『ルーナ? 誰だ、そいつは』


「あぅ……」


 気がつくと、白い景色が映った。天井――それに壁。体にかけられていた毛布までも同色だ。


「あ……ぅ?」


 全くの見知らぬ部屋にいる。


(どこだ、ここは!?)


 意味がわからない。怪訝そうに目を細め、眉をよせた。


(俺は生きている……のか?)


 頭がはじけとぶ。そんな気がしたが、思い違いだったのかもしれない。


「ふぅ……」


 おそらくは見かねた誰かが介抱してくれたのだろう。と解釈し、安堵の息をつく。

 だが、どうにも違和感をぬぐえない。


「あぅあ~……っ!?」


 俺は――と言おうとして出てきたのは喃語なんごだった。ようするに赤ちゃん言葉。


「うぁ――」


 しばし絶句し、体をこわばらせる。

 おそらく重傷だったのだろう。何せ体がはじけとんだのだから……

 それが証拠に視界だってぼやけているし、体もうまく動かせない。


(って――)


 だとしたら生きているのか?

 といぶかしむ。


(あの肉塊じゃあるまいし!)


 ふつうの人間に、そんな芸当ができるはずがない。

 いや事切れていなかったからこそ、こうして手当てを受けている?

 あるいは魔女の手下にでも囚われた?

 などと思いめぐらしていた時。


「あ~う?」


 目の前がちらつく。そよぐ風が涼しげな音を奏でて。


「……?」


 うっすらと金属をはじく音色のそれは、いわゆるモビールだった。

 天井から吊るされた月や太陽や星々が、舞うようにゆれている。はじかれた日差しがまぶしい。


「あぅ?」


 しかし、なぜにモビールが?

 赤ちゃん用のおもちゃだろう、と目をまばたく。

 とうに成人したはずなのに、だ。

 一体何のつもりなのか?

 でもふざけているようには思えなかった。侮辱するためとも考えにくい。

 それに毛布をかけられ、ベッドに寝かされていた。丁重に扱われていると理解していいだろう。

 室内は小ぎれいだし、ほのかに香りもただよっている。あまり物は置かれていないが、どこか生活感があるのだ。

 と――


「あっ、うぅ~~~っ!!!」


 あどけない声がひびく。


「あああぁ~~~っ!!!」


 それも耳元で。ぷにっとした手が体に触れる。こう、マシュマロのような、泡立てたクリームみたいな?

 泣き声を聞きつけたからだろう。ドタドタと慌しく靴音が鳴った。ついで人影がこちらへと身を乗り出す。

 ふわりと少し赤みがかった銀髪がゆれ、毛先が鼻をくすぐる。

 見下ろすように、赤い瞳が覗きこむ。


「あ~よしよ~し!」


 あせっているのか、オロオロとする慣れない手が赤ん坊を抱きあげた。


「ほ~ら、いい子、いい子~……」


 どこか疲れきっているような声がなだめる。


「あぅ……?」


 ナニゴトか――と目に映ったのは、大人びた少女だ。青地に白い刺繍ししゅうがされた、サラファンだろうか?

 ゆったりとした衣装を風になびかせ、彼女はほほ笑む。しかしとても眠そうに。


「あぅぅっ!?」


 その様子に目を凝らす。やはり意味が分からない、と。

 彼女は誰で、ここはどこなのか?

 そんな問いが頭の中を駆けめぐっていく。

 と――ルビーを思わせる瞳がこちらを一瞥いちべつした。


「ディアナとちがって、ルーナはあんまり泣かないね……」


 どこか不安が混じった笑みを向けて、つぶやきをもらす。


「あぅっ!?」


 何を言っているのか、そんな目を向け、思う。


(ルーナ? 誰だ、そいつは……)


 だがたしかに、自分をその名前で呼んだはず。


(い、いやいやいや! だって俺は――)


 おかしい子なのだろうか?

 怪訝そうに少女を見つめた、そのせつな。


「あぅ――?」


 振り上げた手が目に映った。

 ちんまりとした指。ぷにっとした手のひら。水をはじくだろうもっちりとした肌がゆれる。


「あ…………?」


 まるで赤ちゃんのおててだ。

 にぎり、ひらき――随意に動く。ついでベッドに下ろす。シーツの冷たさと、毛布の柔らかさを感じた。


「………………?」


 夢か、それとも幻か?

 信じられないとばかりに息をのむ。いや、認めたくなかったのかもしれない。


(これはどういう――)


 呆然としていいると、やわらかいものがほおを伝う。


「っ!?」


 そしてふわりと持ち上げられ、むにっとしたものに包まれる。

 気がつけば、少女の腕に抱きしめられていた。着やせするのだろう、胸元で小さな体がはずむ。

 遅れてふんわりと、焼き菓子みたいな香りがほのかにただよってきた。


「ルーナは……だいじょうぶみたいね」


 同時にぐにゃっとした、妙な感触というか、違和感を覚える。


「――!?」


 ぐにゃり……?

 一瞬、その意味が分からず、身をこわばらせた。

 なでられたこと以上に、そこにあるはずのものがない。そんな感覚だ。


「それにしても……」


 とまどう幼子へと少女が語りかけてくる。


「双子なのに、ずいぶん雰囲気が違うよね……」

「あぅっ!?」


 いやな汗が背中を伝う。

 彼女は今何と言ったのか?


(ふたご……? そういえばさっきもルーナがどうとか……)


 混乱し、目の前が真っ白に染まっていく。

 何が自分の身に起きたのだろう。


(いや、そんなはずは……だって、俺は――)


「あなたのほうが妹なのにね」

「あ……」


 おそらくは、何気ない一言。しかしその心をゆさぶるには、十分だった。


「あううううぅぅぅぅぅぅぅっ!!!」


 わめき出してしまうほどの衝撃があったのだから。どうしてなのか、止まらない感情がこみ上げてくるほどの。


「ル、ルーナっ!!?」


 泣き出してしまったからだろう。少女がうろたえ、オタオタと恐慌する。顔をくしゃくしゃにして。不安そうに赤い瞳がこちらを覗きこむ。

 赤ちゃんは泣くのが仕事だ。まあ、それはそうなのだが。突然泣き出せば誰だって反応に困る。


「よ~しよし! ねっ、女の子は笑顔がイチバンだよ!」


 そして、火に油を注ぐように、彼女は言った。


(オンナノコ!?)


 訳がわからない。いや、告げられた意味は理解できる。しかし心がこの事実を受け止められないのだ。

 状況から察するに、今ここにいるのは少女と双子の赤ん坊だろう。その片割れが自分ということも。

 だが、そうだとしてもだ!


「ああぁううううううううぅっ!!!」


 何がどうしてこうなった!

 混乱が胸の中を渦巻いていく。

 不安やいらだち――いや、もっと原始的な情動だ。

 うまく言葉にできず、もどかしい。

 ただ泣きじゃくるしかできず、あまりに情けなかった。

 魔女を殺し、直後に気を失ったことまでは覚えている。脳みそと髄液をまき散らして。

 ついで師の声が脳裏をよぎった。


 ――人を呪わば穴二つ。それでもお前は行くのか?


 くどいほど問いかけられた記憶がよみがえる。


 ――今なら、まだ引きかせせるぞ?


 澄んだひびきが頭の中を駆けめぐっていく。

 幾度となく止められ、その都度手を振り払った。

 確かに、復讐は何も生まない。だが、それで奪われた者が返ってくるのか?

 取り返しがつかないからこそ、罰は双方にとっての救いになる。ならなければいけないのだ。

 水に流し、新たな未来を歩む?

 他人事ひとごとなら、どんな美談だってかたれる。

 でもそれはあの日殺された・・・・妹を、裏切る選択なのではないのか?

 十二年もの月日にかみ締めた想いに、嘘はつけなかった。

 だから、殺したのは間違ってなどいない!


(しかし――)


 というのに、妙にひかっかることに気づく。何か奥歯にものが挟まったみたいな。重大なことを忘れているのではないか、と。

 師の言葉を反芻はんすうしていく。

 そして――


「っ!?」


 思い出す。


(そうだ……)


 自分が恨みを向け、害したのが誰だったのかを。

 今わの際の魔女に触れた者には、その魔力が乗りうつる!


(つまり――)


 止めを刺した際に、肉塊のすぐそばにいたのは?

 しかも槍で頭をはじき飛ばしたはず。


「あぅ――」


 最も憎かったやつの力が、自分へと憑依ひょういした!!

 耳をつんざく泣き声が、部屋中にひびき渡ったのはいうまでもない。

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