第一章-5

 結果から言うと、その後三日連続で公園のベンチにスタンバイしていたが、長い髪のお化けに遭える事はなかった。


「あれか、もう茨扇の家を見つけたからここに来る必要なくなったとか?」


 梧桐座の冗談に僕は、やめてくれ、と言葉を放つ。

 結局、あれは見間違いだったのだろうか。僕以外にその場に居なかった訳だし、その時の僕は精神的に疲れ果てていた。そんな精神状態が見せた幻だったのだろうか。だとしたら相当にイカれてた事になるから、できれば超常現象の方がありがたい気がする。だからと言って、本物の死神でも困るけど。


「はぁ……」


 ため息が零れ出る。

 今日は梧桐座がいない。何でも講義の後片付けの手伝いに抜擢されたそうだ。梧桐座がいないのだし、来なくても良かったのだが、なんだか足が公園へと向いてしまった。結局、僕は暇を持て余しているという訳か。

 冷たい風が吹いてくるのを、自動販売機で買ったカフェオレで暖を取る。そろそろ冷たくなってしまいそうなので、残りを一気に煽った。ゴクゴクと嚥下した後、真っ直ぐに向き直った瞬間に、視線の端っこに異物が侵入してきた。


「……」


 居た。

 というか、来た。

 髪の毛の化け物。前回と同じく、今回も公園を横切る様に進んでいく。ゴワゴワの長い髪の毛は揺れる事なく、不気味に移動していく。

 なんだろう、不思議と現実味が溢れ過ぎて怖くは無い。なんというか、恐ろしい物というよりも、現実そのものの、ただの人間の髪の毛という気がするのだが……


「うぅ……」


 さすがに声をかけるのは躊躇ってしまう。そもそも、幽霊か妖怪か宇宙人かUMAに何と声をかければいいのだろうか? どこかの涼宮さんじゃあるまいし。正義の味方に憧れているけど、ゴーストバスターズには憧れた事がない。マシュマロマンとは戦うならば是非とも合体ロボでお願いします。

 そんな風に悩んでいると、死神は急に動きを止めた。なんだ、と思って見てみると、死神がこちらを向く。どうやら、僕の存在に気づいたらしい。


「……ん?」


 いや、待て。こっちを向いた、だと? どうしてこちらを向いたって事が僕に分かったんだ? 髪の毛の塊に前なんか無いだろう。僕は何を見て、どう判断した?

 自問自答する様に目を凝らす。すると、暗くなっている中で、幽かに見えた。二つの目が。逆に怖い気もするが、髪の毛の化け物には、目が二つあるらしい。どうやら、僕の本能が視線が合った事に気づいたらしい。猫も視線が合うと喧嘩になるっていうもんな。視線には何らかの力があるんじゃないかと思う。

 なんて考えてる場合じゃない。

 死神がこちらへと向かって歩いてきた。歩いてきたって事は足もあるのか。まるで人間みたいじゃないか。つまり、幽霊じゃなくて、妖怪かUMAか宇宙人って事か。いやいや、そんな場合じゃない。逃げるべきか、それとも大人しく動向を見守るべきだろうか。捕まえれば、一躍有名人だろうな。いや、すでに僕は有名人だったか。ダメな方向に。


「…………」


 どうも思考が馬鹿げているが……いよいよ目の前まで迫ってきた時、僕はようやくその正体に気づく事が出来た。

 少女だった。

 幽霊でも妖怪でも宇宙人でもUMAでもなく、それは普通の小学生だった。

 普通?

 いや、普通じゃない。断じて普通な訳がない。髪の毛が異様な程に長いのは、よしんば普通と認めても、この少女が放つ雰囲気は普通じゃない。

 なんと表現したらいいだろうか。なんと表現するべきだろうか。分からない。もっと語学が堪能だったら、何かシックリとくる言葉が見つかると思う。

 あえて……あえて言葉にしたならば、たぶんだけど、外れてるかもしれないけれど、こうなる。


「なんて不幸そうなんだろう……」


 実際に、僕は呟いたのだろうか。思った事が口から出たんだろうか。それはどうかは分からない。分からないけれど、少女は僕の前で足を止めた。

 あぁ、うん、良く見れば髪の毛の間からちゃんと身体も見える。ずいぶんとくたびれた感じのトレーナーに、短いスカートだった。元々短かったのではなく、この少女が成長した為に小さく見える様な、そんな感じか。

 そんな風に僕が観察していると、少女はひょこんとしゃがみ込んだ。その長い髪の毛が地面に着いてしまうのに、まるで遠慮がない。だから、これだけゴワゴワと痛んでしまっているのだろうか。

 そんな僕の視線に構いもせず、少女は足元に転がっていた空き缶を拾った。それは僕が落とした物だった。自分でも気づいてなかったのだが、さっき驚いた拍子に落としてしまったらしい。少女はそれを拾って、キョロキョロと辺りを見渡す。釣られて僕も見渡した。一体、何を探しているのだろう?

 いや、そんなのは決まっている。ゴミ箱だ。空き缶を拾ってお金を探す人なんかこの世に居ない。空き缶に限らず、ゴミを拾ったならば、次に探すのはゴミ箱だ。

 案の定、少女はゴミ箱を見つけ、空き缶を捨てた。特に驚く事はない、ただの慈善活動。少子化が叫ばれる中、日本の小学生も捨てたもんじゃない。ゴミを拾っただけに。


「いやいや、そうじゃなくて……どうして?」


 少し離れた場所にいる少女に、僕は声をかけた。

 どうして、ゴミを拾ったんだろう?


「?」


 彼女は僕の言葉に首を傾げた。僕から見たら、髪の毛の上部分が少し傾いただけなんだけど、たぶん、首を傾げたんだろうなぁって思ったので、そう表現しておく。


「いや、どうしてわざわざ空き缶を?」


 僕が聞きたかったのは、果たしてそんな事だったのだろうか。本当は違う事を聞きたかったのかもしれないが、僕の口から出てきた言葉は、ゴミの件だった。


「目標だから」

「目標?」


 言いながら、僕は少女へと近づいた。傍から見たら、変質者に見えるだろうか? それとも勇者に見えるだろうか? 状況的には公園内で少女に声をかける変態か、髪の毛の化物に挑戦する勇気ある青年。僕的には後者のつもりだけれど、もしかしたら通報されるかもしれない。でも、それ以上に僕はこの少女に興味を抱いていた。


「今週のクラス目標。落ちてるゴミは拾いましょう」


 あぁ~、あったなそういうの。男女仲良く遊びましょうとか。小学校時代には一週間の目標を設定して、毎日達成できたかどうか班毎に発表していくのだ。帰りの会に。今はホームルームでいいのかな。

 まぁ、とにかく少女がゴミを拾った理由は分かった。


「それでゴミを拾ったのか。ごめん、さっきの空き缶は僕が落としたんだ」

「そうなんですか」

「うん、ありがとう」

「あ、いえいえ」


 なんだろう……凄く、普通の女の子だ。礼儀を失っているとか、情緒が不安定とか、そんな事は一切として無さそうだ。


「ちょっといいかい?」

「?」


 僕は、興味本位で、彼女に手を伸ばした。ゆっくりと髪の毛に触れる。やはり、ゴワゴワだ。不潔な感じではないが、痛みまくっている。そして、異常な量と長さ。それが相まって不気味な髪の毛のお化けと成っているのだろう。

 僕は、思い切って。

 彼女の前髪を左右へと分けてみた。

 チラチラと見えていた彼女の顔がはっきりと見える。年相応の、それなりに整った可愛らしい顔。美人とは言えないけれど、可愛いと表現するならば十人が十人ともそう言ってくれるだろう。そんな顔立ちだった。寒さのせいだろうか、少しだけ頬が赤くなっている。口は小さく開いていた。『あ』の形かな? びっくりしたのかもしれない。

 勿体無いな、と思った。

 髪の毛さえ普通ならば、十分に可愛い女の子なのに。


「?」


 僕の行動に、彼女はやはり首を傾げただけだった。まるで警戒心がない。知らない男がここまで手を出してるっていうのに。彼女には、何か決定的に欠けている物がある気がする。

 と、ここで、彼女がビニール袋を持っているのに気づいた。少しばかり透けて見える中身は食材だった。パックの肉とか、野菜とか。髪に隠れて見えてなかったけど、どうやらお使いの帰りらしい。


「お使い?」

「ううん、買い物」


 ……何故、否定された? お使いと買い物に明確な差でもあったっけ?

 まぁいい。


「あぁ、うん。買い物か。無駄話させてごめんな」

「あ、いえいえ。凄く楽しいです。先生以外の人と話すの久しぶりで」


 あはは、と髪の毛の下で彼女は笑う。

 何か、彼女の問題に触れてしまった気がする。弱ったな。これじゃぁ、縁が出来てしまう。というか、すでに縁が出来てしまっているだろうな。

 運命論とは言わないが、出会ってしまった限りは、何かしら変化はあるだろう。それが縁だと僕は思う。まぁ、ただの勘違いかもしれないんだけど。言うならば、ここで話をしたのも何かの縁、というやつだ。


「名前は?」


 だから、僕は彼女の名前を聞く。


「ゆきさきめいむです」


 ゆきさき? 行き先……?


「どんな漢字?」

「ユズの柚に、お妃さまの妃で、柚妃です。それから――」


 彼女はさっきと変わらないトーンで続きの名前の漢字を僕に教えてくれる。


「名前の名に、何も無いの無で、名無です」


 その自己紹介を受けて、僕は本格的に触れてしまった事に気づいた。

 もう手遅れだ。もうどうしようもない。徹底的に、触れてしまった。彼女の人生に。彼女のこれまでに。

 僕の半分しか生きてないだろうけど、恐らく僕の倍以上に苦労してきたであろう、彼女の人生に、触れてしまった。

 名前を聞いただけで。

 縁が合ったのか、どうか。それは分からないけど。とにかく、僕は彼女と出会ったのだ。柚妃名無と。出会ってしまった。何がキッカケだったのか、そんな事はどうだっていい。

 とにかく、とにかくだ。

 もう、思ってしまったのだ。

 仕方がない。

 そう……彼女を助けたい。

 そう思ってしまった。ゼロかイチか、それしか無い僕の考えで、彼女を見捨てるなんて事は出来ない。関わってしまったのなら、僕の中では、彼女を助けるしかない、という事しか考えられなかった。

 彼女は苦しんでいるのか、辛いのか、どういう現状なのか。そんな事は何一つとして知らない癖に、僕は勝手に、そう決め付けた。


「僕は茨扇空夜。茨城県の茨でシ、オウギはパタパタ扇ぐの扇。クウは空で、ヤは夜」

「空夜さんですか。かっこいい名前ですね」

「そう?」

「はい。私に比べたらぜんぜんカッコイイですよ!」


 あはは~、とメイムは笑う。持ちネタなんだろうか。いや、ぜんぜん笑えないので勘弁してほしい。


「ありがとう。とりあえず、これで僕と君は知り合いだ」

「あ、はい。そうですね、知り合いですね」


 まだ友達というには早いだろう。漫画や小説じゃないが、友達なんてのは気づいたら成っているものだ。お互いにそう思った時が、友人同士という関係になるんだと思う。明確なラインなんてものは無いんだろう。壊れる時以外は。

 メイムは、まだそれを望んでいない。僕との友人関係を望んでいない。それは、当たり前だ。年上の大学生が話しかけてきて、それを友人とは認識しない。それを友人と認識していないだけ、マシだ。つまり、彼女の精神は、まだ小学生という訳だ。どこにでもいる普通の小学生。ただ外見が異常なだけの小学生だ。内面は……まだ分からない。通常なのか、異常なのか、まだ分からない。

 そう、僕達の付き合いは、まだ始まったばかりだ。だから、まだ友達でもない。ただの知り合い。


「それじゃ、メイム。またね」

「うん、ばいば~い」


 まるで、友達と別れる様に、楽しそうにメイムは手を振った。僕もそれに応える。久しぶりに手を振った気がするな。

 ピンと伸ばした指先が冷える。

 メイムが公園から出て、見えなくなった頃。僕は指先を、はぁ~、と息で暖めた。じんわりと感じる温もりを覚え、そのままポケットに手を突っ込む。コツンと指先に当たった携帯電話。


「番号でも聞いといたら良かったか……」


 いや、それじゃぁナンパになってしまうな。

 なんて思いながら、僕は梧桐座に送るメールの文面を考えながら、家路につくのだった。

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