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「ママ、罵倒観音とかいうVチューバーから聞いたんやけど……」

「あら、彼が言ってた人? なぁんだ、そうなら先に言ってよぉ」


 素直に切り出したことが幸いしたのか、距離を置いたようなママの態度が一変した。周囲の男たちにも牽制のお達しがあり、あの嫌な空気も払拭された。


「ふふ、こんな店で驚いた? で、美桜ちゃんは元気にしてるの? ぜんぜん顔出してくれないんだもん、心配してたのよぉ」


「あの、なんで彼女、この店に?」


 見たところでは確かにゲイバーなのだ。ママも、客層も、紛うことなくその界隈の人だろう。そんな場所と美桜とが上手く噛み合わずに、失礼を承知で健二は尋ねた。


「え? ああ、聞いてないのね」

 少しばかり含んだ笑みを浮かべ、ママは言った。


「別に珍しくないわ、女性客も大歓迎なのよ、ウチ。今日はたまたまよ、たまたま女の子の姿が見えないだけ。話はバトちゃんから聞いてると思ってたけど、美桜ちゃんも最初はウチのお馴染みさんが連れてきたんだから」


「そうなんすか……」


 なんとも答えようがない。元々の客筋に連れてこられ、そのまま図々しくも常連になってしまうというのは、なるほど美桜らしい。オネェの方が女性にとっては居心地が良いという話も聞こえてくるから、美桜にとってもそうだったのだろう。


「けど、安心したわよ。そのお客がさ、あんな事になったもんだから、大丈夫なのかってヤキモキしてたのよねぇ。あなたと一緒なら安全そうだものね。よかった。ほんと、あの子ったら、ぜんぜん連絡付かないんだもん」


「ああ、ケータイは壊れとるそうですわ。家に帰ったらええようなもんなんやけど」

「あらぁ、その口調。大阪の方なの?」


 ママは喜色ばんだ声音で健二の発言を遮り、気付いて慌てて詫びた。初対面で必ず言われる社交辞令のようなもので、もう健二の方では気分を害するほどのことでもなくなっていた。


「ごめんなさいね、つい。じゃあ、あの子が何やってるかはもうご存じなのね?」


 健二が頷くと、ママも承服の頷きで返す。それだけで美桜の特殊な生活に関しては互いの了解が成る。こんな具合に誰とでも阿吽で会話が進むならどれだけ楽なことだろう。


 含んだ言い方で、ママは続けた。


「そうよね、知ってるわよね。援交でお金稼いでさ、ふらふらしてんのよね。あのお客……松野さんっていうんだけど、あの人が最初にここへ連れてきたのね。それで、一人でもちょくちょく来るようになったし、帰れないとか言うし、ウチに来ないかって言ってあげたんだけどね」


 こういう店の業務形態がどうなっているのかは知らない。だが、彼女にも出来るような、例えばアルバイト感覚の仕事もあるということなのだろう。あるいは、もっと単純にこのママの住居へ転がり込むことを勧めたという話かも知れない。今、健二がそうしているように。


「最初はね、それこそ同伴でどこかのお店の子でも連れてきたのかって思ってたくらいなの。はしゃいでたし……ちょっと失礼なんじゃない? って、そんな感じもあったから」


 例の被害者の気持ちは健二には解らない。だが、彼の目論見なら何となく察しが付けられた。嫉妬心がこの場所を紹介させたのだろう。少女が交際を広げるツテには出来ないこの店は、そう言う意味で安心の場所だったということだ。少なくともママはそう理解し、健二には仄めかすような言い方をした。だが、それは今、関係のない話だろう。


「俺はよう知らんのですけど、その、彼女の知り合いやったっていうお客の話、聞きたいんやけど。その、あの子がどこの子なんかも俺は知らんから……」


 どういう素性の娘なのか、ママならば真実を知っているかも知れない。あのVチューバーからも幾ばくかは話を聞いているだろう。憶測で気を病んでいるよりは、何か一つでも確かな情報が欲しかった。


 藁にもすがるような気持ちに反して、ママの表情は思わしくない。


「美桜ちゃんのことは、ごめんなさい、あたしもよく知らないの。あの子、本当のことなんかぜんぜん話さないでしょ? 松野さんも知らなかったのかもね、あの子のことを聞いても言葉を濁してばっかりで話したがらなかったわね、そう言えば。すごく仲は良かったんだけど」


 慣れた手つきでビールをグラスに注ぎ、そっと健二の前へ滑らせる。


「死んだ人のこと、悪く言いたくないんだけど……」

 前置きして、ママは語り出した。


「こう言っちゃなんだけど、あの松野さんって人はおススメじゃなかったから、美桜ちゃんの気持ちを考えると、ちょっとフクザツな感じなのよね」


「どういう?」

「なんていうか……あの人、悪い人じゃないのよ? だけど、ちょっと優しくないの」


 濁した言葉の意図を察しろと言わんばかりに、ママは目配せを寄越した。健二が図りかねているのを見て、躊躇の後で改めて言い直した。


「そうね……何から話したらいいかしら。松野さんのことが先だわよね、うん」


 話す順番を独り言の中で整理したものか、続けてママは健二を真正面から見据えた。


「彼、このお店にはよく来てくれたし、気前もいい上客だったんだけどね……、ひやかし? て言うのかしらね、コワいモノ見たさで来てたのよ、そっちのシュミもないくせにね。アタシたち、そういうのって解っちゃうの。けど、こっちもお客を選んでられるほど余裕ないし、ノンケはお断りってワケにはいかないのよね。傷付くけど、そういうわけで来る者拒まずってカンジなのね」


 寂しそうな微笑みを浮かべて、ママは健二よりもずいぶんとガタイのいい肩をすくめた。自身のことを言われたわけではなくとも、罪悪感が痛かった。


「ちゃんとお金は払ってくれるんだし、どういうつもりで来ていても文句言える筋合いはないワケ。”ニセモノ”の女の子で結構よ、理解がありますみたいな顔しててもね。露骨な差別よりマシ。そう思うしかないでしょ?」


「はぁ、すんません」


 自身のことではなくとも、謝罪の言葉が口をついた。ママはにっこり微笑んだ。


「松野さんって、決して悪い人じゃなかったけど、そういうところがあったの」


 それきり、少しの間ママの言葉が途切れた。記憶の彼方を見ていたママの視線が、ぐるりと巡って健二に注がれた。


「よくいるジゴロみたいな男よ。なんだか知らないけどモテる男、居るでしょ? 決してハンサムなわけでもないし、話した通りで優しいわけでもないんだけどね。美桜ちゃんの方がお熱だったの。だけど、優しい人じゃないから、ちょっと心配してたってワケ」


 ママは意味深に微笑んだ。


 美桜が本気で好きになった相手だったのかも知れない。あの時、Vチューバーの男が意味深に笑った、その本意も同じだったのか。


 悪い男に引っ掛かり、傷付いて……あの雨の日の出会いが思い出された。男が被害に遭ったというニュースも、もしかしたらもう知っていることなのか。あえて知らないフリで明るく振る舞っているのなら、その心境は今、どんな状態にあるのか。痛ましくて考えたくなかった。


「悪気なく、興味本位で無邪気に他人を傷付ける人だったから、恨みは買ってたんでしょうね。このお店でもあんまり評判は良くなかったわ。連れてくるのは決まって女の子ばかりだったし、この店の子を指名することなんて一度もなかった」


 ママはカウンターの中で氷を割ってウイスキーを注ぎ、口をつけた。


「だけど、まさか本当に殺されちゃうなんてねぇ……」


 ため息をこぼした。


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