第1部 1章 4

 都市の中心に作られた広場を古代ロマリアの言葉でフォルムと呼ぶ。

 フォルムとは都市生活の中心となる場所で、即ち政治や宗教に代表される社会活動の拠点の多くがそこに集約されており、当然リザリットもその例に漏れない。

 マヌエラがエクトルと向かう予定だったクレスト教会の修道院も、リゼル達が予選会の手続きの為に向かう必要のある冒険者ギルドの支部もフォルム・リザリスと呼ばれるこの町の中心部に建てられている。


「リザリットは広いから、闇雲に探し回るより先に目的地に行ってそこで待ってた方が良いわ。ギルドに行くならついでに彼女を送ってもらえる?」


 シンシアの提案を断る理由も無く、リゼル達は“旅の道連れ亭”を後にし、マヌエラを連れて中央広場へと向かっていた。


「今更ですけどこの町の路地は迷路みたいですね……」


「実際に迷路として作っているんですよ。侵入した外敵を迎え撃つ為に、あえて路地を複雑に入り組ませてあるんです」


 土地勘の無い者が一度迷いこむと通りへ出るのも一苦労で、事実マヌエラは“旅の道連れ亭”に辿り着くまで一時間近く路地さ迷っていた。


「古代ロマリア時代に建設された都市のお約束ってやつかしら……」


 道幅が狭いのも少数で多勢を迎え撃つのに都合が良いからなのだろうとリゼルは推察する。


 彼女達が今歩いているのはインスラと呼ばれる安価な集合住宅が立ち並ぶ一帯だ。


 大人がすれ違えるほどの広さの道は背の高い建物の陰になっており昼間でも薄暗く、住人の大半が外に働きに出ている為か辺りはひっそりとしている。

 ミリア曰く、フォルム・リザリスへは通りに出るよりもここを抜ける方が近道らしい。


「それにしても迷子になるなんてエクトルが心配です。何かトラブルに巻き込まれてなかったら良いのですが……」


「そうね……」


 マヌエラの緊張感に欠ける声にリゼルは生返事で応じる。

 何をどう考えても迷子になっているのは彼女の方なのだが、言わぬが花というものだろう。


 リゼルから見てマヌエラはあまりにも無垢な女性だった。

 司祭まで登り詰めていることから年齢は彼女の方が上の筈なのだがスレたところが無く、ともすれば彼女よりミリアの方が大人びて見える程だ。


「きゃっ!」


「ほら、余所見ばっかしてないでちゃんと前見て歩きなさいな」


 石畳の段差に躓いたマヌエラをすんでのところで受け止める。


「えへへ、ごめんなさい」


 そう言って無邪気な表情を浮かべた。

 苛立ちよりも寧ろ庇護欲を掻き立てられるのは、彼女の人となりがなせる業だろうか。


「こりゃ今頃エクトルって人は血眼で探し回ってるでしょうね……」


 同意を求めるようにルーファスに視線を投げ掛けると、ミリアが神妙な顔をして何か考え事をしているのが見えた。


「どうかしたの?」


「……囲まれています。それもかなりの人数に」


 マヌエラには届かない微かな声でミリアが告げる。


「何ですって?」


「振り返っちゃダメです。まだ向こうは気付いていないので」


 ミリアにぴしゃりと言われ、リゼルは反射的に辺りを見渡そうとした首に急制動をかける。


「私のお客さんかしら?」


「そう思ったんですけど、だとしたら変ですよね? わざわざマヌエラさんがいる時を狙わなくても良い筈なのに……」


 ミリアの言う通りだ。商人の娘一人狙うのにわざわざクレスト教会の司祭を巻き込むなど、どう考えても割に合わない。


 対応を決めあぐねている内に四人は小さな広場に出る。

 するとそこに全身白ずくめの集団が忽然と現れた。


 数にして20人は下らないだろう。

 広場は建物が乱立する中に生まれた空白地を利用したもので幾つもの小路が延びているのだが、白ずくめの集団はその全ての出入り口を塞ぐように隊列を組んでいる。


「穏やかじゃないわね」


 彼らが手にしているのはメイスと呼ばれる殴打用の武器で、金属製の頭部は鎧の上からでも相手を撲殺出来る代物だ。

 皆一様に得物に見合うだけの強烈な殺気を帯びており、能天気なマヌエラもただならぬ雰囲気を悟ったのか表情が固くしている。


「リゼルさん……」


「分かってる。マヌエラは下がってなさい」


 そう言うや否や袖口から杖を取り出す。

 既にルーファスもルーンブレイドを構え、いつでも動けるよう全身に力を漲らせている。


「これより、神罰を執行する」


 集団の先頭にいたスキンヘッドの男が前に進み出ると、厳かに闘争の始まりを告げた。

 メイスを振りかざした暴徒達が雄叫びとともに次々と襲いかかってくる。


「過剰防衛とは言わせないわよ」


 リゼルは慌てた素振りも見せず杖に魔力を集中させると、漆黒に染め上げられた風の刃を連続して放った。

 疾走する風刃は容赦なく獲物に喰らい付き、全身を切り刻まれた暴徒達が鮮血を撒き散らしながら転倒する。


「怯むな!」


 スキンヘッドの男が叫ぶと、響き渡る苦鳴が怒号によって塗り替えられ、後続が雪崩れ込む。

 倒れた味方を容赦なく踏み砕いて進む暴力の波はしかし、たった一人の剣士によって一方的な蹂躙に見舞われる。


 ルーファスはまず正面から来る白装束の間合いに一瞬で侵入すると、袈裟懸けに斬撃を叩きつけた。

 振りかぶった体勢のまま上半身を斜めに断ち割られた男は断面から大量の血と内蔵をこぼしながら倒れる。


 次に横手から接近してきた男の一撃を身を屈めてかわすと切っ先を走らせ腹部を深く切り裂くと、背後から襲いかかってきた白装束の心臓を振り向き様に突き刺さす。

 そして剣を引き抜き様に駆け出した。


 赤雷の名に恥じない圧倒的なスピードだ。

 白銀の鎧騎士が駆け抜けた後には血風が舞い上がり、一人、また一人と白装束は果てていく。


 そこに鋼の打ち合う音が響いた。


「ええい、調子に乗りおって!」


 ルーファスと激突したのはあのスキンヘッドの男だ。

 左手に持ったラウンドシールドで器用にルーファスの斬撃をいなしつつメイスによる一撃を狙う。

 連続して繰り出される攻撃を危なげなく捌いていたルーファスだが、思いも寄らない一撃を顔面に喰らった。


「ルーファス様!」


 メイスではなくラウンドシールドを打撃に用いたのだ。

 一瞬ルーファスに隙が生まれる。

 それを好機とばかりに、スキンヘッドの男を除いて唯一生き残っていた白装束がマヌエラ目掛けて走り出す。

 当のマヌエラは足が竦み一歩も動くことが出来ない。


「させるかっての!」


 杖から放たれた疾黒が地を這うように飛翔すると男の両足を踝で切断する。

 バランスを崩して前のめりに倒れ込む刹那、白ずくめの男がマヌエラ目掛けてメイスを投げ付けた。


 唸りを上げて回転しながら飛ぶそれは、当たれば容易くマヌエラの骨を砕き内蔵を破裂させるだろう。打ち所が悪ければ即死すら免れない。


「危ない!」


 間一髪ミリアが身体ごとぶつかっていきマヌエラを押し倒す。

 唸りを上げるメイスは二人を掠め、そのままコンクリートの壁に激突して窪みをつけた。


「この!」


 足を失って尚もマヌエラに向かって這いずっていた男は、頸動脈をリゼルが放った風に切り裂かれ絶命した。


「二人とも怪我は!?」


「ありません!」


 驚くべきことに、これほど血生臭い戦場の中にあってもミリアは気丈さを保っていた。

 ルーファスと行動を共にしているだけあって場馴れしているのだろう。

 マヌエラにしても取り乱した様子も無く平常心を保っているのは大したものだ。


 やがて血の池に最後の住人が加わった。


 善戦したスキンヘッドの男だが、肩口からメイスを持った腕を切り落とされた後に返す一撃を胴体に受け崩れ落ちた。


「何だったのよこいつら……」


 リゼルは壁にもたれかかると大きく息を吐いた。

 日に何度も襲撃に合えば肉体的な疲労はもとより精神的な消耗が大きくなる。

 特に魔法の使用には高い集中力が求められる為、脳や神経への負担は計り知れない。


「神罰って言ってましたけど、一体何のことだったんでしょう」


「恐らく彼らはヴァレンティヌス派だと思います」


 二人の疑問にマヌエラが声を絞り出して答えた。


「ヴァレンティヌス派って確か……」


「はい、クレスト教会から分派した異端です」


 何故異端かと言うと、クレスト教会の創始者であるクレストこそが唯一にして絶対の神であると謳い、他の神々を否定する一派だからだ。

 ヴァレンティヌス派は各教団やクレスト教会を標的としたテロを度々起こしており、神聖ロマリア帝国だけでなく隣国のフランドル王国やブリタニア連合国においても非合法のカルトとして監視の対象にされている。


「彼等が襲ってきた理由はわたしが皇帝陛下に擁立された巫女候補だからに違いありません。わたしのせいで三人を巻き込んでしまうことになって本当にごめんなさい」 


「何であなたが謝るのよ」


 これまでになく思い詰めた表情で話すマヌエラをリゼルは一蹴する。


「悪いのは襲ってきたこいつらじゃない。そうでしょ?」


「はい……」


「だったら堂々としてなさい。狂信者の奇行にいちいちあなたが責任を感じる必要は無いのよ」


「よりにもよって狂信者とは、偽りの神にすがる分際で随分と恥知らずな物言いですわネ」


 幼子を嗜めるような甘ったるい声が唐突に割り込み、リゼル達は弾かれたように振り向く。


 一体いつの間に現れたのだろうか。


 死屍累々たる血の海のど真ん中に一人の女が立っていた。

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