第1部 1章 2

 リゼルは窓際の席に腰かけていた。

 カップを傾け琥珀色の液体を喉に流し込むと、口いっぱいに広がった芳醇な香りがささくれ立った心を解していく。


「良いお店ね、こんな良い紅茶が手頃な値段で飲めるなんて」


 リゼルの住んでた町でも買えないことは無いだろうが、恐らく倍以上の値段になるはずだ。

 流石は交易都市と言ったところだろうか。


「喜んでいただけて何よりです」


 目の前に座る少女が嬉しそうに微笑む。

 小さな口にケーキが運び込まれるとその笑みは更に深くなった。

 その隣ではルーファスが背筋を伸ばして座っている。

 飲み物を飲むどころか冑すら外す素振りを見せないのは、些か珍妙だ。


 ジロジロ見てると思われるのも嫌なのでリゼルは視線を窓の外へと走らせる。円形に広がる都市の南西部に当たるこのエリアは宿泊施設が集中しており、昼時を過ぎた今は人通りはまばらだ。

 二人に連れられてやって来たこの“旅の道連れ亭”もそんな宿屋の一つだが一階はレストランになっている。

 古い建物を改築したのか石造の古めかしい外観とは裏腹に内装は木の温もりを感じさせ、テーブル席とカウンター席に別れた店内は隅々まで掃除が行き届いており清潔感に溢れていた。

 今はリゼル達以外に客はいない。

 本来は昼営業を終えて夜に向けて仕込みの時間帯なのだが、店の看板娘がルーファス達と懇意にしている為特別に開けてくれたのだ。


「でも宜しいんですか? ご馳走になってしまって……」


「当然でしょ、助けてくれたんだから。ルーファス、あなたも何か頼んでも良いのよ?」


「…………」


 鎧の男は黙したまま微動だにしない。

 これにはリゼルも気分を害したか表情をムッとさせる。


「えっと、ルーファス様はその──」


「彼は喋りたくても喋れないのよ」

 

 ミリアを見かねて割って入ったのはエプロンを着けたショートカットの女だ。

 北方はノルド人の血を引いているのか、長身で全身の色素が薄くブロンドの髪も白い肌も透き通るように美しい。

 この店の看板娘の一人、ソノラ・バルテウスだ。


「彼、昔ドラゴンのブレスをまともに浴びてしまってね、喉が焼かれて喋れないの。ミリアが一緒にいるのはそれが理由よ。町長さんにお願いして、ルーファスとこの子の間に念話のパスを繋げてもらってるの」


「そ、そうなんです。冑を外さないのも火傷の跡が酷いからで、ルーファス様は普段から人前で食事をしたりしないんです。なので、あまり気を悪くされないで下さいね」


「ごめんなさい、私事情も知らずに──」


「気にしない、気にしない。最初は皆こんな感じだから。ね?」


 ソノラの言葉に鎧騎士がゆっくりと頷いた。


「それでリゼルさん、お聞きしてもよろしいですか?」


「私が何故襲われていたか……でしょう?」


 ミリアが真剣な顔で頷く。それは主の意思を反映させたものだ。


「席外そうか?」


「そんな気を使わなくて良いわよ、聞かれて困る話じゃないし」


 リゼルは残った紅茶を喉の奥に流し込み一息つくと、今日ここに至るまでの顛末を話し始めた。


「私がこの町に来たのはウェスタの巫女の候補者になる為だったの」


 ウェスタとは元々は家政を司る女神だった。

 しかし、都市国家から発展を遂げた古代ロマリアにおいて国家という概念が家族の延長線上にあった為、ウェスタはやがて国家の平和と統合を象徴する女神として信仰を集めるようになっていった。

 ウェスタの巫女とはそんな女神ウェスタの地上における代行者を務める女性のことで、当時の歴史家リビユスがその著作の中で“権力は皇帝に、権威はウェスタにあった”との言葉を残しているように、巫女は国家の家父長たる皇帝に並び立つ存在で、数ある神職の中でも最も尊ばれていた。


 時代が下った現在においてもその信仰は受け継がれており、ウェスタの巫女は政治的権力こそ持たないものの、絶大な尊敬と崇拝を集めている。


「では、一緒にいた女の人はリゼルさんがリクトルとして雇っていた方だったんですね」


 リクトルとは古代ロマリアにおいて要人を警護する役職の総称だが、今日ではウェスタの巫女、及びその候補者の護衛を務める武芸者を指す言葉として認知されている。

 ウェスタの巫女は神聖にして不可侵だ。その血は一滴たりともロマリアの地に流されてはならないとする掟がある。

 それ故、リクトルにはあらゆる危険から巫女を守るだけの高い戦闘能力が求められ、これがウェスタの巫女を選定する方法に大きな影響を与えた。


 こうして始まったのが、四年に一度選び抜かれた八組のペアによって競われる神聖ロマリア帝国で最も重要な神事であると同時に世界で最も権威ある武闘大会、ウェスタの巫女選定戦だ。


 本戦に出場する八組は、七選定候と呼ばれる神聖ロマリア帝国を構成する三百の領邦の中でも特に大きな力を持つ諸侯と、選挙で選ばれた領邦の代表者たる神聖ロマリア皇帝が一組ずつ擁立する決まりになっている。


 また、準備期間内であれば擁立された候補者に出場権をかけて挑むことも許されており、リザリットでも皇帝ヴィンフリートが擁立した候補者が訪れ、挑戦者を募る予選会が明日から開催される。

 

「そう言うこと。まぁ、まんまと嵌められてたわけだけど……」


「随分と訳ありみたいね」


「それほど複雑じゃないわ。私が選定戦に出ることを面白く思わない連中がいる。ただそれだけのことよ」


 リゼルはそう言って皮肉めいた笑みを浮かべた。

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