第1部 1章 5

「お初にお目にかかります咎人の皆様。ワタクシはオクトー、ヴァレンティヌス第八の使徒ですワ」


 オクトーと名乗った女は死の女神と呼ぶに相応しい禍々しさと美しさを兼ね備えていた。

 緑がかった髪を肩の高さで切り揃え、病的に白い面の中で紫色の唇が綺麗な弧を描いている。

 身に纏ったドレスは深紅に彩られまるで血の海の底から湧いて出たかのようだ。


 子どもの身長ほどある長杖の先端に水は晶が嵌め込まれ、溜め込んだ元素を燻らせるように妖しい光を放っている。

 水晶に込められた元素の圧倒的なボリュームは、彼女がそれを使役出来るだけの強大な魔力の持ち主であることを示していた。


「あんたがボスってわけね」


 目の前の女が自分よりも遥か高みにいることを理解した上で、リゼルは平常心を装って声を発した。

 これは同じ魔女としての矜持と言うよりも、商人としての才覚によるものだ。


「お付きのテンプル騎士がいないのを好機と見てけしかけてみたら、まさかみんな殺されちゃうなんて……あなた達いったい何者かしラ」


「狂信者に答える必要は無いわ」


 狂信者という単語を殊更に強調して放つ。

 余裕を保っていたオクトーの表情にサッと朱が差した。


「そんなに死にたいのかしラ」


「最初から殺すつもりだった癖に……脅しにもなってないわよ」


 これ見よがしに小馬鹿にした笑みを浮かべる。

 赫怒の炎がオクトーの思考を焼き付くした瞬間、リゼルは素早く杖を翻して無数の風刃を撃ち出した。

 完璧に相手の虚を突いた一撃は瞬く間に彼我の距離をゼロにし、容易に女の喉元を切り裂くかに思われた。

 しかし、突如として割り込んできた影が疾黒の牙の悉くを弾き飛ばす。


「安っぽい挑発に乗るな」


「デケム……」


 左目に傷痕のある隻眼の男だ。彼の得物はカタナと呼ばれる反りの入った片刃剣で、使い手によってその切れ味が大きく左右されると言われている。

 後ろで無造作に束ねた黒髪と日に焼けた肌の色から、男もその得物同様に遥か東の国をルーツとしていることが窺えた。


 ルーファスが無言でリゼルを庇うように進み出る。

 その背中には緊張が漲っていた。


「予定通りさっさと終わらせろ」


「ええ、そうさせて頂きますワ」


 隻眼の男に促され、オクトーは杖の石突きで地面を軽く叩く。

 すると彼女を中心に広場全体を覆う魔法陣が浮かび上がった。


「あなたならワタシが何をしようとしてるか分かるわよネ……」


「──ルーファス! 今すぐこの女を殺すわよ!」


 紅の魔女が見せる愉悦に満ちた表情とは対照的にリゼルが血相を変える。


「リゼルさん!?」


「この女、死んだ仲間を生け贄に悪魔を召喚する気だわ!」


 それは召喚魔法と呼ばれる異界の存在を呼び出す術式だ。

 こちらとは物理法則の異なる世界の住人の為、不完全な霊体として呼び出すのが一般的であるが、当然例外的なケースも存在する。

 それが生け贄だ。

 血肉を触媒とした召喚を行うことによって受肉した状態で現世へと降臨し、向こうの世界で得た本来の力を十全に発揮出来るようになるのだ。


 二人が倒したヴァレンティヌス派の信者は20名。

 これだけの血肉を捧げれば完全なる受肉を果たした状態で顕現出来るだろう。

 呼び出された悪魔が高位の爵位持ちだった場合、リゼル達四人どころかリザリットの町そのものが全滅してもおかしくはない。


「あんた……初めからこうするつもりだったわね」


「さてどうかしラ?」


 言葉の応酬はやがて激しい魔法のそれへと加速していく。

 両者の間で光が交錯し色鮮やかに爆ぜては大気を震わせた。


 その攻防の隙間を縫うように、二人の剣士が目まぐるしく立ち位置を入れ換えながら激しく剣を交える。

 ルーファスは隙を見出だしてはオクトーに向けて雷を放とうとするが、寸でのところで切っ先を打ち払われ、稲妻は明後日の方へと突き刺さるばかりだ。

 対するデケムもまた本来の標的であるマヌエラを狙っていることを隠そうともしない為、ルーファスは思いきった行動に出られない。


「どうだ? 貴様があの司祭を譲るなら一太刀くれてやっても構わんぞ」


 底意地の悪い笑みを浮かべるデケムにルーファスは肘打ちで応じる。

 顔を強かに打ち付けた隻眼はその笑みをより一層獰猛なものへ変えて赤雷へと襲いかかった。


「そろそろタイムリミットよ、お嬢さン」


 今だけは拮抗が膠着を意味しない。

 ばら蒔かれた血液が、ぶちまけられた肉片が、霞となって魔法陣に呑み込まれていく。


 マヌエラが寒気を覚えて自らを抱き締める。

 周囲の気温が急速に下がっているのだ。

「大丈夫ですか」と震える背中に手を置いたミリアのうなじも粟立っている。


 この空間に残された生の名残を代償に、この世界にとっての招かれざる賓客が今まさに産み落とされようとしていた。

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