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 翌日から健二の周囲には刑事らしき者のマークが付いた。さりげない風を装って、複数の不審な男が周辺をうろつくようになった。コーポの建物は路地の奥にあるが、その入り口付近には常に路駐の車があるし、会社までの道のりでもずっと誰かが付けている。


 電車の中まではさすがに貼りつくわけにはいかないらしい、何せ満員だ、そう思ったが、やたら眼光の鋭い、勤め人らしくもない風貌の男たちが数人、必ず車内に見えるようになった。こんなにあからさまで尾行が務まるのだろうかと他人事ながら心配した。


 列車は変わり映えのしないビルの合間を縫って走る。両際の建築物は徐々に高さを無くして、都会からは遠ざかっていくことを教えた。乗り換え駅が近付く、間の悪いところで電話が掛かってきた。スマートフォンはマナーモードだ、ポケットの中でやかましく暴れ回っている。ドアが開くとすぐ端の方へ移動して、スマホを確認した。

 相手は茉莉花だった。彼女の方から掛けてくるとは思ってもいないことで、戸惑った。


「もしもし」

 期待感で声が少し上ずってしまう。反して、元カノの声は冷徹だった。


『単刀直入に聞くけど、あの子、なに?』


「……見てたんか?」

 声を極力落とした。


『偶然通りかかったの。ずいぶん趣味が変わったのね、あんな派手な子が好みだった?』


 刺々しい言い方は彼女らしからぬものだ、嫉妬の念が口調まで早口に仕立てている。健二は自然と口角を上げていた。妬いているらしいその態度が嬉しかった。


 なんや、妬いてんのか……。ニヤニヤ笑いが電話の向こうに伝わらないのは承知で、けれど悟られないよう表情を引き締めた。


『なに黙ってんのよ』

「いや、……それで?」

 余裕があるフリをして先を促す。


 未練がないといえば嘘になる、ずっと彼女が気になっていたし、後悔ばかりを思い起こしていた。でなければ、美桜とのことも躊躇などしなかったかも知れない。ブレーキを掛けていられたのは、少女の為というより、茉莉花のお陰だった。


 割と最低な男やな、俺。

 薄ら笑いをうつむき加減で隠しながら、健二は茉莉花の声に聞き入っていた。


『どういう素性の子か知らないけど、昼間からぶらぶらして他人の家に何日も泊まりこんでるなんて、おかしいんじゃない? 大丈夫なの?』


「心配してくれるんや」

『真面目に聞きなさいよね』


「聞いてる。まぁ、ワケありみたいやし、徐々に説得はしてるんや」

 列車の到着を知らせるアナウンスが入った。


「あ、次、乗る電車来たし、これから仕事やし、また落ち着いたら電話するわ。それじゃな。えと、……ありがとう」

『……バカ』


 通話を先に切ったのはどちらだったか、携帯を仕舞って前を向いた。刑事たちの目が相変わらずでこちらの様子を窺っていた。これはたぶんプレッシャーを掛ける為にわざと下手な尾行をしているのだ、こんなに何人も動員してたった一人を尾ける必要はない、そう思った。


 茉莉花には下手に言い訳を重ねないようにしたが、誤解されてはいなかっただろうか、会話を反芻しながら会社へと向かった。


 事態が思ったより深刻であると気付いたのは、昼前のことだ。携帯が着信を知らせ、再び茉莉花からの電話が掛かってきたことを教えた。奇妙だと感じた。茉莉花も勤務中のはずで、こんな時間帯に掛けてくることは不自然だった。


 訝しみながら、健二は携帯を操作する。慎重に言葉を選び、注意深く耳を欹てた。


「もしもし?」

『ねぇ、あの子、何者なの? まさか、犯罪じゃないわよね?』

 切羽詰まった声だった。ごくりと唾を呑んで、一つだけ質問を返した。


「……お前、今日仕事は?」

 ぷつりと通話は切られた。


 嫌な予感がした。美桜が言っていた話を思い出した。例の連続通り魔で二人目三人目の被害者が出たあの時間帯に、彼女を撥ねかけた赤い外車の運転手は誰だったのか。空き巣に入り、テレビを破壊して伏せられた写真立てを戻して去った者は。まさかの念が、嫌でも確信に近付いていく。


 また着信の知らせが入った。番号を確認すれば、見知った人物からの再びの電話だ。天にも祈りたい気分に陥った。慎重に、身構えてから通話に応じる。


「もしもし」


『あの子、高校生でしょ? 家出の女の子連れ込んで何やってんのよ、急に別れるとか言い出したの、あの子のせい?』


 一度で捲し立てる、その後の息を継ごうとする隙間に言葉を差し挟んだ。


「酔ぅてんのか?」


 電話口の向こう、一瞬の詰めるような吐息の後に通話は切られた。


 それからは不定期に茉莉花からの着信が鳴った。出る度に何かを問い詰め、時には激高し、決まって勝手に切られた。ヒステリックな声音は徐々にボルテージを上げていき、仕事にも差し障るようになり、ついに健二は出るのを止めた。消音設定に変え、着信拒否を決めて、後は業務に専念する。


 仕事を終えていつものように帰宅する頃には、鞄の奥へ突っ込んだマナーモードの携帯の存在などしばし忘れていたほどだ。仕事に追われる日常を今日ほど有り難いと思ったことはない。打ちのめされ、帰路に着いた足はいつも以上に重かった。


 改めて居間に腰を据えて、携帯のチェックをする。ひょいと背後から頭を突っ込んで覗き込んだ同居の少女が、のけぞって離れた。


「うわ、キモッ、なにそれ?」

 百件に及ぶ履歴を見咎めたか、美桜は嫌悪の声を上げた。


「なんもない」

 片っ端から消していきつつ、不機嫌に健二は答えた。


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