の灯りが見えた――。

「ルクス……?」

 ルチアだ!

「ルチア!」

 叫ぶ俺には目もくれず、ルチアは机の前のルクスのもとへ駆け寄った。俺が入ってきた時もそこにいたルクスは、だけどもう息をしていなかった。

「ルクス! ねえ、ルクス!」

 行燈を床に置き、ルチアはルクスの顔に触れた。

「ルチア。ルクスはもう死んでるよ」

「……。お願い、ルクス! 死なないで、ルクス!」

 ルチアが陰陽術とは名ばかりの、西洋から入ってきたまがい物の術でルクスを生き返らせようと懸命に祈る。

 でも、無駄だ。確かにルチアなら、止まったばかりの心臓の動きだって蘇生させられる。でも、問答無用の俺の呪いで絶命したルクスはもう、そんなものでは助からない。どうしたって助からないよ、ルチア。優しいルチア。優しすぎるルチア。

「なあ、もう無理だよルチア」

「貴方は黙ってて! ルクス! ルクス! お願い! お願いだから」

「ルチアァ!」

 びくっとルチアが肩を震わせ、俺を見る。

「もういいだろ、ルチア。そんな奴。なあ、ルチア。俺はわかってるよ、ルチア。お前が本当は俺のことを殺したくなかったのを。ルクスとイグニスには逆らえなかったんだろ? だから、安心しろルチア。優しいルチア。ルクスに守ってなんか貰わなくたって、ルチアのことを俺は殺さない」

「アモール……」

 俺の頬がゆるむ。

「ああ、ルチア」

 強張った表情かおでルチアが呟く。

「貴方……」

「ああ、ルチア。大丈夫。怖かったよなぁ? でも大丈夫だ。ルチアのことももちろん許せない。一言相談してくれればよかったのにと思う。でも、殺しはしないよ。大丈夫。ルチアの気持ちはちゃんとわかってるから……」

「私の、気持ち……?」

「ああ。ルチア、俺のことが好きだっただろう?」

「……」

 ルチアは何も答えず、ゆっくりと立ち上がった。

 暗い部屋で、灯りを背に足元にして立っているルチアの表情はよく見えない。どんな表情をしているのだろう。

 こんな状況だ。照れていたりはしないかもしれない。でも、それでいいんだ。

 俺を好きなルチアへの復讐は、俺に殺されることじゃない。俺に思いを受け入れて貰えないことだ。

 さあ、ルチア。俺に告白しておくれ。かわいそうなルチア!

「……アモール。……貴方は、やっぱりそう思っていたのね」

「……」

 ルチアが勢いよく息を吐き出すみたいに言った。

「……私は貴方のことが、こわかったの」

「?」

「私は貴方のことがこわかったのよ。気持ちが悪かったの。好きじゃないわ、貴方のこと。もちろん、友達としては愛していたわ。昔はね。ずっと一緒だったから、今だって、好きとか嫌いとか、そんな単純なものじゃない。貴方を、心の底から憎いだなんて割り切れない。でも、それでも、それ以上に、貴方のことが無理なの。駄目なのよ。貴方が」

「……」

 俺はルチアが何を言っているのかよくわからなかった。

 この期に及んで照れてるのか? なあ、ルチア。そんな、そんな、何を言ってるんだルチア。

「貴方が勘違いしているのはわかってた。私も、もっと早くにちゃんと言うべきだったわね。いつしか貴方は私の体にベタベタ触るようになって……。やんわり拒否しても、貴方は私に触れてきたわよね。いつもいつも。本当に気持ちが悪かった」

「……なぁ、ルチア。何を言って。なぁ、そんな嘘は。なぁ、ルチア」

「嘘じゃないわ。やめて。もう、私の名前を呼ばないで。鳥肌が立つのよ。貴方、私だけじゃないわよね。特に、自分より立場の弱い女の子には。ねえ、貴方が思うほど人の好意って単純じゃないのよ? 貴方に微笑みかけるからって、貴方に優しくするからって、貴方に触れられたいと思うわけじゃないの。私は貴方が本当に無理だったのよ。好きとか嫌いとかじゃなくて、もう、生理的に駄目だったの……」

「そんな……。だって……、ルチア……。だって、お前は俺に優しく」

「だからそういうことじゃないって言ってるじゃない! なんでわからないの? ……でもね、そうね。ずっと貴方と一緒にいたのに、そんな私が言えなかったのが、よくなかったのかもしれないわね。

 でも、怖かったのよ。みんなの関係に亀裂が入るのが、怖かったの。黄泉蔵夫として評価されて、これからって時に、そんなことで亀裂が入って、私たちがバラバラになってしまうのが怖かったのよ。悪い評判が立ってしまうことが、怖かったのよ。だから、私一人が我慢すればいい。そう思ってた。

 それに、貴方のことも怖かったの。貴方はすごいわ。カチカチで一番の呪術師だと思う。才能もあって、努力もしていて。一度火がつけばひたすらに頑張るところ、そういうところは尊敬してたのよ? ずっと……。

 でもね。だからこそ。だからこそ、怖かったのよ。貴方のことが。貴方を拒絶したら、何をされるかって。貴方に逆恨みされたら、どうなっちゃうんだろうって。私だけじゃなくて、みんなが。ルクスが、何をされるかと思ったら……。

 ルクスもイグニスも気づいてたわ。でも、私がわがままを言ってこのままにさせてたの。怖かったから。今ある大事な物がみんな貴方に壊されてしまうんじゃないかって、怖かったから。私一人が我慢すれば丸く収まるから。だから、私は大丈夫だからって、頼んだのよ。二人には何もしないでって、頼んでたの。

 イグニスは納得してなかった。雄々しい・・・・雄々しい・・・・男の子だなんて言って、いつか貴方が気づくんじゃないかと思って怖かったけど。そんな察しの良さがあれば、そもそもこんなことにはなってなかったわね。

 でもね、もう限界だったの。ルクスも、私と同じで、ずっと一緒に育った貴方を、ただ憎むことは出来なかったけど。それでも、貴方を憎んでた。私たち、ずっと関係があったのよ? 気づいてた? 気づくわけないわよね?」

「……ああ。あああ。ルっ、ルチア。ルチア。あっ、あああ。ああ! やめ、やめてくれ。もう……、もう!」

「やめないわ! 知るべきなのよ。もう遅いかもしれないけど、知るべきなのよ。貴方は。そして私も、言うべきだったの。言うべきなのよ。

 ねえ、私とルクスはそういう仲だったの。それで、黄泉蔵夫としても軌道に乗っているし、支えてくれるイグニスもいる。だから、そろそろ結婚したかったのよ。

 でも、そんなことをしたら貴方が逆恨みすることは明白だった。貴方に一度火がついたら、やり切るまで止まらないのはわかってたわ。私たちがみんな殺されるか、貴方を殺すまで、貴方は止まらない。そうなったら、貴方一人の犠牲ではきっと済まなかった。貴方が生きている限り、私たちは幸せを望めなかった。

 もう、どうしようもなかったのよ。ここまで貴方を増長させてしまったのは私たちだわ。もっと早くに向き合っていれば、少なくともこんなことにはならなかった。だから、私たちに。ううん、私に罪がなかったなんて言わない。

 でも、もうそれ以外になかったのよ」

「……」

 俺は、俺は、俺は、俺は、俺は、

「だからあの日、私たちは貴方を事故に見せかけて殺すことにしたの。わざと少ない装備で奥まで入って。――貴方、何も不審に思わなかった? そうよね? 最近の貴方は非力なのを言い訳にして、荷物の一つも持たないし、状況把握だって心配になるくらい人任せで……。――それで、緊迫した状況に乗じて貴方を前線まで走らせたの。

 直接手は、下せなかった。イグニスはやると言ったけど、私たちが止めたの。イグニスなら、もし貴方の死体が発見されても事故に見せかけられるようにとどめをさせたでしょうけど、そうじゃなかった。そういうことじゃなかった。それは、それだけは嫌だったの。

 どうせ罪は変わらないのに。ううん、そんな風に直接手にかけることから逃れようとする方が、もっと罪深いのに。それでも私たちは、嫌だったのよ。それが間違いだったわね。これは、報い、なのかもしれないわ。

 ねえ、知ってる? 呪いって、小さな子供が家に帰るように、呪った人のもとへかえるんですって。本当に、その通りだわ」

「……」

 何も言えない俺のもとにルチアはやってくると、足元に落ちていたルクスの刀を拾った。

「……ルチ、ア?」

「安心して。貴方を殺す気はないから。殺したいくらい、殺したいくらいだけどっ……! 私に貴方を殺すことが出来ないのは、わかってるから……」

 そう言うと、ルチアは俺に背を向けてルクスのもとに戻った。

「待って、くれよ。ルチ、ア……」

「さようなら」

 ルチアはそう言うと、床に寝ているルクスの横に膝をついた。

「ルクス、愛してるわ」

 そう言ってルチアはルクスを抱きしめ、その唇に唇を重ねた後、刀で自分のノドを突いた。

「……ルチアぁ!」

 しばらく呆然としていた俺は、叫びと共に再び動き出してルチアに駆け寄る。

「ルチア! ルチアぁ!」

 その肩を掴み、振り向かせ、激しく揺さぶる。

 まだあたたかいルチアの頭が力なく、激しく揺れる。

「ルチアぁ! ルチアぁ! 死なないでくれ! ルチア! ルチアぁ! なぁ、死なないでくれよぉ! ルチアぁ! ルチアぁ!」

 俺は泣きじゃくりながらルチアを揺さぶったが、ルチアは起きなかった。

 俺は、はっとなって呪いでルチアの傷をルクスに移そうとしたが、その傷は移動しない。

「なんでだ! なんでだよぉ!」

 叫んだ俺は、はっと気づく。ルチアが何か呪いを無効にする物を身に着けているのかもしれない。衣服を脱がそうかと思ったが、そんな間も惜しいので俺は強く呪った。ルチアをこんな目に合わせた全てを、ルチアへの呪術を阻む全てを強く呪った。

 ルチアの首の傷が、ルクスに移る。

「ルチアっ!」

 それでも、ルチアの止まった息は吹き返さなかった。

「ルチアぁ! なんでだよぉ! ルチアぁ!」

 ――どれほど泣き叫んだだろうか。

 俺はふと、我に返った。

 薄暗い部屋で、俺は座り込んだまま、静かに声をならべていった。

「ルチアも、俺を殺そうとした……。だから、俺はルチアも殺した。自分から死ぬように、追い詰めたんだ。そうだ、これは復讐だ。ははっ……はっ……はっ……」

 俺の淡々とした声が聞こえる。

 俺は、笑っている。

 そうだ、笑っている。

 笑っている、は、可笑しいんだ。

 俺は、可笑しい。

「ははっ、はっ、はっ。ははっ、ははははっ。はははははっ。はははははははは! ははははははははは! ははははははははは!」

 おれはなにがおかしいのかよくわからないけれど、わらいころげてゆかをころげまわってわらっていた。

「ははははははははは! ははははははははは! ははははははははは!」

 ほうふくぜっとう、おれはおかしかった!

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