第五章

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 所在なくテレビのニュース報道を眺めていたが、時計の針だけは着実に動き続ける。気まぐれに少女の機嫌を問うてもみたが返事はなかった。ロフトの階段を幾つか登ると、拗ねて丸まっていた美桜の身体は、にゅうと伸びていた。タオル地の脇から手足が覗く。


 本格的に寝てしまったのだろう。瞬時にそう判断して、健二はまたテレビ画面に映るキャスターとのにらめっこに戻った。読み上げられる原稿の文章は子細漏らさず耳に送り込んでいる。連続通り魔の報道はたっぷり時間をかけて行われたが、他の事件はぞんざいだった。A市の事件の続報だと言いつつ、新規の情報は何も流れなかった。


 重要参考人として手配されているはずの知人男性とやらも、提示される写真は相変わらず高校時分のもので、それが何年も経った現在でも通用するものなのかどうかは疑わしい。アナウンサーは女装や整形の可能性にまで言及し、映し出された鉛筆描きの似顔絵は陰気な女を作り上げている。それも、もう何度となく見たものだった。たっぷり二時間は報道されていた事件が、今では二行の読み上げで終了する。


 玄関先で鳴らされたチャイムの音が、集中を削いだ。出てみれば、そこに居たのは昼間に会った大家で、見知らぬ二人組の男たちを後ろに控えさせていた。


「ちょっとごめんなさいね、こちらの刑事さんがお話をお聞きしたいんですって」

「はぁ、どうぞ」


 中へ通そうとすると、刑事は手で辞退の意を示した。


「いえ、ここで結構です。早速ですが、隣に誰かが尋ねてくるというようなことはありませんでしたか? ここ一週間ほどの話で構いませんので」


「さぁ? 俺は仕事で日中はほぼ居ませんし、顔を合わせることもなかったんで。あの、自殺やないんですか?」


 健二の前で、主だって喋っている方の刑事が先輩だろう、壮年の厳つい顔をした男が同僚の刑事に目配せをした。


 全体的に四角いイメージがあり、後ろの若手は細身だ。目付きは両者とも鋭かった。スジ者にも見えかねない年配のその刑事は、声だけは穏やかに話を切り出した。


「ちょっと疑わしい点がありましてね。こちらのお宅は確か、今は妹さんが訪ねて来られて同居していらっしゃるんでしたっけ。何か聞かれてはいらっしゃいませんか?」


 質問に首をかしげていると、今度は大家がしゃしゃり出てきた。


「物騒になってきたことだし、妹さん、いつまで居るつもりなの? 大丈夫?」


「はぁ、すんません。二三日で帰るって言うてたんですけど、家でも遊んでるもんで、自由なんすよね。兄貴の忠告なんか聞きませんよ……」


 苦笑で誤魔化そうとしたが、大家も刑事もこの言い訳には乗ってこなかった。完全にスルーだ。好都合なのかどうなのか、複雑な気分だった。


 訳知り顔といった感じで、大家が事情を教えてくれた。


「お隣ね、高校時分からイジメに遭ってて、大学も途中からは行かなくなっちゃって、引きこもり状態だったんですって。さっき、親御さんとお電話で話をして、初めて解ったの。ちゃんとした紹介だし、家賃は毎月入金されてるから私も気付かなかったんだけど」


 さりげなく、隣の刑事にも聞かせるような素振りで大家は続けて言った。


「だけど、今さら自殺なんて考えられないって仰ってて。悲観してるようなこともなくって、最近は好きな子が出来たとも聞いてらしたんですって。だから自殺なんてするはずないって仰ってて。他にも不審な点が幾つもあるそうなの。それで、刑事さんが調べることになったんですって」


 何か思い当たる節があるだろう、と促すかのような話しぶりだ。大家の見解は恐らく、隣人である健二の生活態度が関係するという辺りなのだろう。トラブルを疑るような含みがその視線には感じられた。恋愛感情のもつれだとか、悲観だとかの言葉が脳裏に浮かぶ。妹だなどという設定は端から信用されてはいなかった。


 刑事が割り込んだ。


「その辺りのお話をもう少し詳しくお聞かせ願えませんか。それと、すいませんが、こちらの方と二人で話をさせてください。おい」


 相棒の若手に顎で合図を送ると、さっそくともう一人が大家を連れて廊下を戻っていく。プライバシーだのが絡むのか、大家が聞こえそうな距離に居るうちには残った刑事も言葉を発したりはしなかった。


 階段途中あたりで若い刑事は大家と話しはじめ、それを見届けてから、こちらの刑事も話し始めた。


「死後、四日ほどが経過しています。まったくお気付きになりませんでしたか?」

 直接で健二の関与を疑う口ぶりだった。


 死体状況から見て、もし自殺を装った殺人事件ならば犯人はあの太った男を抱えてロフトの上へあげたことになる。見た感じで百キロはありそうな肥満体だ、おまけにコーポの住民は老人世帯と女性ばかりで、被害者の他に男は健二だけだ。嫌疑はもっともだった。


「解剖の結果でも、睡眠薬が検出されているんですよね……。けれど、首吊りでクスリはおかしいと思いませんか。遺体に残る痕跡などから、首の辺りに骨折が見つかってもいます。ロープを巻いて横向きで落ちた際に出来たものだと解っています。自ら落ちたとも考えられますが、眠っている被害者を誰かが落としたのではないか、とも考えられますよね。しかし、そうなら一度は持ち上げなければならないわけです、ヘビー級の体格をしてらっしゃるあのお隣さんをね」


 暗に、老人や女の仕業ではないと仄めかして、刑事は健二の表情を窺っていた。なんと思われようと健二に心当たりのあろうはずはない、ここ数日もそれ以前も、ずっと自宅と会社の往復だけだ。苛立ちが芽生えていた。


「自殺しようなんてヤツが、どんなことを考え出すかなんて解らんのと違いますか」

「まぁ、そう言われればその通りなんですけどね」


 刑事は爪を立てて頭を軽く掻き、苦笑いを浮かべた。カマをかけてみただけだと、態度が示している。実際のところ、苦痛を和らげようと意味もなく薬を飲んで飛び降りたものかも知れないし、追い込まれた人間が何をしでかすかなど解ったものではないと、その程度は承知しているようだった。


 薬の出所などといった、捜査がどのくらい進んでいるものかは口に出さないまま、刑事はしばし考え込む様子を見せた。その後、意外にあっさりと言った。


「では、何か思い出すことでもありましたら、ご連絡ください」


 端から期待はしていなかったものか、早々と職質を切り上げると、一礼をして刑事はさっさと引き下がった。帰り際、二人の刑事と合流した大家が慌ててこちらを振り返り、思い出したようにぺこりとお辞儀をした姿がなんだか滑稽に感じられた。


 この騒ぎでも美桜は起きて来なかったが、玄関ドアを閉じて居間に戻るとロフトから顔だけ覗かせた。こちらも、たぬき寝入りだったらしい。どいつもこいつもと、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。


「刑事さん来たの? あたしのこと、疑ってなかった?」


 心配はやはり自分のことばかりだった。


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