幸運判定装置

糸賀 太(いとが ふとし)

幸運判定装置

 札束と拳銃だけがあった。

 まずは前者を使うことにした。

 後ろで爆音のカーステレオが通過する。運転手はドップラー効果を教えて回りたい気分のようだ。歌詞は「ベガスで夢を」とかなんとか。

 ボディチェックの手が、太ももで止まった。

 黒服の一人が、私のポケットに手を入れて引き出す。

 こんばんは。ベンジャミン・フランクリン。

 細工も何もない。確認再開。

 脇の下でも手が止まる。

「護身用ですか?」

「贈り物です」

 黒服たちは私の服装を一瞥する。

 礼服もネクタイも創業記念日に着ただけ。新品も同然だ。

「ようこそ」

 シリコンバレーの邸宅は真の億万長者だけのものだが、ベガスのカジノは打ちのめされた金持ちにも門戸を開いている。

 オペラ座を模した不夜城の入口で、筆記体のネオンサインが身をくねらせる。

 夢をもぎ取れ

 誘蛾灯に照らされて、私はロビーに足を踏み入れた。


「いくらにされますか?」

 チップカウンターで全財産を取り出すと、脇の下に冷や汗を感じた。

 蝶ネクタイをした、この道数十年といった趣のスタッフが、札束を見つめてくる。

 私は首を曲げて、奥の賭博場を眺めた。

 バカラ、スロット、クラップス、ルーレット、ブラックジャックなどなど。一通り揃っているようだ。

「カードより、ダイスのほうがいいんでしょうか?」

 札束を握ったまま質問した。

「なゼダイスがよいと思われるのですか?」

「確率論の計算をしたい気分じゃないんです」

「消極的理由に基づく判断は推奨いたしかねます」

「結局は運でしょう?」

「なんとも申し上げられません。一個人としては」

「一個人としては?」

 私は相手の顔を見つめた。

 老人はポーカーフェイスだ。

「ツキが回ると、いう言い方はご存知ですね?」

 スタッフは両手を体の前で揺さぶった。

 私の目は、老人の手を追いかけた。

「直観とは、幸運というとらえどころのない対象が自己に内在するかどうかを見抜く力でもあります。ですが、お客様のうち直観を身に着けていらっしゃるかたは、控えめに申し上げて、多くはありません」

 私の隣で、女性二人組がチップのかごをさげて、賭博場に入っていった。

「いい席が埋まりそうなんですけど」

「失礼ですが、どこがいい席かお分かりになりますか?」

 返す言葉がない。

「もしも幸運の女神Lady Luck、失礼、幸運の彼の神They Luckの微笑みがご自身に向いているかどうか確かめる手段があるとしたら、いかがなさいますか?」

「何を言ってるんです?」

 老人はカウンター上の掲示板のうち、一点を指差した。

 幸運判定装置 詳細はスタッフまで

 注文はチップをご購入した後で、と注釈がある。

 私は札束を手放した。


 足音がしない絨毯敷きの螺旋階段を上り、案内された先は天井桟敷の個室だった。

 下の賭博場を眺めようとすると、ガラス窓になっていることに気付いた。防弾かと思う分厚さだ。

「よろしければ、おかけになってください」

 老人が革椅子を勧めてきた。

 ヘッドレスト付きのハイチェアだ。なぜか入口に向けてある。

「結構です」

 もし座ったら、階下からは椅子の背中だけが見えるだろう。

「果物はいかがですか?」

 サイドテーブルにリンゴがある。

「食事ならレストランに行きます」

 階下では、人々が両手を突き上げたり、力なく両脇に垂らしたりしている。

「装置はどこにあるんです?」

 あるのはミステリドラマに出てくる郊外の屋敷にお似合いの調度ばかりだ。

「少々お待ち下さい」

 スタッフは、鍵を取り出して小卓の引き出しを開けた。

 出てきたのは回転式拳銃と、弾薬箱だ。

 老人は慣れた手付きで弾丸を込める。一発だけだ。

 弾倉を回すと、テーブルに置いた。

「こちらが装置です」

「安全装置ですか?」

「と、おっしゃいますと?」

「素寒貧になったカモが逆上して、ライフルと一緒に再訪しないようにするための」

 ベガスにはいくらでもカジノがあるのに、どうしてここを選んだのだろう。

「私どもはお客様を追い払うような真似はいたしません。たとえ崖っぷちに立っていらっしゃるようなお客様でも歓迎しております」

「じゃあ早くしてください」

 私は拳を握りしめた。

 爪が食い込む。

「では、装置について…」

「そうじゃなくて」

「部屋にお招きしたら必ず説明をするよう、仰せつかっております」

 私は椅子に身を投げだして、耳だけは傾けた。

「ロシアンルーレットが外れるとは、運がいい、ツキが回ってきているということです。幸運と判定されたお客様は、笑顔でお帰りになります。なかには新車のスポーツカーで出ていかれる方もいらっしゃいます」

 不運なやつは黒い高級車なんだろう。詭弁同然の装置に文句もつけられず。

「ご覧ください」

 しかめっ面の私をよそに、老人は壁板に指を当てて横に滑らせた。

 のぞき窓だ。

 立ち上がって顔を近づける。

 男がいる。私と同じようなだ。

 装置を使うらしい。

 引き金を引く。

 不発。

 男がなにか言う。

 向こうのスタッフが弾倉を回す。

 男は銃を受け取り、ふたたび運を試した。

 不発。

 弾倉の回転。

 さらにもう一回。

 不発。

 男は銃を置き、書類にサインをして、部屋から立ち去った。

 もう何の動きもない。

「お考えになる時間も必要かと存じます。どうぞご遠慮なく」

 老人がサイドテーブルのリンゴを示した。

 夕飯は食べてこなかった。

「どうも」

 一口かじる。

 装置の売り文句と同じ、中身のないスカスカな歯ごたえを予想していたが、実際には違っていた。カリフォルニアのエネルギーが詰まっている。

 私はリンゴを貪った。


 芯を捨てると、スタッフが階下を示した。

「もしよろしければ、下をご覧ください」

 私は天井桟敷から賭博場を見下ろす。

 さっきの客がクラップスに大金を賭けていた。

 男がダイスを振り出す。

 男は勝った。

 三回続けて勝って、笑顔で去っていった。

「契約書でございます」

 老人が別の引き出しから書類と万年筆を取り出してきた。

 たった一枚きりの紙だ。

 思えば、私が破滅したのも契約書のせいだった。あのとき、中身を読んでから署名していれば、違う未来があったはずだ。

 有り金をスったら、自分の頭を吹き飛ばすまでだ。読む必要はないとも思ったが、裏切り者達のツラを思い出すと、読まないのも癪だった。

 書類に目を落とすと、アルファベットが自然と浮かび上がり、応報avengeという語が出来上がった。

「ご不明な点があれば何なりと仰ってください」

 契約書の終わりには、装置の使用によって生じたいかなる損害にもカジノは責任を負わないことと、死亡あるいは意識不明のまま一定期間が過ぎた時にはチップを全て没収する旨が書いてある。

 一番右下には、手書きに十分な余白とアンダーライン。

 奴らの鼻に、札束をねじ込んでやるのも悪くない。馬鹿らしい仕掛けで掴んだ金でも構うものか。むしろ痛快じゃないか。

 私はサインした。

「どうぞ」

 老人が銃を差し出す。時を感じさせる手だ。

 受け取る。銃床が掌に馴染んだ。

 こめかみに鉄のキス。

 引き金を引く。

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幸運判定装置 糸賀 太(いとが ふとし) @F_Itoga

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