戦士の夜明け
フィロは屋敷の壁に力なく背をついた。スティレットを地面に突き立て杖のようにして体を支えた。しかし、結局そのままずるずると滑り落ちて座り込んだ。
「モビーディック強襲作戦が失敗し、おれは見知らぬ土地にいた。シニスタンの領内だったよ。その間に戦争は終結し、おれは国に戻ることができた。妹のいる故郷も戦争が終結したことで戦火に包まれずに済んだ。そのすべてがおまえのおかげだったと?」
ラミナは答えない。じっと佇んだままだった。フィロは無理にラミナの答えを求めるつもりもなかった。フィロの脳裏に、戦争終結後の三年間が時系列を無視した粗雑なコラージュとして蘇る。
「おれは今までいったい何を相手にしてきたんだ。おれはおまえたちオートマタが人間の脅威になる殺戮兵器だと思って破壊して回っていた。それなのに、おまえは戦いの中で平和を願っただと? おかげでおれや妹は命を拾ったというのか。笑わせるぜ。おれは平和の中で戦うことを願ったんだぞ。命を拾ってなお戦闘に明け暮れるために。おれの方がよっぽど殺戮兵器じゃないか」
フィロは項垂れた。さきほどまでの鬼気迫るような覇気は消え失せ、その姿はさまようことに疲れ果てた旅人そのものだった。ラミナは落ちていたダガーを拾ってフィロに歩み寄った。座り込んだフィロと目線を合わすために、片膝をつき、刃の方を持ってダガーをフィロに差し出した。
「わたしたちは人の姿こそしていますが、結局のところ、このダガーと同じような道具なのです。これは人を刺殺することもできますが、木を削ったり果実の皮を剥いたりすることもできるでしょう。人が戦いを望まぬ限り、わたしたちは兵器足りえないのです」
差し出されたダガーをしばらく眺めていたフィロは、ゆっくりと手を伸ばしてその柄を握った。もはや不意打ちでラミナを斬りつけるような気は起きようもない。ラミナもそのことはわかっていた。
「平和な世ではおまえたちは兵器じゃない。だから廃棄処分の必要もなかった」
「シニスタンはオートマタの国なのです。ですから、わたしたちは従事用オートマタとしての道を与えられました。廃棄処分という公式の発表はデクスラントとの摩擦を避けるためでしょう。あなたと同じように、デクスラント人はわたしたちのことを殺戮兵器だと思って恐れているでしょうからね。存在していないとした方がいいと判断されたのでしょう」
ラミナはゆっくりと立ち上がった。フィロはずっと物憂げにダガーの刀身を眺めている。まるでその白刃にこれまでの自分が映ってでもいるかのように。
「お疲れでしょう。今晩はゆっくり休んで下さい。さいわい、旦那さまをはじめ皆さまは何も気付いてはいないのですから」
フィロはかぶりを振った。
「いや、どうかな。あんたの服を切り裂いちまった。そんな様子をクレメンスさんが見たら、当然何かあったと思うじゃないか」
「平気ですよ。エプロンドレスは他にもあります。掃除も洗濯もわたしの仕事です。破れた服なんて捨ててしまえば誰も気付きません」
「そうか。あれだけ酷いことをしたのに、おれのことを気遣ってくれるんだな。おれは本当にオートマタのことを何もわかっちゃいなかったらしい」
フィロはようやくその場から立ち上がり、スティレットとダガーを鞘に納めた。
「あんたに近づくために不時着を装った。カイトは故障なんてしていないんだ。だからおれはこのまま去るよ。ぬくぬくと暖かい毛布に包まっていいはずがない。おれは夜のうちに忽然と姿を消したことにしておいてくれ」
フィロが言うと、ラミナはゆっくりと頷いた。
「わかりました。そうしたいとおっしゃるのなら。では、せめてお荷物をお運びいたします」
フィロはカイトにまたがった。戦時中から今まで、このカイトは敵のところへ近づくための道具だった。戦いがある場所へ行くための手段だった。フィロはハンドルを感慨深そうに撫でる。これからこれはただの乗り物だ。
フィロはラミナからトランクケースを受け取ると、シートと操作ハンドルの間のスペースに押し込んで固定用のチェーンで縛り付けた。
「あんたのお仲間たちには悪いことをした。それでもそれほど罪悪感を覚えないのは、相手がオートマタだからだろう。殺人を犯したって気にはならないし、おれはやっぱりオートマタを人間と同じように思うことはできない。あんたと出会って、オートマタに対する印象ってやつは少しばかり変わったけどな」
「何をおっしゃりたいのでしょう」
変化のない表情でラミナが問い、フィロは鼻を鳴らして笑った。
「償いをするつもりはないってことさ。ただ、荒っぽいことからは足を洗うよ。故郷に戻って、久しぶりに妹夫婦に会おうと思う。妹が結婚したのは本当なんだぜ。その後は畑でも耕してみるさ」
フィロはおもむろにカイトのエンジンを駆動させた。助走を始めたカイトはやがて風を掴んで大地を離れ、悠然と空へと舞い上がった。ラミナが地上からそれを見届ける。フィロは一度旋回して、地上でちっぽけに見えるラミナを見下ろした。手を振ることも挙げることもしないが、心の中で別れの挨拶を呟いた。
カイトが去った彼方から太陽が昇り始めた。新しい一日を始める太陽だ。戦争の呪縛にとりつかれていた男も、これから新しい日々を始めるだろう。白んでいく空をじっと見つめていたオートマタはやがて踵を返し、今日もまた幸せな笑い声に包まれるだろう平和な日常へと戻って行った。
願いを叶える樹 三宅 蘭二朗 @michelangelo
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