第21話 5月のサルビア

 5月のサルビア



 4時限目終了のチャイムが鳴り、「きりーつ」 「礼」の合図と共に私は礼の姿勢のまま渡辺君の真横まで移動する。何故なら教室の後ろのドアの真横に渡辺君の席があるからだ。

 この行動は勿論すぐに廊下に飛び出し売店へ向かうためなのである。


 渡辺君のみならず私の周辺のクラスメイト達も初めこそ私のこの行動に驚いている様子だったが、最近ではそれが日常と化し誰も私を咎める者はいない。渡辺君にいたっては私が廊下に飛び出しやすい様に少し身を引いて身体の前に私が通り抜けるスペースを開けてさえいてくれるのだ。

 今後の目標としては現在の渡辺君の左隣ではなく、右隣りまで移動することであろう。渡辺君の横の厚みおよそ60センチでもドアに近づいておくことが成功へのカギなのだ。

 そのためには現在の『礼』の合図での移動では間に合わない事が最近の調査で分かった。今後は『起立』の掛け声と共に移動を開始せねばならぬであろう。

 こういった『水原の移動』という既成事実を日々作っておく事が重要なのである。

 そして最終的な目標はやはり、『起立』の号令で移動を開始し廊下で礼をすることであろう。恐らくこれを達成する為には、更なる綿密な調査と試行錯誤が必要になる。しかし、まだ3年あるのだ。卒業の間近になればこの最終目標も達成できるであろう。



 私は廊下へ飛び出し階段へ向かって走る。ちょうど同じタイミングで階段へ続く丁字路の反対側の教室から一人の男子生徒が飛び出してくる。『やはり来たか』と私は呟く。私達は階段へ向かう丁字路へ向かってお互いどんどんと接近していく。

 ほぼ同時に丁字路の角に到達し、私は右に、彼は左に90度方向転換をする。階段に差し掛かると男子の彼は階段を2段飛ばしで駆け降り私は少しの遅れを取る。しかし螺旋階段のインコースに位置する私は手摺を掴み最短ルートで180度ターンし彼に再び並ぶ。

 4階から1階までデッドヒートを繰り返し、ほぼ同時に売店への渡り廊下に降り立つ。

 残るは最後のストレートだ。馬力とトルクに勝る彼は最後の直線で常に私の鼻差で売店にたどり着くのだった。


 さて、最近の私のお気に入りについて説明せねばなるまい。

 我が高校の売店には3種類の総菜パンが存在する。初日に食べたポテトパン。売れ筋ナンバーワンのナポリパン。もう一つヤキソパンなるものが存在する。これは食パンにマーガリンがたっぷり塗ってあり、その上に安っぽいソースを絡めた焼きそばが乗っている総菜パンである。

 それ以外は大手パンメーカーの銀チョコやあんぱん、メロンパンやカレーパン等の類だ。

 正直、一番初めにそのヤキソパンを目にした時は、焼きそばにマーガリン? と流石の私も些か抵抗があったのだが、これがまた旨いのである。安っぽいソースにマーガリンが絡むと何故か味に深みを与え、スパイシーなソースにコクとまろやかさを加えるのだ。

 最近はナポリパンとヤキソパンを日々交互に食べている状態である。


 私は戦利品のヤキソパンと紙パックのジュースを持っていつもの中庭へ向かう。それらを食べ終えサルビアの花壇の前に行きしゃがんだ。


 5月になりサルビアの芽は緑に青味を増し、葉の大きさは5倍になろうかとしている。

 私は以前サルビアの開花時期をスマホで調べた事がある。6月から11月頃まで花が咲くとのことであったが、あと1か月で花が咲くほどにまで成長するのであろうか、などと思案していた時である、

 「やあ、ここにいたのかい? 探したよ」と背後から声をかけられた。


 びっくりして振り向くとそこには先程まで死闘を演じた総菜パン争奪戦のライバルの男子生徒が立っていた。

 彼は細身で四角い眼鏡をかけ神経質そうな表情をしている。


 「君は今日何を食べたのだい?」と彼は私を指差しながら尋ねてきた。

 「今日はヤキソパン」と正直に答える。

 すると彼はクルリと私に背中を向け腕を腰の辺りで組みながら、

 「僕と同じだね」とため息交じりに言う。

 「はぁ……」と私は一応返事をした。


 彼は背中を向けたまま、

 「正直僕は君をライバルと認めている。この1ヶ月君は廊下に飛び出すタイミングを日々早めている様だ。だが僕も君の成長に負けず劣らず廊下に飛び出すタイミングを早めているのさ」と空を見上げながら言う。

 実は私も彼の廊下に飛び出すタイミングの成長に気が付いていた。私が日々少しづつではあるが廊下に飛び出すタイミングを早めているのにもかかわらず、彼は私とほぼ同じタイミングで廊下に飛び出すのだ。

 

 「僕はね、何事も1番でなければ気が済まないのさ。例えそれがパンを買う事であろうがね」

 相変わらず彼は私に背を向けたまま一方的に話す。

 「学業でもそうだ。僕は1番にならなければならない。幸い入試試験では辛うじて1番を死守することが出来た。はっきり言ってこんな高校の入試ではブッチギリで1番になると考えていた。ところがどうだ? 僕のすぐ下に僕に僅差で追いすがる475点という得点を得た生徒がいたのだ」

 え? それって私では?

 「正直ショックだったよ。こんなゴミクソカス高校で僕の1番を脅かす存在がいるのだからね。名前は思い出せないが女生徒である様だ。ところで君はこの高校にふさわしくない地味で真面目であか抜けない印象であるようだが入試試験の上位20名には名前を連ねる事が出来たのかい?」

 確か私の上に495点というあり得ない得点を叩き出した生徒がいた事を思い出す。目の前の彼がそうなのか。

 「うん、残念ながら2番だったけど」と私は答える。

 私がそう答えた瞬間、彼が勢いよく振り向き驚きの表情で私を凝視する。

 「ま、まさか君は」

 私も彼を凝視し、

 「まさか君は」と合わせる。


 そして私達はお互いタイミングを合わせて問う。


 「君の……名前は?」

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