雑貨屋さんの親友の恋

「ねぇ、杏奈ちゃん。」

「なんですか?」

駅から会社までの大通りから、杏奈の大切な雑貨屋とは反対の通りの脇道を入った所にある、小さなビア・バー。

真咲の姉、玲美が勤めている店。

カウンターの席に座り、杏奈は智と共に真咲を待っていた。

玲美は、今日を最後にこの店を辞めるという。

玲美の最終日に3人で飲もう。

そう言いだした真咲は、閉店直前に入ってきたという客からの電話応対のため、まだ店には到着していない。

「僕と初めて会った日のこと、憶えてる?」

にこやかな笑顔で智にそう問われ、杏奈は飲みかけたビールを吹き出しそうになった。

杏奈が飲みかけていたのは、初心に戻って、ヒューガルデン。

杏奈が最初に気に入ったビールだ。

「なっ・・・・なんですか突然。憶えてます、憶えてますよ!忘れる訳、無いじゃないですか・・・・」

最後は消え入りそうな声で呟き、顔を赤くする杏奈を、智は愉快そうに眺める。

「そうだね。僕も忘れられないよ、あれは。ホント、面白いよね、杏奈ちゃんて。」


『申し訳ありません!あなたがものすごく綺麗だったので、つい・・・・』


そう言って、自分の前で慌てて頭を下げた杏奈の事を思い出し、智は笑った。

幼い頃からこの容姿のせいで、無遠慮な視線に晒される事は多々あったものの、その後バカ正直に謝る人など、智は見た事が無かった

杏奈に出会うまでは。


「いや、どちらかと言うと、忘れていただきたいです・・・・」

「無理だね。」

「智さん・・・・」

まだ顔を赤くしたまま、困った顔を見せる杏奈に、智は言った。

「僕はね、嬉しかったんだ、あの時。信用できる人がまた1人、増えたと思って。」

「えっ?」

「だから、絶対に忘れないよ。杏奈ちゃんには、悪いけど。」

軽くウインクをして、智は目の前のグラスに手を伸ばす。

玲美のお勧め、サルバトール。

「これも、真咲のお陰だな。」

そう智が呟いた時。

「堪忍な、遅なってもうて!」

賑やかな声と共に、真咲が店へと飛び込んできた。



(不思議だな・・・・)

クルクルとよく動く玲美の姿を眺めながら、智はぼんやりと思っていた。

ビールにしてはアルコール度数が高めのサルバトールは、心地良いほろ酔い加減を智に与えてくれている。

(真咲の周りには、何でこんなに『面白い人』ばかり集まるんだろう。)

明日も仕事だからと、真咲と杏奈は先ほど帰って行った。

誰かと飲む酒がこんなにも楽しいものだと智に教えてくれたのは、真咲だ。

恵まれ過ぎたこの容姿は、幼い頃からメリットよりもデメリットの方が多かったように、智は感じていた。

好奇の目、無遠慮な視線、度が過ぎた好意、覚えのない嫉妬、憎悪、悪意。

それらから身を守る為、冷酷なほどの正論で武装して、智は周囲から人を遠ざけてきた。

その武装をいとも簡単に打ち破って、智のセーフティーゾーンに踏み込んできたのが、真咲だ。

出会いは、最悪とも言えるものだった。

何しろ真咲は、智を女と勘違いした挙句に、初対面でナンパしてきたのだから。

だが、単なるアホだと思っていた真咲が、実はそうではなく。

呆れるほどに純粋でお人好しで、そして誰より実直で真面目で。

どれほど突き放しても気にすることなく、ただ自分を信頼して純粋な好意を寄せてくれている。

そう気づいた時には、真咲は既に智のセーフティーゾーンに入り込んでいた。

「あ~・・・・疲れた!私も飲んじゃおっかな。」

「玲美さん、お疲れさま。」

「うん。ありがとね、智くん。わざわざ最終日に来てくれて。」

いつの間にかグラスを手に、玲美が智の隣に座っていた。

玲美の手にあったのは、智と同じ、サルバトールのグラス。

サルバトールは、きっと智の口に合うだろうと、玲美が智に勧めてくれたビールだ。

玲美もまた、真咲に続いて智のセーフティーゾーンにあっさり入り込んできた人だった。出会ったその日のうちに。

そして、同時に。

そのセーフティーゾーンよりもさらに奥深く。

智の心の中にまで、入り込んでいた。

気付いた時から、智は関西弁を使うことを、やめたのだった。

玲美の関西弁好きを、知っていたから。



「智くんの関西弁、聞きたかったな。」

悪戯っ子のような笑みを浮かべ、玲美は智を見る。

淡いブラウンの優しい瞳は、真咲の瞳とまるで同じ。

その瞳はいつでも、智の容姿だけではなく、智自身を見てくれている。

玲美に至っては、智の容姿について触れた事は、今の今まで一度も無い。

そのことが何より、智をホッとさせてくれている。

「玲美さんは、関西弁が好きなんですよね。」

「そう。真咲から聞いてると思うけど、あの子のあの関西弁、私のせいだから。」

そう言って、玲美は可笑しそうに笑った。

「あの子がね、年上の先輩に絡まれてたのを私が助けた時があったんだけど。その時に、ちょっとだけ関西弁風に脅してやったのよ、そいつらの事。私だって怖かったけど、でも可愛い弟を助けたい気持ちの方が強かったから、ね。でもそうしたら、そいつら慌てて逃げて行ったの。よっぽど怖かったのねぇ、私。」

「へぇ・・・・」

「ほら、標準語よりも怖そうに聞こえるでしょ。だからだと思うんだけど。そうしたら真咲、言ったのよ。『俺も、姉ちゃんみたくカッコよくなるよ!』って。それからよ、あの子が関西弁使うようになったの。まぁ、カッコよくなったかどうかは、分からないけど。」

どこか照れたように、でも嬉しそうに笑いながら、玲美はグラスを傾ける。

(あの単純さは、子供の頃からなんだな。)

小さく笑い、智も同じようにグラスを傾ける。

「もったいないなぁ、せっかく関西出身なのに、関西弁使わないなんて。カッコ良さ3割増しになると思うよ?」

「だからですよ。」

「えっ?」

サルバトールを飲み干し、静かにグラスを置きながら、智は真っ直ぐに玲美を見る。

「だから、ですよ。玲美さん。」

訳が分からずポカンとして智を見る玲美に、智は微笑を浮かべて言った。

「もし玲美さんが僕と付き合ってくれるなら、その時は好きなだけ、関西弁をお聞かせしますよ。」


小さなメモに連絡先を書き記し、目を丸くしたままの玲美になかば押し付けるような形で渡して、智は店を後にした。

ほとんど初めてと言っていいほどに、智の胸は高鳴っていた。

玲美がどんな答えを出すかは、智には分からない。

振られることは、覚悟の上だ。

けれども。

心から好きだと思える人に出会えて、自分の気持ちを伝えられた事。

それはとても幸せなことだと。

智は星の輝く夜空に、柔らかな微笑みを向けた。

その後暫くして。

歳の差や真咲との関係を思い、迷いに迷った玲美から最終的に『智くんの関西弁が聞きたい。』と連絡を貰う事になるのだが。

そんなことなど知る由も無い智は、そのまま一人、家路に着いたのだった。


【雑貨屋さんの親友の恋 終】

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