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 遅い食事が済み、部屋に戻ると美桜はさっそく真新しいテレビに齧り付いた。その姿を横目に、健二はロフトの階段にもたれてスマホをいじっていた。出入りしているSNSでは探偵気取りの連中がいつも通りに蘊蓄や推測を披露している。


『三人で動きが止まるって、何か引っかかるよな』


 話題はやはり都心で起きた通り魔事件だ。この間まではA市の一家惨殺が取り沙汰されていたが、そちらは過去ログへ流されてしまったらしい。殺された長男の知人男性が一人失踪しているだとかで、長女との関係に捜査は絞られているはず、という説が中心だったが。スレッドでは他にも様々な憶測が囁かれていたものだが、今は誰もその話をしていない。


『一ヶ月ほど前の飼い犬撲殺事件と関係あるんじゃないか? 野良猫と外飼いの犬が立て続けに襲われる事件あったろ。次は人が襲われるんじゃないかと警戒されてた』


 誰かが飛躍した書き込みをした。


『B町のヤツとの同一犯説、出ました』


 揶揄の書き込みを無視する形でその誰かは連投で意見を書き込んだ。


『今回の、三人が襲われた現場からは一キロも離れてないんだ。犯行がエスカレートした可能性があるだろ。すでに犯人は警察がマークしてるだろうけどな』


 参考として書き込まれた町名は、健二の住んでいる場所とも一キロほどしか離れていなかった。言われてみればその事件も三件ほどで立ち消えている。


 そちらの事件は動物の被害のみで目撃証言も乏しく、警察の扱いもぞんざいだった印象がある。犯人が味を占めた上で指摘の通りに行動をエスカレートさせているのだとすれば辻褄が合った。今回は証言も寄せられている。レインコートを着て自転車に乗った小柄な犯人像が浮かんでいる。犬猫の時とは異なり、警察の対応は本気度が違っていた。


 健二は書き込むかどうかで迷っていた。そのうちに、さらに突飛な意見が出た。


『カモフラージュの可能性もあるな。社会面で何か大きな動きはなかったか?』

『また誇大妄想かよ』


『被害者三人は誰も死んでないんだ、通り魔にしたら奇妙だろ』

『どこらへんが奇妙だよ』


 一人目がOLで、二人目が主婦で、三人目は小学生。二人目と三人目の犯行は同日で三時間しか開いていない。共通点は雨の中の犯行で、女ばかり。これのどこが奇妙なのだろうか。


『三人でピタリと動きが止まっただろうが。誰も死んでいないのに』


 動機がおかしいという指摘のようだ。すぐさま反論が書き込まれた。


『殺人目的じゃなかっただけだろ。悪戯のつもりでってのは、よくあるさ』

『だから別の目的ってのが、カモフラージュかもって言ってんだよ』


『終わったかどうかは解らんだろ。次の雨で解る』

『動物虐待がエスカレートしたとしても、なんでB町ではやらないんだよ』


『凶器は棍棒か何かでしょう? 細長くて焦げ茶色だったという証言で一致している。そんな目立つ物を持っていたら、どこに行っても目撃者が居るだろうし、家族とか近所の人間も気付くんじゃないでしょうか』


 別のIDも参加してきた。


 他にも、先のやり取りとは噛み合わない、まるで脈絡を欠いた意見などが無造作に書き込まれる。掲示板には飛び飛びに、雑多な意見が無軌道に積み重なっていく。怖いだの、許せないだの、感情の吐露に近しいそれらのコメントを飛ばしながら、健二は核心を突いていく幾つかのコメントを重点的に読んだ。


『無灯火の自転車なんだろ? 夜だし、人通りの少ない場所ばかり狙ってるんだし、土地勘はありそうだよな。それに犯行が止んだとも言いがたい。連続犯罪にインターバルがあるってのは常だからな』


『次はさらにエスカレートして人を殺す、て?』


 おいおい、穏やかやないで……。そう思った瞬間、のめり込んで読み耽る健二の鼻先を、ふわりと良い香りがくすぐった。美桜がいつの間にか傍でスマホの画面を覗き込んでいた。


「ちょ、おま、近いて!」

「んー、読んでんだから動かさないでよー」


「お前もう帰れや、図々しすぎやろ! ヒトのケータイまで分捕る気ぃか⁉」


「お礼はするって言ってるじゃん! 受け取らないだけじゃん! 食事代だってちゃんと払う気あるもん! カラダで!」


「せやから、そのお礼はヤバいっつってんねん! 俺マジで犯罪者なるって!」

「ヘタレー! 元カノに未練たっぷりだからでしょ、このミジメ男!」


「たたき出すぞ、お前!」


 マジギレしそうになったタイミングで少女は身を翻し、健二から離れた。


「へーんだ、お風呂入ってくるっ!」

 ぽいぽいと脱がれた服は次々と健二に向けて投げられた。


「恥じらえて!」

 パンツが傍を飛び去り、慌てて顔を背けた。


「……たくっ、今どきの女子高生は……」


 愚痴りながら衣類を拾うも、少女の言う通りで情けなかった。すべては言い訳だ、茉莉花への未練が美桜との進展を強力に押しとどめている。女々しい限りではないかと思う。


 拾った服を脱衣所横の洗濯カゴに放り込み、ため息を零す。


 付けっぱなしのテレビを消し、リモコンをソファに投げる。その傍へ腰を下ろしたものの、持て余した時間はどうにもならない。再びスマホを操作した。


 なぜこの事件が気に掛かるのかが自分でもよく解らない。直感のようなものかも知れない。いや、万が一の予感が拭えないのだ、茉莉花が関わっているのではないか、という。


 風呂から上がった美桜がさきほどの件など忘れたように、何食わぬ顔で隣りに座った。気配で再びテレビを付けたことは分かった。それでも食い入るように液晶画面を見つめていたが、前触れ無しに肩を掴まれ、激しく揺すられたことでスマホを誤操作した。


 美桜は驚愕の表情でテレビと健二の顔を交互に見ながら言い募った。


「ちょっと健ちゃん! この道、あたし夕方に通ったトコだ! 怖っ! ほんの三十分ほど後だよ、小学生のコ、殴られてたんだって!」


 女性リポーターが現場を中継で紹介しながら歩いている。映る風景を見て初めて、美桜は事件がすぐ間近に起きていたことを知ったようだった。


『共通点は女ばかり……』

 スレッドの書き込みが脳裏をよぎった。


「おい、ちょっとしばらくでええし、夜まで遊ぶのやめや。洒落ならんで、今」


「えー? なんでよぉ、あたしこんな人の居ないトコ、もう行かないよぉ」


「ここに帰ってくる時に寂しい道も通るやろ、とにかくしばらくは止めとけて」


 予想の通り、美桜は眉をつり上げた。最近はストレスが溜まっていると言っていたから、この提案を素直に受け入れそうにはなかったが、健二としても引き下がるわけにはいかなかった。


「俺は預かってる責任があるねんて。ほんまやったら家に帰った方がええんやで?」

「どっちも、絶対に、い、や!」


 いーっだ、解りやすい拒絶のジェスチャーを返して、美桜はまたテレビを付けっぱなしにロフトの上段へ駆け上った。タオルケットを被って拒否の意を示す。あまりに危機感がないその態度で、ますます心配になってしまった。


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