第10話「    」

 家に帰ると、まだ日は昇っていないというのにクラースが起きていた。

「アモールさん。なんだか眠れな……」

 振り向いたクラースが、血相を変えて駆け寄ってくる。

「大丈夫ですか! その血!」

「ああ、呪いで移したから、俺にもう怪我はないよ」

 それに、後から西洋館に攻め込んできた奴らも、道中で会った奴らも全員呪い殺した。ここに追手が来ることはないだろう。いや、なんだったら見つかったって、呪い殺せるし傷も相手に移る。俺は無敵だから大丈夫だ。

「そう、ですか……」

「ああ。それより」

「あの!」

 俺の言葉を遮って、クラースが言う。本当に、クラースは人の話を聞かないところがある。まあ、そういうところも可愛いんだけど。

「なんだ、クラース」

「あの……。変なこと、言ってもいいですか? 違ったら、笑ってくださって構わないので。趣味の悪い、つまらない冗談だなって」

 俺の返事を待たずに、クラースは続きを言う。

「昨日、イグニスさんが、殺されましたよね……。あれ、アモールさんがやったんじゃないんですか? 昨日も、夜遅くにどこかへ行ってらっしゃったし……。それに昨日、あれ? 昨日? どっちも昨日? まあいいや。とにかく、昨日のアモールさん、なんだか様子が変でしたし……」

「クラース……」

 クラースは俺の目を見て、悲しそうに、だけど笑った。

「言いましたよね? 私は、アモールさんの贔屓筋だって。だから、私はアモールさんの味方です。たとえ、何があっても、私はアモールさんの味方ですから。だから、本当のことを教えてください。私にだけは、本当のことを……」

 クラースは無理に笑顔を作ってるけど、もう泣き出しそうだった。

 だから俺は、言ってやった。

「ああ、そうだ。クラース。俺は昨晩、イグニスを殺した。そして今日も、ルクスとルチアに復讐したんだ。ルチアはもういない。昔の女はもう死んだ。俺が殺したんだ。あいつら、俺を裏切って殺そうとしたから。事故に見せかけて、黄泉蔵で殺されかけたんだ俺は。だから、俺は三人を殺した。俺は復讐のために、あいつらを殺したんだ……。俺は、俺は……」

 俺は膝をついた。

「はぁっ! はぁっ!」

「アモールさん?!」

 嫌だ、嫌だ。何か思い出したくないものが。

 いや、わかってるんだ。俺は、俺は!

 俺は、嫌だ、俺は、俺は、違う、俺は、俺は、俺は、

「アモールさん!」

 俺の前にしゃがみこんだクラースの声が、俺を呼び戻す。

 顔を上げた俺に、クラースは優しく、力強く言った。

「アモールさん。やり直せますよ、アモールさんなら。アモールさんはすごい人だし、カチカチではもう暮らせないかもしれないけど。どこか遠くへ行けば。誰もアモールさんを知らない、どこか遠くの国へ行けば、そこで暮らしていけますよ」

「でも。いや、俺は」

 言葉が上手く出てこない俺に、クラースは優しく切なげに微笑んだ。

「アモールさん。私も、なんです」

「?」

「私も、人を殺したんです」

「……」

 クラース?

「覚えてますか? 私がアモールさんと初めて会った時のこと。アモールさんに助けて貰った時、私を騙してたおじさんたちが死んでないかなんて聞いたのを。アモールさんは、私がいい子だって、思ってくれました? でも、ごめんなさい。違うんです。私、悪い子なんです。私、お姉ちゃんも。ソールィエンスも。ソールィエンスのことも、殺しちゃったから……」

 ぽつり、ぽつりと、クラースは涙をこぼし始めた。

「だから。だから、もう嫌だったんです。私のせいで、誰かが死ぬのは。もう、嫌だったんです。だから、あんなこと聞いたんですよ?」

「クラース……」

 クラースの瞳が、涙でゆらゆらと揺れているようだった。

「アモールさんは、覚えてますか? お姉ちゃんの話。私、あの日。お姉ちゃんが黄泉蔵に行ったっきり帰ってこなかったあの日。お姉ちゃんに渡した手ぬぐいに、呪いをかけてたんです」

「……」

 俺は予想外の言葉に、あっけに取られてクラースから目をそらせない。

「お姉ちゃんは、なんでも持ってました。頭もよくて、男の子にだって喧嘩で負けないくらい強くって、そんな才能があるのに努力家で、なのにそれを鼻にかけないし、誰にでも優しくて、いつも笑顔で、おまけにとっても美人。黄泉蔵夫としてもすっごく強くって。朝焼けのアウローラって、アモールさんも聞いたことありませんか?」

「朝焼けの、アウローラ……」

 確かに、聞いたことがある。まさかそのアウローラだとは思わなかったが、そういえばしばらく前に行方不明になっていたと思う。黄泉蔵夫は危険な仕事だから、有名な者でも比較的にすぐ死ぬ。だから、そんなによく覚えていなかったが……。

「だから、私。お姉ちゃんに嫉妬してたんです。もちろん、本当に大好きでしたよ?! でも、お姉ちゃんのことは本当に大好きだったけど、だけど、嫉妬してたんです。

 だからですかね? 私がアモールさんに憧れてたのは。人気はルクスさんとかルチアさんたちには劣るけど。それでも、心無い人たちに陰口を言われても、ひたすらに自分の道を突き進むアモールさんが。努力家で、前線に立ち続けるアモールさんが、私の希望だったのかもしれません。

 みんなからすごいすごいって言われるお姉ちゃんのすぐ側で、何をやってもお姉ちゃんと比べられて、あまり褒めて貰えないことの多かった、そんな私と重ね合わせてたのかもしれませんね」

「クラース……」

「なんて、失礼ですね! ごめんなさい! アモールさんは本当にすごい人です! 私なんかと違って、本当にすごい人……。

 でも。そう、だから。アモールさんのご本にあった呪いを、試してみたんです。ほんのいじわるのつもりだったんです。ちょっと、いじわるするつもりで。殺してしまうつもりなんて、殺してしまうつもりなんてなかったんです……」

 俺は、クラースを襲っていたカエリオニの言葉を思い出す。

――モッテルデショ? オネエチャン。イッパイ、イッパイ――

 あれは、クラースの思いだったんだ。クラースの呪いだったんだ。

 でも、じゃあ違う。

 確かにあんな強力なカエリオニになったってことは、元になる呪いも強かったはずだ。素人のクラースのことだ。よくわからずに俺の本にある呪いを試して、運悪くあんなことになってしまったんだろう。呪いが成就していれば、お姉ちゃんが死んでいた可能性はあったと思う。

 でも、呪いがカエリオニになっていたってことは、呪いは成就していないのだ。つまり、恐らくクラースはお姉ちゃんを殺していない。

「なあ、クラース」

 お前はお姉ちゃんを殺してなんかいない。そう言おうとした俺の言葉を、だけどクラースは聞いてくれなかった。

 涙をこぼしながら、クラースは言ったんだ。

「でも、だってお姉ちゃん。なんでも持ってるのに。それなのに。ソールィエンスまで。ソールィエンスまで、お姉ちゃんのものになっちゃいそうだったから……」

「えっ?」

「私、ソールィエンスのことが好きだったんです。幼馴染のソールィエンスのことが、ずっとずっと好きだったんです。そのソールィエンスまでお姉ちゃんのものになっちゃいそうだったから。かっこ悪いとこ見られちゃえって。ちょっと、いじわるのつもりで。ほんのいたずらのつもりで。だから、だから、あんなことを……」

――ウバワ、ナイデヨ。オネエ、チャン――

 俺の頭に、カエリオニの言葉が蘇る。

「ク、クラース?」

「そんなこと言ったって、もう、私がしたことは変わりませんね。私の罪は、変わらない……」

 クラースはそう言って鼻をすすりながら、手で涙を拭った。

「私も、罪を負っています。私のこの手は汚れています。私は、人殺しです。大事な人の命を奪った、人殺しなんです。でも、私はこの罪を背負って生きていくから。だから、アモールさんも。アモールさんも、やり直せますよ。きっと、どこかで」

「クラース……。クラースは……?」

「私は、誰にも言いませんよ。アモールさんのこと。聞かれても、知らないって言います。夜が明け切らない内に、逃げてください。どこか遠くに行けば、アモールさんならきっと上手くやっていけるはずです。父さまも母さまも、明日か明後日くらいには帰って来てしまうと思うので……。私は、ここで、祈ってますね」

「そうじゃなくて。なあ、クラース。クラース」

 俺は勢いよくクラースの肩を掴んだ。

「ひゃっ!」

「なあ、クラース。そんな顔しないでくれよ。なあ、クラース! なんで顔を背けるんだよ!」

「ごめんなさい、アモールさん……。私は、アモールさんのことが大好きです。今までも、これからも贔屓筋です。ずっと、ずっと。それは、変わりません。ずっと応援してます。アモールさんの味方です。でも、でも違うんですアモールさん。私が男の人として好きなのは、ソールィエンスだけなんです!」

「クラース……」

 ずるっと、俺の手がクラースの肩から落ちる。

「アモールさん……。ごめんなさい……。でも、アモールさんなら。アモールさんなら、きっとどこかで私よりも、ルチアさんよりももっと素敵な方と、巡り合えますよ」

「……」

「アモールさんなら、アモールさんならきっとやり直せます。だから、ね? アモールさん」

 ――俺は、泣いていた。

「ごめんな、クラース」

 俺は泣きながらクラースを見た。

「ごめんなぁクラースぅ」

 返事をしないクラースを見つめて、俺は泣きじゃくった。

「でも。でも俺、許せなかったんだ」

 床で返事をしなくなったクラースに、俺は泣きながら謝った。

「許せなかったんだよぉ、クラースぅ。もう、許せなかったんだよぉ。俺、俺、もう許せなかったんだよぉ。ごめんなぁ。ごめんなぁ。なあ、許してくれよ。許してくれよクラースぅ」

 俺は呪い殺してしまった床のクラースに泣きながら謝り続けた。目を開いたままのクラースに泣きながら許しをい続けた。

「でも、でも、だって、お前まで、お前まで俺のこと好きじゃないって言うから。好きだって言ったのに、笑いかけてくれたのに、優しくしてくれたのに、なのに、なのにぃ! 俺のこと、違うって。好きじゃないって言うからぁ! だからぁ! ああー!」

 もう、もう嫌なんだよ。怖いんだよ。許せなかったんだよ。そんなの、そんなの。

 ルチアだけじゃなくて、お前もだなんて! クラースもだなんて!

 だって、だって、だって、だって! もう! もう! もう! もおぉ!

 俺は、いつからだったんだよ。いつからお前たちは、俺のこと。俺のこと。

「ああ、あああああああああー!」

 幼馴染だった。なぁ。

 優しくしてくれたじゃないか。ルチアもルクスも。

 いつからだよ。いつからだよ。

 俺のこと。俺のこと、いつからそんな風に……!

 なあ。だって、誘ってくれたじゃないか。一緒に黄泉蔵夫をやろうって。

 なあ、褒めてくれたよな? 嬉しくて、嬉しくて……。

 誰も褒めてくれないから。でも、俺は、呪術は才能あるってわかってた。

 だから、頑張ったら、二人だけは。なあ?!

 いつから、いつからそんな風に思ってたんだよ? なあ!

 ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、いつからだよぉ!!!!!

 俺は、俺は!

「ああー!!!!!!!!!!」

 俺は叫んだ。叫んで、後はもうよく覚えていない。

 森の中で、人目を避けるためだろう。

 森の中で涙を枯らして、ぼーっと倒木の上に座り込んでいた。

「なぁ……」

 俺が悪いのかよ?

 なぁ? 俺が悪いって言うのかよ?

 なぁ?! そうだろうなぁ! 俺が、俺が悪いんだよなぁ?!

 勝手に勘違いして、思い上がって、なぁ? なぁ?! 俺が悪いんだよなぁ?!

 そう言いたいんだろ?! 俺が、俺が俺が悪いんだって! そう言いたいんだろお前たちは! お前たちはそう言いたいんだろ! なぁ! なぁァァ!

 でも! でもじゃあ、じゃあ! 俺はどうしたらよかったんだよぉ!

 俺は、いつから……。なぁ、いつから! いつから、どうしたらよかったんだよぉ……。

 なぁ……。なぁ? なぁ?! なァ?!

「……はっ」

 俺は立ち上がると、うっすら白み始めた空の下、黄泉蔵に向かって歩き出した。

 黄泉蔵の奥深くに潜ろう。誰にも合わないで済むような、黄泉蔵の奥深くに。もう、誰も殺さなくて済むように。黄泉蔵の奥深くに。

 もう、いいさ。どうしたらよかったなんて、もういいさ。

 だってそんなこと。今さら聞いたって、

もう遅い。

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