『今度こそはこの幸せを守ってみせる!』


 魔女の力が乗り移った。その厳然たる事実がのしかかってくる。

 天井を見つめながら、ルーナはぺたんと毛布をたたく。


「あぅ……」


 あまりにも笑えない。

 なぜこうなったのか――しかし思い当たることばかりだ。


(俺は……)


 肉塊まじょをたしかに殺したのだから。まちがいなく、息の根を止めたはず。

 あれだけやったのだし、心臓と頭も砕いた。さすがに生きているわけがない。

 なら?

 事切れた月の魔女のそばにたたずんでいたのは誰か?


「はぁ……」


 ベビーベッドに横たわりながら、ルーナは赤ん坊らしくないため息をつく。

 もしそうなら、今の自分には魔力があることになる。望まない形で、忌むべき力が宿っているのだ。


(死んでもなお、やつは俺を苦しめるのか?)


 憎しみが身をこがしていく。口をまっすぐ横に結び、しかめっ面が天井をにらむ。

 一体何の嫌がらせなのだろう、と。


(俺はただ――)


 妹の、オリガの仇を討ちたかった。それだけだったのに。


(これじゃ――)


 これまでの人生を否定されたように感じる。いやそれどころか。


(オーリャを裏切ったみてえじゃねえかよ!)


 くやしさをにじませ、彼女・・はくちびるを噛んだ。


(そりゃあ、剣と魔法の才能が欲しいとは、ずっと思っていたけど……)


 魔女へと復讐を誓った時、その二つの素質が皆無と分かり、どれだけ失望したか。それはウソではない。

 ずっと、憎しみの中で、のどから手が出るほど求めていたものだ。

 が、仇討ちはとっくに終わっている。

 まだ手には生々しい感触があった。殺したという事実とともに。

 だから今の自分にとって、魔力など必要がない。まして妹を害したやつと同じ力なら、なおさらではないか!

 肉塊まじょからの逆恨み……?

 まだ少しかすむ視界に、ぷにっとした手が映った。ちんまりとした指をつたなく握る。

 水をはじくくらいのハリがあるもち肌。すべすべしているし――いや、そうではなく。

 無垢な体――には到底思えない。


(汚れている……のか?)


 鉛でも呑まされたみたいな感情に、胸焼けを起こす。

 気に食わない――けどどうすることもできない無力感にさいなまれながら。


(あるいは俺が死ねば……)


 との考えがふとよぎる。けど即座に思い直した。


(いやいや!)


 首が据わっていないために、振れはしなかったけれど。

 だって、止めを刺した直後に死んで、気がつくと赤ん坊になっていたのだ。また同じことの繰り返しかもしれない。


(それに……)


 何らかの偶然がかさなり、別人に再有さいうした可能性だってある。


(そうだ……)


 もし肉塊の報復として赤ん坊の肉体を得たのだとしたら!

 魔女の力を捨て去り、その後で自分が幸せに生きればいい!!

 それこそが肉塊への、最高の復讐となるのではないか!?

 ルーナは、そう思いめぐらしていく。

 と、その時。


「あぅぅっ!」

「っ!?」


 あどけない声がして、ぷにっとした手がほおへと触れる。


「あぅ~!!」


 ついで目が合った。

 先ほどの少女と同じ赤い瞳が、こちらをものめずらしそうに覗きこむ。ふわふわで、申し訳ていどの赤みのある銀髪がちらつく。

 が、そこにいるのは赤ん坊だ。


(たしか――)


 ディアナ、といっただろうか?

 おしめを換えられ、ご機嫌そうに声をはずませていた。


「うぅ~……」


 どういう状況なのだろう。


(たとえば孤児院、とか?)


 気になってあたりを見わたす。耳を澄まし、気配を探っていく。

 鳥のさえずり、犬が吠え、誰かがしゃべる声が聞こえてくる。

 窓の外に目をやれば、ひたすらにライ麦畑が広がっていた。

 子どもといえるのは、隣できゃっきゃとはしゃぐ赤ん坊くらいだ。


(ちがうな)


 孤児院ではないだろう。乳幼児が二人しかおらず、さっきの少女だって修道女ではないのだから。

 少なくとも、前世で住んでいた家よりは裕福に思える。

 片田舎の、ちょっと見栄をはった感じの邸宅ていたくのようだ。そのくらいだろうか?


(じゃあ、どういうことだ?)


 ひとえに意味が分からない、と息をつく。

 まさか彼女が産んだ・・・……のか?

 いろいろ合点がいかない。


(いや、待て?)


 あの少女が何者かはさておき、自分は誰なのかが今は重大な話だろう。

 それから記憶を手繰り――思い出す。


(そういえば双子、とか言ってたような……)


 しかもかたわらの赤ん坊は姉らしい。つまり自分は妹ということになる。

 ようするに姉妹だ。


(じゃあ、ディアナは――)


 と、一瞥いちべつし、そこにあるのはあどけない笑顔……

 無邪気に表情をゆるませる赤ちゃんがいる。邪悪な肉塊のそれとは似ても似つかない。

 虹彩こうさいも、髪の色も、しぐさや雰囲気までが!


「あ、ははっ!」


 思わず笑いがこぼれた。

 仮に再有したのなら、彼女は誰の生まれ変わりなのか?

 魔女の力で魂が別の肉体に宿れたとしよう。魔力を失った肉塊には、それをなしえない!

 すなわちディアナは肉塊まじょではない、別の誰かだ。


(もしかしたら――)


 あわい期待を抱き、ふと願ってしまった。それは希望的観測にすぎなかったが、それでも。


(もしかしたら、オーリャ……)


 であってほしい、とでなければならないとでは、かなりの開きがある。

 だがそう望んでもいいはずだ。


「あぅぅ~」


 ぷるるん、とした手をふって、に服をつかまれた。ちっちゃな指が必死に、それにつたなく。


「……」


 あの日以来、ずっと誰かを呪い、憎しみ、殺すことだけを考えてきた毎日。

 でもそれは死とともに終わったもかもしれない。


(俺は――)


 と、ふとよぎる。

 そもそも、その『俺』とは何者か、と。そして今の自分は?

 仇討ちは終わり、新たな人生を得た・・のだ。全くの別人として!

 魔女はほろび、復讐鬼ももやはいない。

 それは始まりを意味するのではないだろうか?

 しかもオリガを殺したアレに、もはや力はないのだ。隕石を落とすような蛮行も、起きないはず。


(やり直すことができる……?)


 もしディアナがオリガでなくとも。そうなら、めでたしめでたしだ。


あぅあ~そうだ! うぁ~あぅ~あぁ~生まれなおすんだ!!」

「あぷぅ~?」


 つたない声が出てしまう。胸を高鳴らせ。

 キョトンとする赤い目がこちらをじっと見入っている。そんな姉の手を、つたないながらも握りかえした。


「あぅっ!?」


 おどろきが飛び出し、ディアナがルーナを映す。

 それを見返して、彼女は姉へと寄り添う。ふんわりとした、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。


(俺はオーリャを守れなかったけど……)


 そして思った。

 理由はどうあれ、新しい人生と家族を得――いや授かったというべきだろう。それを失いたくないと願い、心へきざむ。


(今度こそはこの幸せを守ってみせる!)と。

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