絵の中の窓8 激突

 空気を切り裂く、鋭い音。


 瀬名くんが刀を奔らせ、わたしたちに襲い掛かろうとした連中を次々斬り捨てていく。その所作はあまりに流麗きれいで、「なぜ彼が刀を持っているのか」なんて疑問に思うこと自体が馬鹿馬鹿しくなった。そう思ってしまった。


 次々と美術室の窓が割れ、制服姿のたちが侵入してくる。天井から、床から、隙間という隙間、陰という陰から、黒いおりのようなものが滲み出し、次々と人型を取っていく。


 人面の黒い蜥蜴は、二本足で立ちあがっていた。一歩踏み出すたび、美術室の床がきしむ。不気味な頭部が首をもたげて、空疎な眼窩の向こうからわたしたちを睨みつけている。従来よりもはるかに広大になっているはずの、この異常な美術室だった場所でさえ窮屈に感じるほど、怪物は巨大だった。


 わたしに向けていた生真面目な表情とは裏腹な、ちょっとぞっとするような好戦的な笑みを浮かべて、瀬名くんが怪物と対峙する。


「鈴音さん」


 彼は私の姓ではなく名前を呼んだ。わたしは彼に対して自己紹介をした記憶がない。わたしはいったいどれだけのことを彼に話してしまったのだろうか。むずかゆいような気持ちになる。


 包囲網が、ゆるりと狭まる。すぐに襲ってこないのは瀬名くんを警戒しているのか、わたしたちに恐怖を与えようとしているのかはわからなかった。それでも、わたしと瀬名くんの出会いの記憶を奪った連中に対して、なんだか闘志のようなものが湧くのを感じた。


「このをとっとと片付けて、ここを出よう」


 瀬名くんが言い終わるのと、巨大な怪物が身をかがめたのは同時だった。


 空間そのものが軋むような圧力。


 わたしは緊張で呼吸すら忘れ…なぜか後ろを振り返った。


 絵の中の窓。


 元々大型だった画布キャンバスは、この異常な空間の変動に呼応するかのようにさらに巨大化している。今のこの異界が化け物たちによってもたらされたのか、窓の絵がもたらしたのか、あるいはもっと別の原因があるのか、判断など付きようもなかった。


 あれほどやかましかった窓は今はただ静かに開け放たれ、その奥には何も見通せない暗闇があった。わたしがその暗闇に魅入られている間、おそらくほんの数瞬の時の中で一度だけ、心臓がどくりと鼓動を鳴らした。


 窓…居場所…塗りつぶす…わたしが…向こうへ…わたしの…窓・・・窓・・・


 刹那の時、わたしの頭が心が、断片的な言語を懸命に拾い集める。わたしの中で何かが形を成そうとしていた。わたしを抱き寄せていた瀬名くんの腕を強く掴む。気付いた瀬名くんがわたしに促されて顔を後ろに向けた。二人の視線の先には、窓の向こうの漆黒があった。


 ―爆音と共に、視界が激しく揺れる。


 地響きを上げて、怪物が突進してくる。想像を遥かに超える速さで、その巨体がわたしの視界一杯に迫った。


「瀬名くんッ…わ!」


 わたしが叫ぶと同時に、瀬名くんはわたしを素早く腰から抱えなおして真横に跳躍していた。わたしたちがついさっきまでいた場所を怪物が物凄いスピードで駆け抜け、その先にある巨大化した画布キャンバスする。


 どぉ・・・ん


 たやすく弾き飛ばされると思われた画布キャンバスは、びくともしなかった。


 それどころか怪物は、まるで分厚い壁に衝突したみたいに自身が生み出した強大な慣性に堪えられず身体をひしゃげさせた。絵を中心に空間の歪曲が水面の波紋のように広がる。波動が空間を押し曲げながらわたしたちを飲み込んで―


「…ッ!」


 わたしは、真っ暗闇の中に立っていた。

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