絵の中の窓7 剣閃


 閃光。

 衝撃。

 温もり。


 その瞬間、その光景。

 わたしの脳が処理できた情報は、それだけだった。


 視界いっぱいに煌めきが跳ねまわり、わたしの身体を掴んでいたたちが、バラバラに切り刻まれて周囲に四散する。


 舞い散り崩れ去る黒い塵の中、よろめいたわたしを抱き寄せたまま、瀬名くんは片手で、。夏制服の薄いシャツを通して、わたしをいだく手からしっとりとした体温が伝わった。


「どうして」


 パンク寸前の、いやとっくにパンクしたわたしの頭が捻り出したのは、その一言だけだった。


 どうしてわたしこんな目に遭っているの。

 どうしてあなたは刀なんて持っているの。

 どうしてわたしを、窓の向こうに行かせてくれなかったの。


「窓」


 彼の第一声は、答えではなく単語だった。「どうして」の問いに対する回答にはなりえない。でもそれこそが恐怖と混乱の中枢にあるような気がして、わたしは窓という言葉を頭の中で何度も反芻した。


「昨日まで、その絵に『窓』は無かった。いや、あるにはあったけど、ただの窓だ。絵の一部としての窓だ。その窓じゃない。おれがついさっき言った『窓』としての窓じゃない。『窓』が出現してから、が騒ぎ出した。でも、もうそれはどうでもいい」


 窓、窓、窓。全部窓の話。


 刀をぶらぶらと片手で弄びながら、彼は顔を上げて天井を見つめた。つられて顔を上げたわたしは季節外れの、足元からたちのぼるような悪寒に身体を震わせる。


 今やこの美術室は異常な空間の膨張をみせていて、3メートル程度だったはずの当たり前の天井は、明らかにそれを超えてはるか頭上にあった。まるでわたしたちの側が小人こびとになったみたいだった。


「君を放っておけなかった」


 寒気も恐怖も吹き飛ばす一言。


「君は狂ってなんかいないし、幽霊なんかじゃない。君にが君から時間を奪い、正気を奪おうとしているんだ」


「君は混乱していて覚えていないかもしれないけど、おれと君が交わした他愛もない会話の中で、君の言葉に滲んでいたのは孤独だ。おれがこれまで、痛いほど体験してきたものと同じだ」


「だから放っておけなかった。絶望を受け入れてしまった君を見ていられなかった。だれにも知られることなくに消えようとする君を認められなかった。ごめんね、君を窓の向こうに行かせなかったのは、おれのわがままなんだ」


「どうして?」それだけを発したわたしの意図を瀬名くんは理解していた。にもかかわらず、彼の生真面目な説明はもはやわたしの耳に入っていなかった。


「君を放っておけなかった」という言葉だけで十分だったから。


 わたしの顔に生気が戻るのを感じる。いや、それ以上だった。限界まで跳ね上がったわたしの心拍が、狙いすましたようにわたしの頬に血液を送り込み紅潮させているのだ。


 いつの間にか瀬名くんはわたしを見つめていて、呆然と天井を見上げていたわたしの視線とぶつかっている。彼の中性的で端正な顔が、潤んだ栗色の瞳がわたしを射抜いていた。


 ついさっきまでさびの塊みたいにわたしの頭の中に我が物顔でこびりついていた恐怖や絶望は、きれいさっぱり洗い流されてしまっていた。要するにわたしの頭は彼のことで一杯になっていたのだ。絵の中の窓が、かたかた、とか細く鳴っているのが聞こえた気がした。


 ばん


 美術室の窓が破裂し、思わずわたしは頭を抱えた。わたしを抱き寄せたまま、瀬名くんはむしろ侵入者を小馬鹿にするように鼻を鳴らす。割れたガラスを踏みつけながらぬるりと侵入してきた真っ黒なは、巨大な蜥蜴に似ていた。だが頭部は爬虫類のものではない。


 それは人の顔に似ていた。


 両目と口の部分にぽっかりと穴の開いた、空虚な顔。あの顔だ。


 足にぞくりと鳥肌が立つ。先ほど黒い塵に変わったはずの連中が、再び元に戻ろうとしていた。

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