第1部 1章 1

「見て下さいエクトル! なんだかお祭みたいですよ!」


「はしゃぎすぎだってマヌエラ。ほら、ちゃんと前見て歩きな」


 まるで遊び盛りの子猫だ。

 青と基調とした祭服の厳かさを持ってしても、彼女の天真爛漫さを覆い隠すことは不可能らしい。

 エクトルを見つめ返す蒼穹の瞳は歓喜と驚きに満ちた光を放っている。


 彼女がこうなってしまうのも無理はない。

 ここリザリットは、北部沿岸の港湾都市と内陸各地を繋ぐ交易の要所として建設された交易都市だ。

 その歴史は古代ロマリア時代まで遡り、町の内外至るところに存在する遺構が在りし日の栄華を今に伝えている。

 経済活動が生む活況と歴史的建造物が纏う厳かな雰囲気が合わさるこの町は、長い歴史を通して数多の人々を虜にしてきており、観光地としても高い人気を誇っている町だ。


「お嬢ちゃん、良かったら見ていかないかい?」


 店番をしていた老婆に言われるがまま、マヌエラはお店の中へと誘われていった。


 二人が今いるのは町の南門と中央広場を繋ぐ目抜き通りで、余裕をもって馬車がすれ違える広さの通りには大小様々な店が軒を連ねている。

 その殆んどが肌着やロープ、ランタンに蝋燭といった旅の必需品を取り扱っている店だが、最近は観光客向けの店も増えている。

 マヌエラが入った店舗もそうした中の一つで、どうやらアクセサリーショップのようだ。

「へぇ、こんなに種類があるんだ」


「なんだか見てるだけで楽しくなりますね」


 二人は所狭しと置かれた商品を目で辿る。

 どれも凝った意匠が施されており、そこはかとなく神秘的な雰囲気を醸し出している。

 これらは全て、この地にいたとされる神々を象徴した紋章だ。


 リザリットを含め、三百近い領邦や都市を抱える神聖ロマリア帝国は多神教国家で、ユピテル、ヤヌス、ミネルヴァ、ケレース等を初めとした数多くの神々が奉られている。


 それは同時に神々の数だけ教団が組織されていることを意味しているのだが、単体で大陸全土に散らばる信徒をカバー出来る組織力を持つ教団は極めて稀な存在だ。


 そこで重要な役割を果たしてきたのがクレスト教会と呼ばれる聖職者ギルドである。

 この世界最古のギルドは、古代ロマリア時代の賢者クレストが結成した複数の教団からなる互助組織に端を発しており、今もこの地で信仰の火を守り続けている。


 マヌエラが着ている青の祭服は、そんなクレスト教会の中でも辺境地域を旅して回りながら各地で行われる祭事を取り仕切る巡回司祭にのみ与えられるものである。


「それにしても、あの年で巡回司祭とは大したもんだね」


「あの年って言ってますけど、彼女は僕より三つ上ですよ」


「本当かい!?」


 鏡の前でネックレスを手にとっているマヌエラを見て呟いた老婆が、エクトルの言葉に思わず目を見開いた。


「良く言われます」


 エクトルが苦笑する。

 マヌエラが二十一にしては童顔で幼く見えるのもあるが、彼も彼で年齢より上に見られがちだ。

 長身で引き締まった身体は若々しいが、ボウタイを締めたシャツの上からベストを羽織った上品な出で立ちと柔和な顔付きが彼の印象を落ち着いたものとさせている。

 一見すると貴族出身の青年実業家だが、その実態はクレスト教会に所属する僧兵だ。


 街道の治安が安定してきているとは言え、まだ旅に危険が付きまとう時代だ。

 それ故、巡回司祭が単独で派遣されることは滅多に無く、こうして僧兵が護衛に付くのである。


「まあそれはいいんだよ、私が言いたかったのは歳じゃないのさ。あんた達なんだろう? 皇帝陛下が選んだ二人と言うのは」


 今度はエクトルが驚く番だ。

 それを見て「ここはリザリットだよ」と老婆はニッと笑う。


「ここら一帯はリザリット修道院の教区だから巡回司祭が来ることは本来ありえない。もし来るとしたら本来の仕事とは別の使命がある時くらいさ」


 流石は交易都市の住人と言ったところか、エクトルは困ったように頭を掻く。

 ふと店内から雑踏を見渡すと、多くの視線が自分達に注がれているのが分かる。

 その大半が興味や好奇心に彩られていたが、中にはこちらを値踏みするな表情をしている者もいる。

 その殆どが武装した男女、つまり冒険者だ。

 長居しすぎると無用なトラブルを招きかねない。


 エクトルは「そろそろお暇した方が良さそうですね」と言葉を残し、マヌエラに歩み寄った。


「そろそろ出ようかなと思うんだけど……」


「あ、待ってください。これだけすぐ買うんで」


「お金出そうか?」


「良いんです。これは自分で払いたいんで」


 そう言って小走りで走っていく。

 そして会計を終えてすぐに戻ってきた。


「エクトル、これを」


 マヌエラが差し出したのは、竈で燃え盛る炎をあしらった装飾がされた小さなバッジだ。


「僕に?」


「はい。わたしはもう持ってますからこれでエクトルもお揃いです。きっとエクトルにも良いことがありますよ」


「ありがとう、大事にするよ」


「何だい、意外と隅に置けないねぇ」


 満面の笑みを浮かべるマヌエラの向こう、老婆が意地の悪い顔を浮かべていた。


「そう言うのじゃ無いですよ」


「ええ、そう言うのじゃ無いです」


 エクトルは照れ顔を、マヌエラは無邪気な笑顔を浮かべる。


「同じ言葉なのにこうも意味が変わるものなのかねぇ……」


 周りにいた人々も老婆と同感で、青年の前途多難さを思い各々の神に祈りを捧げるのだった。


「それでは冒険者ギルドへと向かうとしましょう」


「マヌエラ、逆々。こっちだから」


 元気よく宣言したマヌエラが来た道を引き返していくのをエクトルは慌てて引き留める。


 それからというもの、マヌエラはちょこちょことエクトルの後を着いていくのだが、途中で興味を惹かれるものを見付けてはふらふらと寄っていってしまう。

 エクトルはそんな彼女を特に注意するでもなく、立ち止まっては、満足してこちらを追いかけてくるのを待つのであった。

 我に帰って小走りで駆け寄ってくる様は小動物を思わせ、エクトルだけでなく道行く通行人達をも微笑ましい気分にさせた。


 エクトルがそんな彼女を見失ってしまったのは、もうすぐ目的地に差し掛かろうとしていた時だ。


「参ったな……」


 リザリットは比較的治安の良い都市だが楽観すべきではない。


 小さく溜め息を吐く。

 こうなればいっそ手でも繋いでおけば良かっただろうか。


「いや、そんな資格は無いか」


 己の掌を見る。


 そこにエクトルはべっとりとした赤いものを見た。

 幻視は他の五感をも刺激し、どうしようもない鉄臭さ鼻孔を突き、二度と聞くことの出来ない声が耳朶を打つ。


「マヌエラをお願いね」


「分かってるさ」

 

 エクトルはそう言うと、彼女を探すべく歩き出した。

 


 一方その頃──



「エクトル、エクトルったら! ちょっと待って下さいよ」


 こちらを振り返ることなくさっさと歩いていく青年を、マヌエラは必死に追いかけていた。


「もう! 何でわたしを置いていこうとするんですか!?」


「はて、何のことですかな?」


「あれ?」


 マヌエラの声に振り向いたのは口髭豊かな壮年の紳士。どうやら着ている服が似ていた為、見間違えてしまったようだ。


「ごめんなさい、人違いです」


「そうですか。では先を急いでいますので失礼しますよ」


 そう言って男性は去っていき、後にはマヌエラだけが残された。


 彼女がいるのは大通りから外れた区画だ。

 リザリットは中央広場から放射状に幾つもの大通りが伸びているのだが、どうやらその大通りと大通りの間に入ってしまったようだ。


 ここに来るまで道は何度も折れ曲がっており、後を振り返ってもさっきまでいた大通りは見えない。


 当たり前だがエクトルの姿も見当たらない。


「何と言うことでしょう……。エクトルが迷子になってしまいました」


 明らかに現状認識が間違っているが、それを正してくれる者は残念ながらここにはいなかった。

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