雑貨屋さんの恋愛相談

「杏奈が結婚、か。」

しみじみと呟き、朱鳥は目の前のグラスを勢いよく飲み干す。

「お兄ちゃん、ちょっとペース早すぎ!」

もう、飲んじゃダメ!

と、杏奈は店員にお水を頼んだ。

駅から会社までの大通りから、杏奈の大切な雑貨屋とは反対の通りの脇道を入った所にある、小さなビア・バー。

以前は玲美が勤めていた店だが、玲美が辞めた後も、朱鳥・杏奈ともに度々訪れている。

先日、真咲が杏奈と共に朱鳥の家を訪ね、杏奈との結婚の許しを朱鳥に求めた。

杏奈の心配をよそに、意外にもすんなりと受け入れた朱鳥だったのだが、その後の朱鳥の落ち込みようを陽子から伝えられ、今日は杏奈が朱鳥をビア・バーに呼び出したのだ。

「お兄ちゃん、パパになるんだよ?しっかりしないと。私の事に構ってる暇なんて、なくなるんだからね?」

「それとこれとは、話が別だ。」

大人げなく拗ねたように顔を背ける朱鳥に、杏奈はため息を吐く。

「あいつの恋愛相談になど、乗るんじゃなかった・・・・」

「恋愛相談?」

「ああ、そうだ。あいつは、事もあろうにこの俺に、お前との恋愛相談をしていたんだ。」

運ばれてきた水を一口飲み、朱鳥は顔をしかめた。

「なぁ、もう一杯、飲んじゃダメか」

「ダメ。」

朱鳥の言葉に被りぎみに却下しつつ、杏奈は朱鳥に尋ねる。

「真咲さん、お兄ちゃんにどんな相談してたの?」

「まぁ・・・・色々だ。」

「色々、って?」

「・・・・もう一杯だけ飲んでいいか?」

懲りずに食い下がる朱鳥に、杏奈は仕方なく頷いた。

「話してくれるなら、いいよ。もう一杯だけ。」

すかさず、近くを通りかかった店員にハイネケンを注文すると、朱鳥は運ばれてきたグラスに口をつけ、満足そうな笑みを浮かべながら、話し始めた。

「そうだな、あれはいつだったか・・・・




「よっ、お疲れ。」

最近見つけ、お気に入りとなったビア・バーに入ると、カウンター席に見知った顔の男が一人。

朱鳥はその男の隣に腰を掛け、カウンター内の店員にいつものビールを注文する。

「玲美さん、ハイネケンひとつ。」

「あら、間宮さん、いらっしゃいませ。」

にこやかな笑顔で朱鳥を迎えた玲美は、ほどなく注文のビールを朱鳥の前に置きながら、そっと告げた。

「間宮さん、いらしたばかりで申し訳無いんですけど・・・・この子の相談に乗ってやっていただけます?ここに来るなりずっと、こんな感じで・・・・」

はぁ・・・・

と盛大に溜め息を吐き、眼前のギネスに口を付ける事も忘れているかのような我が弟の姿を心配し、玲美は朱鳥に頭を下げた。

「この子、間宮さんになら話すと思うから。」

このビア・バーには、朱鳥は最近よく会社帰りに足を運んでいる。

軽く一杯飲むだけで長居はしないものの、ふとした会話の中から店員の玲美とは同じ年であることが分かり、その玲美の弟である真咲とも店でよく顔を合わせるようになり、今では玲美・真咲の姉弟とは心を許す間柄となっていた。

「お安い御用だ。」

軽い調子で頷くと、朱鳥は隣で真っ暗闇のオーラを纏っている男の背中を、思い切り叩いた。

「いっ・・・・何や、間宮さんかいな。何ですの、急に。」

「どうした、真咲?せっかくのビールが台無しだぞ。」

「・・・・あ。」

今の今までそこにビールがあった事を忘れていたかのような、真咲の顔。

いつもの陽気で明るい真咲からは、あまりにもかけ離れた表情に、朱鳥は顔を曇らせた。

「話してみろ。何があった?」

「・・・・せやかて、間宮さん・・・・」

緩慢な動作でギネスの入ったグラスを持ち上げなら、真咲がボソリと呟く。

「男の恋の悩みなんて、興味無いですやろ?」

すっかり気が抜けて、ぬるくなってしまったギネスを口に含み、真咲はぼんやりとした瞳を朱鳥に向けた。

(確かに・・・・)

真咲の言う通り、昔から女性の恋愛相談にはよく乗っていたものの、男の恋愛相談に乗るような趣味は、朱鳥には無かった。

おそらく、一緒に飲んだ時にチラリと話した事を、真咲は憶えていたのだろう。

だが。

自分を見ているようで、どこか遠くへ意識が飛んでしまっているかのような真咲の瞳の虚ろさには、さすがの朱鳥も心が動かない訳が無い。

「男の恋の悩みになど興味は無いが。」

冷えたハイネケンで喉を潤し、朱鳥は言った。

「お前の恋の悩みには、多少興味があるな。」

「・・・・え?」

呆けた声を出す真咲に、朱鳥は話を促す。

「で?どこのどんなお嬢さんなんだ?お前をそんな腑抜けにするような女性は。」

「俺の・・・・運命の人、ですわ。」

「は?」

「真面目で堅物。でも、めっちゃおもろくて、可愛くて。うちのお客さんなんですけど、もっと前から俺は彼女を知っとって。彼女を笑顔にするんが、俺の夢やったのに・・・・」

虚ろな瞳のまま、真咲は大きく息を吐き出す。

「何であないなこと、言うてもうたんやろ・・・・」

そう呟いて、真咲はそのまま額をテーブルに乗せた。

「きっともう、店には来てくれへん・・・・嫌われてもうたんや、俺。」

(これはまた、重症だな。)

ガックリと肩を落とす真咲に、朱鳥はやれやれと溜め息を吐く。

カウンターの中からは、玲美が心配そうな視線を弟へ送っている。

「詳しく話してみろ。」

そう言って、朱鳥は2杯目のハイネケンを玲美に注文した。



「なぁ、真咲。お前は彼女に【嫌いだ】と、はっきり言われたのか?」

話を聞き終えた朱鳥は、真咲に確認を取る。

真咲の話をどう解釈してみても、朱鳥には真咲が嫌われる理由が見つけられなかった。

「・・・・へ?」

カウンターに頭を乗せたまま、真咲は顔だけを朱鳥へと向ける。

「お前はただ、彼女に【つまらない人間】なんて言った奴はどこのどいつだと、聞いただけだろう?彼女を貶めるような発言をした奴が、許せなかっただけだろう?」

「その通りや。でも、【嫌い】とは、言われてへんけど・・・・あれから全然、店に来てくれへんし。」

「だったら、呼び出せばいいじゃないか。」

「・・・・は?」

そんなことできるわけないだろう、とでも言いたげな真咲に、朱鳥は笑って言った。

「お前よりもきっと、彼女の方が気にしているはずだぞ。お前から声を掛けてやらなければ、彼女は本当にこのままお前から離れて行くだろうな。大丈夫だ、真咲。いつもの調子で、彼女を呼び出せ。お前のその【運命の人】とやらが俺が想像するような女性なら、彼女は絶対にお前の呼び出しに応じるはずだ。」

「・・・・そやろか・・・・」

玲美と同じ淡いブラウンの瞳が、心の揺らぎそのままに、不安定に揺らめいている。

「それともなんだ、お前の【運命の人】とやらは、そんな薄っぺらい女なのか?」

朱鳥は鼻で笑って真咲を見た。

「そんな女なら、放っておけ。いい女なんて、他にいくらでもいるだろう?」

「そないなことっ!」

勢いよく体を起こし、真咲は怒りも露わに朱鳥を睨みつけた。

「そないなことある訳ないやんっ!彼女はめっちゃええ子やねん。最高の子やねんっ。いくら間宮さんでも俺、許さへんで。」

「だったら。」

ニヤリと笑い、朱鳥は言った。

「さっさと行動に移すんだな。」

「えっ?」

グラスに残っていたハイネケンを飲み干し、朱鳥は鞄を手に立ち上がる。

「『スープと女は冷めたら不味い】って言うだろ?」

今日は真咲の奢りな。

そう言って、朱鳥はそのまま店を出た。

店を出る直前。

「いや・・・・知らん。初めて聞いた・・・・」

真咲の言葉が聞こえてきた。




まさか、真咲の【運命の相手】とやらが杏奈の事だったなんて、な。もし知ってたら・・・・」

「知ってたら、何?」

ギロリと睨む杏奈の目に、朱鳥は口を噤む。

「いや・・・・」

「でも、お兄ちゃんのお陰だったんだね。私、全然知らなかった。ありがとう、お兄ちゃん。」

「・・・・兄としては複雑な気分だ。」

そう言って、朱鳥は勢いよく、グラスの中のハイネケンを飲み干す。

「あ~もう、お兄ちゃんっ!そんな一気に飲んじゃ・・・・」

「これが飲まずにやってられるか、って、な・・・・」


ゴンッ


と。

朱鳥はそのまま強かに額をカウンターに打ち付けたまま、動かなくなった。

やがて聞こえてきたのは、小さな寝息。

「え・・・・ウソでしょ?!お兄ちゃん・・・・お兄ちゃんっ!」

いくら揺さぶっても起きる気配の無い朱鳥に、杏奈大きな溜め息を吐いた。

「もうっ!だから飲んじゃダメって言ったのにっ!」

仕方なく、真咲に電話をかけ、助けを求める。

「真咲さん、ごめんなさい。お店終わったら」

「もう終わっとるで。」

すぐそこから聞こえた声に、杏奈は驚いて声のする方向へ顔を向ける。

と、少し離れた場所で、真咲が苦笑を浮かべて杏奈を見ていた。

「真咲さん、なんで・・・・」

「今日、お兄さんと会う言うてやろ?なんやこうなる気ぃしてな。で、少し早めに店閉めて、ここで待機しとったんや。」

まったく、何ていう人だろう、この人は。

照れたような笑みを浮かべながら近づいて来る真咲を、杏奈は驚きの目で見つめる。

「なんや恥ずかしい話、バレてもうたな。」

「何も恥ずかしい話なんて、無かったですよ?」

「ほんま?」

「はい。」

「そか。」

安心したように笑うと、真咲は慣れた手つきで朱鳥の脇の下に腕を差し込み、朱鳥の体を持ち上げる。

真咲が眠ってしまった朱鳥を家へ連れ帰るのは、実はそう珍しい事でもない。

故に、真咲の方も手慣れたものだった。

「杏奈ちゃん、朱鳥さんの荷物、頼むわ。」

「あ、お会計がまだ・・・・」

「あぁ、もう終わっとるで。」

いつか、真咲は言っていた。

杏奈には、一生かかっても、敵う気がしないと。

朱鳥を背負って前を歩く真咲を追いながら、杏奈は思っていた。

(あの言葉、そっくりお返しします。私は一生かかっても、あなたに敵う気がしません。)

そして、真咲に身を委ねながらも夢の中にいる朱鳥に、杏奈は思った。

(お兄ちゃん、あんまり真咲さんに迷惑かけないでね。)



【雑貨屋さんの恋愛相談 終】

【私の雑貨屋さん 完】

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私の雑貨屋さん 平 遊 @taira_yuu

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