第1部 1章 6

 既に召喚陣からは一角獣の角を生やした巨大な牡山羊の頭部が姿を覗かせている。

 そして今、鋭く硬い体毛に覆われた腕が突き出た。

 太さは樹齢百年のケヤキにも匹敵し、大地を掴むとゆっくりと身体を現世へと引っ張りあげようとしている。


「ルーファス!」


 リゼルの意図を察して鎧騎士が飛び退る。


「逃がすか!」


 獰猛に追い縋るデケムだが、


「三下は引っ込んでなさい!」


 リゼルの集中砲火に押しこまれ後退を余儀なくされる。


 その隙にリゼルは帽子を脱いで中に手を突っ込む。

 帽子の中は別の空間と繋がっており、引き抜かれた手が一本の箒を掴み取っていた。

 その穂先が開いたかと思うと砲口が顔を覗かせる。

 

 飛行用の箒に小型の魔砲を搭載した武装、ベーゼ・カノンだ。

 内部に刻印されたルーンが大気中の元素や使用者の魔力を攻撃魔法に転換する構造で、短時間で強力な火力を生むことが出来る。


 砲口を向けるべき相手はオクトーでは無い。

 既に術式が発動し受肉が始まっている状況で召喚者を殺せば、魔法陣が暴走し延々とこの世ならざる住人を招待し続けることにもなりかねない。


「ありったけをくれてやる……」


 リゼルの全身の熱が魔砲を掴む指先へと流れていく。

 大気に遍在する元素だけでなく自身の生命力をも使いきることで、今放てる最大火力を叩き込むつもりだ。

 出せるものを全て出しきり熱を失った指が、反動に備えて柄を握りしめる。


「生まれる前にくたばれ! トルナードヴァッフェ!」


 言霊を引き金に放たれたのは触れるもの全てを削り取る竜巻だ。

 螺旋する旋風は上半身を露にしつつあった悪魔を一瞬で呑み込むと、硬い表皮を砕き、中の肉をかき混ぜながらミンチにする。


 そこへ更に赤い稲妻が突き刺さる。

 ルーファスが刀身に溜まった元素を解放したのだ。

 白煙が立ち込め、焦げた臭いが鼻孔を突き刺す。


 やがて視界が晴れると再び異貌が目に入った。


「そんな……」


 ミリアが声を漏らし、マヌエラに至っては絶句している。


 リゼルとルーファスが与えたダメージは決して小さく無かった。

 強引に穿たれた表皮と筋肉の奥では露出した骨が砕け、大半の臓器が破裂しており原型を止めていない。

 しかし、それらは時を巻き戻すように急速に再生されていく。常識では考えられない治癒力だ。


「化け物め……」


 一方でリゼルは体力の限界を迎えていた。

 膝を付きそうになる身体を辛うじて魔砲器で支え、眼光だけは鋭く前を見据える。


 自己修復を終えた悪魔は召喚陣から残る下半身を抜き出し、遂に完全な顕現を果たす。

 二本の足で立ち上がった全高は八メートルはあるだろうか。

 悪魔は四角い瞳孔でリゼル達を一瞥すると、背後を振り向く。


「我ガ名ハ、アムドゥスキアス。召喚二応ジテ馳セ参ジタ」


「良くぞ御越しくださいましタ。早速で申し訳ありませんが、古き契約に基づき御力を賜りたく存じますワ」


 オクトーが慇懃無礼な口調とともに進み出て、アームカバーを外した腕を掲げた。腕に彫られた紋様は対応した悪魔を使役する為の印章だ。

 隙あらば召喚者を喰らい完全な自由を得ようとしていたアムドゥスキアスは、漏れる吐息に不満の色を滲ませた。


「何ガ望ダ」


「簡単なことですワ。そこにいる目障りな四人を殺せば良いのでス。それが終われば、後は好きなようにして下さって結構でス。存分にこの世界を満喫すると良いですワ」


「……良カロウ」


 それは過去に人間と結んだ幾多の契約の中でも、破格の内容だった。羊頭の悪魔が一転、喜色満面の笑みを浮かべる。


「ナラバ、スグニ終ラセテ、ココ二イル人間ヲ喰ライ尽クシテクレヨウ」


 くぐもった声が風に流れた瞬間、巨体が残影を置き去りにし躍りかかった。

 自身に向けて振り下ろされた拳に、リゼルは反応どころか知覚すら出来ない。


 そこにルーファスが割って入る。

 破城槌もかくやと言わんばかりの衝撃が刀身を伝ってルーファスを襲い、地面にできたクレーターごと身体が沈み混んだ。


 これを辛うじて耐えるも、すぐに次の一撃が来る。

 鋭い左フックが綺麗に刺さり、砲弾のように打ち出されたルーファスは受け身もとれずにコンクリートの壁に激突した。


 強い衝撃で留め具が外れ、手甲、脛当、兜といった甲冑を構成するパーツが辺り一面に散らばる。


「ルーファス!」 


 叫ぶリゼルは我が目を疑った。

 甲冑の中身が空洞で中に誰もいなかったからだ。


「ホウ、傀儡ダッタカ……」


 アムドゥスキアスは感心したように呟くと、今度こそリゼルを葬らんと腕を振り上げた。

 絶望と恐怖がない交ぜになり、リゼルは遂に膝をついた。

「そこまでです!」


「マヌエラ、何やってるの! 逃げなさい!」


 彼女はリゼルを庇うように立ちはだかると蒼い視線を悪魔に突き立てた。


「目的はわたしだけだった筈です! 二人には手を出さないで下さい!」


 その膝は小刻みに震えている。

 オクトーが声をあげて笑い、侮蔑を込めた表情を浮かべる。


「愚かネ、最初からそうしておけば良かったのヨ。けどもう遅い、既に契約は結ばれてまス。後悔と共に逝ってくださいナ」


「待ってください! わたしはどうなっても良いから、リゼルさんとミリアさんだけは──」


「アムドゥスキアス様」


「言ワレルマデモナイ」


 マヌエラの話に最後まで耳を貸すことなく、巨腕が振り下ろされた。


 当たれば最後、リゼルもマヌエラも痛みを感じる間もなく肉塊へと変わるだろう。

 目を瞑り身構えた瞬間、リゼルの耳朶が激震を伝える。


 しかし、終わりの時は訪れなかった。

 恐る恐る目を開けると、アムドゥスキアスの拳は的を外し見当違いの場所を穿っていた。


 そして、マヌエラの背中越しに何者かの姿が見える。 

 長身で引き締まった身体をした男性だ。シャツの上からベストを羽織った出で立ちはまるで青年実業家といった見た目で、戦場に立つにはあまりに場違いのように感じた。


「ごめんよマヌエラ、遅くなったね」


「エクトル……。もう、どこ行ってたんですか! すっごく恐かったんですよぉ!」


 安堵のせいか、マヌエラがボロボロと涙を溢しながら感情丸出しの声をあげた。

 先程まで勇気を振り絞っていた彼女が今はもう幼子のように見える。


「マヌエラ、彼女を頼めるかい?」


「分かりました。行きましょう、リゼルさん」


 マヌエラが肩を貸してリゼルを支える。

 その足取りはしっかりとしており、恐れや不安とはもはや無縁だった。

 それ程までにこのエクトルという男は彼女を安心させる存在なのだろう。


「貴様、何者ダ……」


 破壊の化身たる悪魔が戦慄の感情を露にする。

 既にその関心はエクトルのみに注がれていた。

 自慢の豪腕をいとも容易くいなされたのだからそれも当然と言えよう。

 それも無手で。


「テンプル騎士だ」


 そう言うや否や、エクトルはズボンのポケットからロザリオを取り出す。

 それは年季が入っていながらどこか未来的なデザインをしており、エクトルが力を込めて握りしめると内側から眩いばかりの光を放った。


 ただならぬ雰囲気を感じ取ったアムドゥスキアスが機先を制するべく再び拳を打ちおろす。


 それを阻んだのは宙に浮く白亜の盾だ。

 ロザリオの数珠が変化したそれは、破城槌をも上回る破壊を受けてもヒビ一つ入っていない。


 盾の枚数は合計十枚。

 ロザリオに連なってた数珠と同数で、連なっていた十字架も、今や一振りの長剣と化している。


「何なのよあれ」


「シルウェステル、クレスト教会が持っている中でも最高の防御力を持った聖典兵装です」


 それは遥か昔に栄えたとされる先史文明が地上に現れた悪魔を滅ぼす為に作ったとされる古代兵器の総称だ。

 現代文明を凌駕するその性能が危険視され、王侯貴族をはじめとした如何なる勢力も所持、使用を禁忌されており、発掘された聖典兵装は全てクレスト教会が管理、封印している。


 だが例外的に聖典兵装の使用が許可された者達がいる。

 それがテンプル騎士と呼ばれるクレスト教会に所属する僧兵の中でも最上位に位置する戦士達だ。

 その任務は軍隊やギルドでは手に負えない魔物やヴァレンティヌス派の討伐であり、国家という概念を越えた世界の守護者と言っても過言ではない。

 

 盾が拳を押し返し、巨躯が体勢を崩した。

 その隙を逃さず、エクトルは踏み込んで切先を走らせる。

 後ろへと跳躍して躱すがアムドゥスキアスだったが僅かに遅い。

 胴に裂傷が刻まれ、どす黒い血が勢いよく噴き出した。


 傷を代価に間合いとることに成功した羊頭だったが、そこを間髪入れず白盾が襲いかかる。

 尖端を獲物に向けて放たれたそれらは絶妙に速度と軌道を計算されており、アムドゥスキアスが最初の二枚を打ち払ったところで続く七枚が深々と突き刺さった。


 そして白亜の爪は肉を穿つだけでは留まらない。

 高速で振動を開始し特殊な波動を送り込むと、内部から小爆発を生んだ。


 悪魔の喉が逆流する血を吐き出しながら怒号を轟せる。


 残る白亜の一片がエクトルを乗せて巨躯の背後に回り込んだのはほぼ同時だ。

 横一線の斬撃がアムドゥスキアスの首を切り飛ばし、戦いに幕を下ろすかに見えた。


 だがエクトルは咄嗟に剣の軌道を変える。


 直後、横手から衝撃と共に鋼の噛み合う音が響いた。


「君か……」


「この傷の借りを返させてもらおうか」


 ぶつかり合う剣と刀が火花を散らす向こうで、デケムが隻眼を獰猛に光らせる。 


「まだ暫く貸しにしておくさ」


 そう吐き捨てて容赦なく蹴り飛ばすと、アムドゥスキアスに刺さっていた盾が再び宙を舞う。

 手裏剣のように回転する飛翔縦が、デケムに体勢を立て直す暇も与えず次々と打撃を加えていき、最後は勢い良くコンクリートの壁に叩きつけた。


 エクトルはそれを見届けることなく、飛翔盾に乗ったまま滑るように急降下した。

 凪ぎ払うように振るわれた悪魔の巨腕が頭上を過ぎる。


「もらった!」


 エクトルはアムドゥスキアスの足下に接近し両足の腱を切り裂くと、今度は燕のように加速し上空へと跳ね上がる。


 身体を支えきれず仰向けに倒れた悪魔が目にしたのは、太陽を背にしたテンプル騎士が飛翔盾をこちらへと向けた姿だった。


「何ダ、何ヲシヨウトシテイル」


「止めだ」


 飛翔盾がその場で錐揉み回転を始め、虫の羽音に似た音が鳴り響く。


 満を持して放たれた白亜の砲弾は音を置き去りにした。


 衝撃に地面が揺れ、石畳が捲れ上がる。

 立ち込めた粉塵を迸る光が塗り潰し、断末魔の叫びを爆発音が切り裂く。

 やがて静寂が訪れた時、地面には無数のクレーターが穿たれ、五体をバラバラにされた羊頭の悪魔が無惨な姿を晒していた。


 甚大なダメージを負った肉体は再生力の限界を迎え、断面から徐々に灰のようにボロボロと崩れていく。


「マサカ、人間一人二我ガ敗レヨウトハ」


「僕一人の力じゃない。彼女達が与えたダメージが無ければ、もう少し手こずっていた」


 エクトルの返した言葉にアムドゥスキアスは口を開き何かを言いかけたが、それを声にする前に塵となって消え失せていった。


 リゼルはその場に座り込むと大きな溜め息を着く。


 既にオクトーとデケムは姿を消していた。

 勝ち目が無いと見て逃げ出したのだろう。


 エクトルも今から追っても無駄だと判断したのか、悪魔が完全に消滅したことを確認すると、こちらに近付いてきた。


「あなたがマヌエラの探してた人ね」


「エクトル・マイヤールだ。マヌエラを守ってくれてありがとう、君達がいなかったら間に合わなかった」


「こちらこそ、あなたのおかげで命拾い出来たわ」


 リゼルは差し出された手をとって、ゆっくりと立ち上がった。


「奴等のことで詳しく話を聞きたい、時間を貰えるかな? 出来たらそこの彼女にも……」


 エクトルが視線を向けた先、血と泥でエプロンドレスを汚した少女がルーファスの兜を抱きしめ立ち尽くしていた。

 その瞳は何とも言えない無力感に満ちている。


「ミリア……」


 リゼルが近づいて声をかけると、彼女は小さな身体をビクッと震わせた。


「リゼルさん……」


「あなたが私のリクトルだったのね」 


 ミリアは悲しげに目を伏せ


「ごめんなさい」


 そしてリゼルにだけ辛うじて届く微かな声を残し、駆け出した。


「待って!」


 追いかけようとするが気持ちに身体がついていかない。

 足がもつれて前のめりに倒れ込んでしまう。


「いった……」


「あ」


 ミリアが反射的に立ち止まって振り返るも、すぐに首を振ってリゼルを視界から剥がす。


「待って、ミリア」


 今度は振り返らない。


 涙だけが置き去りにされ、ミリアの背中はみるみる内に小さくなっていった。

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