二枚のコイン

 ラミナの言い回しの不可解さに、フィロの手が止まった。


「妙な言い方をするな。何が言いたい?」


 ラミナの思惑に乗せられているかもしれない。しかし、真意を聞かずにはいられない。


「他でもないわたしも願いの樹のもとへ辿り着いたことがあるのです」


 フィロは我が耳を疑った。常に実際的な思考回路のオートマタが、この期に及んで嘘や出まかせなどを言うとは考えにくい。であるならば、ラミナは実際に願いの樹のもとに辿り着いたことになる。だが、それはそれで信じがたい。もし本当ならば、人工の機械人形が樹に願い事をしたということになるのだ。魂も心もないはずの機械人形が、願いや夢などを抱くのだろうか。


「モビーディック号が襲撃されたあの日、わたしは母艦に帰還しようとするグレムリン隊員を追い、不覚にも反撃を受けて海に落ちてしまいました。背中に積んだ飛行ユニットを破壊されていたため、わたしは空に戻れず海をさまよう他ありませんでした」


 フィロはあの日、母艦に帰還しようとする間際に、交戦の末に海に落ちたオートマタがいたのを思い出した。ぞっとするような美しい顔立ちのオートマタだった。オートマタはどれも似ているが、遠い記憶のそれにラミナの面影があるようにも思えてきた。フィロはまさかと思ったが、黙って話の先を待った。


「落ちた地点から最も近いシニスタンの基地へ戻ろうと、わたしは泳ぎました。最も近いと言っても途方もない距離がありました。その途中でわたしはとある小さな島に辿り着いたのです。その島は一面が草原になっていて、中心に大樹がそびえていました。そう、先程あなたがおっしゃっていた島と同じです。樹の元に石碑があり、今は使われていない古代の言葉が彫られていました。現存する言語の中では錬金術師たちが使う秘術の言語に近く、その源流の言葉でしょう。すべてではありませんが、一部はかろうじてわたしにも解析できるものでした。そこに書かれていたのは、その樹には願いを具現する特別な力があるという内容でした」


 十分な真実味を感じさせる淀みない語り口。だが、ラミナの話はフィロが話した内容をなぞるだけででっち上げることのできるものだ。ラミナの話を信じるのはまだ早計に過ぎる。


「奇妙な場所だと判断しました。わたしはそこに辿り着いた証として、シニスタン兵であれば機巧兵とて例外なく必ず受け取る二枚のコインを置いていったのです。一枚は、王国への永久の忠誠を意味するシニスタンのコイン、もう一枚は、常に敵を忘れんがためのデクスラントのコインです」


 フィロは慄然とした。フィロの首には紐に通された両国のコインがぶら下がっているのだ。フィロは動揺に唇を震わせながら、自分の足の下で仰向けになったラミナを凝視する。ラミナもまたフィロをじっと見詰めていた。その造り物の瞳は、占い師が運命を見るための水晶球に似ていて、フィロの全てを見透かしているようでもあった。


「その首から下げたコインは、願いの樹の石碑に置いてあったコインではありませんか?」


 フィロの喉仏が上下する。ラミナが樹の元に辿り着いたのは決定的だった。石碑の上に二枚のコインが置いてあるのを知っているのは、そこに置いた者と、それを手にした者のふたりしかいないのだ。


「待て。じゃあ、おまえもそこで何かを願ったというのか?」


 スティレットはいまだラミナの首の上だ。しかし、その切っ先からは、すでにいつでも頸部を貫くことができたはずの殺気が失われている。


「願いましたよ。機械の願いでも聞き入れられるかもしれませんから」

「……何を願った?」


 世界の真理をのぞき見るような恐怖と隣り合わせの好奇心が、問いとなって口先から零れる。ラミナは拍子抜けするほど易々と答えた。


「戦争の終結です。両国のコインを証にしたのはそのためです」


 フィロが浮かべた表情は混乱の境地にいる者のそれだった。


「馬鹿なことを言うな! きさまのような戦闘機械が戦争の終結などを願うものか!」


 抑えきれない動揺が怒号となって溢れ出た。


「声を抑えてください。せっかく一家の安眠を妨げることのないよう、こうしてここで私と相対したのでしょう?」


 両腕を踏み押さえられて、喉元にスティレットを突き付けられていてなお、ラミナには余裕がある。


「馬鹿げているとお思いでしょうが事実です。わたしが樹に願った次の日、戦争は和平という形で終結しました。ただ、今日の今日まであれは偶然であり、演算装置の一時的な不具合が引き起こした不確かな記憶エラーである可能性を否定しきれませんでした。何せわたしは激しい戦闘の末に海へ落ち、延々と海水の中にいたのですから。ですが、あなたとの出会いで結論が出たようです。あの島、あの樹は確かにあって、願いを叶えることも嘘ではなかった。だから、やはりわたしの願いも叶ったのです」


 フィロは奥歯を噛んだ。


「機械が願い、それが叶うなんて信じられない」


 フィロは驚愕に震える手に力を込めて、その震えを無理やりに抑え込んだ。


「仮にそれが真実だとしよう。では、なぜだ。なぜ、戦争のために生み出されたおまえが平和を願うんだ。それがわからない」


 ラミナは平然と答えた。


「あなたの認識がそもそも間違っているのです」

「何だと?」

「わたしたち機巧兵団は戦争をするために生み出されたものではありません。わたしたちは最初から戦争を終わらせるために生み出されたものなのです。前線に出て戦うのはあくまでその手段にすぎなかった。戦争の終結は、生み出されたときから我々が抱いていた宿願です。その宿願が果たされるのならば、わたしたちは迷わずそれを願うでしょう」


 フィロはついにたたらを踏みながら後退った。ようやく自由を得たラミナは、ゆっくりと起き上がり、土にまみれたエプロンドレスをはたいた。まるで庭仕事を終えたあとのような所作だった。

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