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「バトちゃんに聞いたけど、ホントにあの子、ショック受けてない?」


 いくら彼女が世情に疎い人間だとしても、あれだけ連日ニュースを騒がせていた事件を知らないはずはない、気付いていないわけがない、とママは念押しで聞いた。


「美桜ちゃんはあの通りの性格でしょ? なぁんにも話してくれないのよね。まったく知らないかもだなんて、信じらんない」


 怒ったような口ぶりでママはこぼし、またため息を落とした。


「あなたの前だから誤魔化してんのかも知れないわ。本当のことは、ぜんぜん話してくれないでしょ。どこかで聞きかじったみたいな、漫画みたいな嘘ばっかり。よぉく聞いてたら辻褄が合わないことばっかりだからさ、気が付かないわけないじゃない。なのに、聞いてもすぐはぐらかすんだから」


 このママのセリフには健二も大いに頷くところだ。美桜は、健二以外の人間に対しても一切の事情を話さなかったらしい。


「どこまでが嘘で、どこからが本当なんだか……」


 ただの妄想とも言い切れない、垣間見せるリアルさが不安を煽るのだと、きっとこのママも同じことを思ったのだろう。健二が感じたように、彼女に関わった者は誰もがそう感じるのかも知れない。


「ウチで働いてる別の子の話だけど、ちょっとだけ聞いてね。その子、理解の無い両親の許を飛び出して東京に来たんだけど、この街に来たら何とかなると思ったらしいのね」


 ママは突然、美桜のことではなく、似通った他人の話を語り出した。


「その子も嘘ばっかり。なんなのかしらね、あれ。申し訳ないって思いが先に来ちゃうのかしら。心配させまいとしてなんだろうけど、すぐ嘘で誤魔化すの。それもすぐ解るような嘘。バレて叱られるだけなのに。……それとも、身に染み付いちゃうのかしら」


 ため息と共に、掲げられたグラスの中で一塊の氷が音を立てた。


「その子はさ、女の子になりたかったのね。カラダだけ男に生まれて、中身は女の子でしょ。ずぅっと、自分のこと、責めてんの。産まれてきたのが間違いだったの、なんて言うのよ。バカなこと言うでしょ。なんだか知らないけど、間違ってるって思えてきちゃうのかしら。それで、傷付いてんのに隠すのよね。平気な顔作って。美桜ちゃんも、その子とおんなじよ。産まれてきてごめんなさい、てそう思ってんのよ」


 事情は違えど彼女たちは逃げるようにこの東京へやってくる、美桜もまた、そんな一人に見えたのだと、ママはそう言いたいのだろうか。健二に返せる言葉はない。


「世の中って、ああいう子たちを傷付けることばっかりね」


 ママの大きな手の中で、グラスの氷がまた、カランと音をたてた。


 美桜にはどんな事情があったのだろうかと、健二も思いを馳せずにはおけなかった。どういう事情で家を飛び出すことになり、どういう経緯であの被害者の男と出会い、どういう理由でこの店の馴染みにまでなったのだろう。


 彼女にとってはまるきりアウェイでしかないこの店が、とても居心地が良かったのだとしたら皮肉だ。


 次には健二の方から質問を投げた。


「A市はかなり遠いと思うんやけど、その松野って人、ここまで通っとったんですか?」


「ええ、そうよ。彼は出稼ぎの季節労働ってヤツで年に数回、決まった期間はこっちに来るの。だけど普通のクラブとか居酒屋なんかは居心地が悪いらしいのね、劣等感を刺激されるんだって」


 すべてを聞かずともママとのやり取りは通じた。とても聞き上手なママで、言わずとも健二の知りたいことは通じ、すんなりと会話が進んだ。


 松野というあの被害者長男は、自身の境遇よりもこういう店に出入りする者達の方が下に思えたのだろう。安心できたのだ。卑屈な優越感ではあるが、それを嫌悪する気にはなれなかった。


「弱い者達が寄り集まって傷を舐め合うような場所だからって、そう言ってたわ。だから、自分もここに居ていいんだって思えたんだそうよ」


「そういう人なんや……」

「自信満々に生きてる人なんて少ないんじゃない?」


 返事は出来なかった。


 ぐいと飲み干したビールが、若干、苦く感じた。まったくの無関係だった他人が急に近付いてきたようで、絵空事だった事件が少しだけ身近になった。


「なんで殺されたんやろうね」

「それも、皆、思ってるでしょうね」


 不可解な事件。続報も聞こえなくなり、今はまた別の、もっと身近で起きた事件に関心は移ってしまっている。


 タイミングよく何か別件が起きればこんな風にすぐ、一つの不可解は流れ去ってしまう。あんなに、重大な事件と報じられていたのに。


 なんだか堪らなくなり、拭い捨てるように次の質問に切り替えた。


「その、松野さんって人、妹の方だけ山中で遺体が見つかったって言うてたけど、それも変な話やと思うんや。そっちは何か聞いてへんかな?」


「さあ? どうかしら。あの人の口から妹の話が出ることもなかったから……。けど、家族仲はあまり良くはなかったようだわね。恋人のこととか、よく揉めたみたいで、しょっちゅう愚痴ってたから。それ以上はよく解らないわ、ごめんなさい」


「恋人って?」


 美桜とは別の話なのか。驚いて聞き返した。


 美桜は、独り盛り上がって空回りだったのか。意中の男は別に本命の女が居て……昨夜のやり取りが蘇った。繰り返される同じシチュエーションは、彼女にとってどれほど辛かっただろう。


 健二の側の事情を知らないママは、軽いため息で話しだす。


「何年か前に、酔った勢いで零していたことよ? 家族みんなが認めてくれてたのに、ひどい裏切りがあって、別れたんだって。それが原因でずーっと家族仲はギクシャクしてるって、そんな話をしたことがあったの。詳しくは聞けなかったし、それきりだったから、解らないけど」


 美桜より前にそこまで本気になった女が居て、きっとそれが原因のひとつなのだろう、昨夜のあの剣幕なら想像もつく。


 警察の捜査ではどの程度の情報が届いているのだろう、一ヶ月もの間、露見しなかったほどの辺鄙な場所での事件だ。人付き合いも少ないと言われる家族の、特にプライベートに関わる情報なら、まだ知られていない可能性の方が高いのだろうか。おまけに最近は通り魔事件ですっかり影が薄くなっている。


「警察の捜査も少しは進んでんのかな」

「そうだといいけどね」


 半分投げやりな答えを寄越して、ママはまた水割りを傾けた。


 客達はそれぞれが、それぞれ勝手に小声で話し込んでいる、そんな店の中でいつしか健二も馴染み客と同じような落とした声量で、ママと話し込んでしまっている。気付くと、なんだかおかしかった。世の中には色んな人間がいる。隣の変人を思い出した。


 ただ毛嫌いばかりしていた隣人のことを、少し違った目で見られるような気がした。あらぬ疑いを掛けて、証拠もないのに悪いことをした、とも。


 たまに顔を合わせても、卑屈な目を向けてきたり恨みがましい顔をしているばかりで、話らしい話などしたことはないが。


 先入観で決めつけて嫌っていたが、もしかしたら健二の方でもそういう表情を向けていたのかも知れない。彼は鏡のようにこちらと同じ反応を返していただけなのかも知れないと反省した。


 お隣が引っ越してきたのもちょうどひと月前。事件が発覚するより前のことで、妙な符号があると勝手に関連付けて見ていたが、このくらいの偶然ならどこにでも転がっている。


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