第20話 今の沢村君

 今の沢村君



 連休も終わり今日からまた学校が始まる。中学生の頃の私ならこんな朝は憂鬱で仕方なかった筈なのに不思議と心が躍る。


 軽い足取りで寮を出て学校へ向かう。サラリーマンやOLが連休明けの憂鬱な表情で道を行き交う。5月にもなると午前7時とはいえ太陽はすでに見上げる程高く昇り朝日を照射してくる。時折乾いた風が斜め後ろから私を追い抜き、その都度スカートを押えなければならない。


 昇降口を抜け玄関に入り下駄箱で上履きに履き替えてると沢村君が下駄箱に近づいてくるのが見えた。

 最近は彼とバッタリ出くわしても驚かなくなった。以前のような恐怖心が無くなっているのだ。私は一瞬躊躇したが勇気を出して声を掛ける。


 「沢村君、おはよう」

 彼は目を合わせずに、「おう」と一言いう。


 てっきり無視されると思っていた私は幾分ドキマギし、しかし更に話しかける勇気は無くわざとゆっくり上履きに履き替えて沢村君を先に行かせた。


 沢村君の背中を見つめながら少し後ろをゆっくり歩き思いを巡らす。私の知る中学1年生の時の沢村君はいつも取り巻きに囲まれ、その中心で彼らと時にはふざけ合い、大騒ぎし、大笑いし、常に彼の周りは賑やかだった。

 しかし、今の彼はどうだろう。いつも一匹狼という感じでクラスでも積極的に誰かと会話するでも無く、笑顔を見る事も殆どない。私の知らない中学2年生と3年生の2年間に彼をここまで変貌させる何かがあったのか、彼はすっかり変わってしまった様に思える。少なくとも私の知る沢村君を今の姿から見つけることは出来ない。

 松葉君との喧嘩騒動もあり近寄り難いのか、クラスメイト達も積極的に沢村君に話しかける事も無く、また彼もクラスメイト達に話しかける事も余りない。


 寂しくないのだろうか……。中学時代の私と重ねてみる。私なら……きっと寂しい。それが嫌だからこの学校を選んだ訳だし。私はなんとか足掻き、少しづつではあるが祥太君や慎太郎君という友達を作りつつある。地元には日柴喜佳代さんやまだ会ってはいないが大森霜月さん。教室の私の席の周りでは松葉君や吉安さんと言う気軽に会話の出来る人達も出来つつある。


 しかし沢村君はそんな私の日常と逆行するかの様に生きている。まるでイスラムのラマダンの如く、自らを厳しく律するかの様に生活をしているように思える。

 彼が他者を遠ざけ孤独を貫く。それを彼が望んでいるんだろうか。だとしたらそれは何故だろう。

 確かに環境は変わったし知り合いのいないこの学校に進学したことも大きな要因の一つであると思うけれど。歳を重ね精神的に成熟しつつあるのも理解できるし私だって3年前と比べれば幼稚さも抜け心身ともに成長している事は実感出来るのだけれど。

 それでも沢村君の現状に違和感を覚えてしまう。


 私は最後に見た沢村君の笑顔を思い出してみる。だけれど、どんなに思い出そうとしてもその笑顔は靄がかかったように不鮮明で曖昧模糊である。

 私の記憶の中から彼の笑顔はすっかり色あせ、それはやがて輪郭を失って行き千切れた輪郭の隙間から色あせたセピア色が流れ出していく。


 笑顔の無い青春などと言うものがあるのだろうか。

  

 青春とは何だろうか。私の知っているそれをイメージし、私はそれを漠然と言葉にする。友情や恋愛、はたまた仲間との絆や共に何かを成し遂げた時の達成感などであろうか。

 現在までの私にはそれら全てに経験は無い。だけれど心のどこかでそれを夢見つつ日々藻掻きながら生きているのだ。

 私だけに限らず他の誰しもが同じように生きているのではないかと思うのだけれど……。


 しかし沢村君はその全てをまるで拒絶するかのように生きている気がしてならないのだ。彼がこの旭第一高校に進学した理由も解らないままであるし。


 彼の人生の中で彼を大きく変えてしまった出来事があるのかも知れない。当然私にはそれが何かは解らないし訊く事も出来ないのだけれど……。


 彼が本当にそれを望んでいるのかは解らない。友情や絆など彼は必要としていないのかも知れない。だけれど、それでも心のどこかで少しでもそれらを望んでいるのだとしたら、選択肢の最後の一つでもいいから私を候補にして欲しい。彼の人生の岐路にミジンコほどでもいいから存在させて欲しい。いつの日か『高校時代に水原という奴がいたなあ』と一瞬でもいいから思いをはせて欲しい。

 何故彼にこんな感情を抱くのであろう。中学が一緒だから? 本当にそれだけ? 別の私が私に問いかける。私はその問いに無理やり『うん』と答える。私のその返答に別の私がとりあえずは鳴りを潜める。しかし私は、別の私の存在を完全に消去しないでいる。いつかまた現れて欲しいと心のどこかで思っていた。


 

 私は少しだけ歩みを早め沢村君と距離を詰める。いつかこの距離が無くなればいいな……と思いながら教室まで歩いた。

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