3
今日という一日はまだ終わってくれなかった。茉莉花がもたらしたプレッシャーだけで正直いっぱいいっぱいだというのに、日付も変わろうという頃にやってきた二人連れの来訪者が、さらに健二を追いたてた。
チャイムが連続で三度鳴り響く。付近の静寂をものともしない公僕たちは堂々とした態度で玄関扉の前に陣取っていた。健二の帰宅を待っていたのか、会社へ来なかったのはむしろ他の同居人にも話を聞かせるためだろうかと被害妄想な思考が浮かぶ。
お決まりのように警察のバッジを軽く示してから、単刀直入に刑事は言った。
「夜分に済みませんね。実は、お隣の鍵が紛失しているようなんです。自殺というのが怪しくなりまして」
何の前置きもない、この刑事は直裁だ。嫌疑が濃厚なのは、目下のところ健二ただ一人に絞り込まれたという知らせだ。ご近所トラブルのもつれ……その辺りを睨んでいるのだろう。鋭い視線が探るように被疑者の顔色を窺っていた。
「ところで、同居の女性は、恋人なんですよね?」
その言い様で、まだ美桜の素性が割れてはいないことが窺えた。呆れた話だが、美桜の家族は十日余りが過ぎてまだ捜索願いすら出してはいないということだ。無責任な親族への憤りは腹の底へしまい込んで、健二は神妙な顔を作った。
「ええと、あの、大家さんには妹ってことにしてあるんですけど、本当のところはお察しの通りです」
逡巡はあったものの、結局ここは誤魔化しておくことにした。この分だと、茉莉花のことも調べは付いているだろう。ほぼ重なるような三者の関係性で何かを思いたければ勝手に思ってくれればいい、茉莉花には折りをみて誤解を解けばいいと、そう思っていた。
「先日も話しましたやんね、不審者がここら辺をうろついてたって。階段の傍で見たんやから、家宅侵入ですやん。そっちはどうなりました?」
「目下捜査中ですが、まだ情報は入りませんね」
健二の訴えにはすっぱりとそう言い捨てて、刑事二人は平然としていた。嘘の証言と決めつけているのだろう、その手には乗らないと、顔に書いてあった。人相や風体などの情報を求められたのもお仕着せの一度きりだ。捜査陣はそんな人物像よりも被害者隣人の身辺捜査の方に注力しているのだろう。
構わず不審人物の情報を羅列し直した健二に、刑事の一人が水を差す。
「ああ、解りました。そちらの捜査も平行して行っていますから、ご安心ください。では、我々は一旦引き上げますので。何か思い出されましたら、ご連絡ください」
言葉もソフトで笑顔も絶やさないが、腹では何を思っているものか。無言で見送り、階段下へ消えていく二人の背中を見送った。
刑事が引き上げていったことを何度も確認してから、健二は屋内へ戻った。ロフトの隅には人ひとり分ほどの、タオルケットのいびつな塊が縮こまって震えていた。
玄関からは見えない死角に当たる位置で、その水色の塊は息を殺していた。健二はロフトに上がり、頑ななそのタオル地の殻をひと皮剥く。中からは、精一杯に身を縮めて膝を抱える少女が出てきた。
「美桜」
声を掛けた途端、少女はすがりつくように抱きついた。
「……どうしよう。今、すっごく幸せなのに、終わるかも知れない。すごく怖い」
警察がついに嗅ぎつけたと思うのか、美桜はもう先を見ている。保護の名の下に無理やり家へ戻されるくらいなら、またどこかへ姿を消してしまおうとでも思っているのかも知れない。
「大丈夫や、今のとこ何とか誤魔化せてる。けど、本気で言うとくけど、今のうちに家に帰った方がええねんで?」
返事は解っていたが、それでも聞いてしまう。なかば義務のようなもので、本心から家へ帰そうなどという気持ちはもはやなかった。もう何日経ったか解らないというのに、彼女の両親は何のアクションも取ってはいないような気がしていた。
警察を恐れ、群衆を恐れ、実家を恐れ、養父を恐れている、年齢さえ不詳な子供。もし、成年だというなら、こんなに恐れなければならない理由はない。家を出るだけで解決する問題は、未成年であるから解決しない。
美桜は健二の胸に顔を埋めたまま、ただ黙って小さなイヤイヤを繰り返した。少女の行く末が哀れみを誘った。
「シェルターって、手ぇもあるんやけどなぁ」
思いつきを尋ねてみたが、強く抱きしめてくるばかりで美桜は何とも返答をしない。根深い大人への不信が垣間見え、それ以上の妥協を述べる気は失せた。
「大丈夫や、誰もかれもが敵やない」
幼な子をあやす父親の心境で、いつまでも震える背中をさすってやっていた。
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