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美桜は、事件とは何も関係がないと思っていた。東京近郊の、何の変哲もない児童公園で拾った少女だ。
日中にどこをうろついているのかは知らなかったが、彼女の申告した実家の住所は東北なのだ、A市からは遠く離れすぎている。
いや、彼女のことだからそれが本当かは解らない。真実味があったのだからと、身元の確認もしなかったことを改めて悔やんだ。
よくいる家出少女だと疑いもしなかったが、本当は健二の想像もつかないような境遇にある娘なのかも知れない。
片鱗なら何度となく目にしていたのに、それでも怪しんだりしなかったのは何故なのだろう。挙げ句に、警察に追われるようなことをしていたなどと、想像だにしていなかった話を聞かされても。
今、Vチューバーだと名乗るこの男と話していること自体が、まるで夢物語のようで信じられない心持ちだ。TVで観るドッキリか何かにしか思えなかった。
けれど、だからと言って美桜への感情も変わりはしない。謎の多い、けれど誰かの保護を必要としている少女だ。今さら他人の勝手な推測を並べられても、頭が解ろうとしない。
通報を恐れる彼女を気遣う癖がいつの間にか出来ており、その配慮に囚われているのかも知れなかったが。
自分で言い訳だと解るほどの、苦しまぎれに近い色々な言葉がせめぎ合った。
美桜の用心深さはこの男も承知のもののはずだ、健二にすら本当のことらしきは何一つ話したりしない娘なのだ。例の事件の被害者にしても、そんなに親しい間柄とは断定できないはずだと、足掻くように否定の理由を心の内に並べ立てた。
健二の時と同じくで、偶然知り合っただけの関係で、互いに詮索しないまま男の方は死んだのかも知れないではないか。
自身の今の状況が如実に物語っている、美桜は被害者の男が何をしていたかなど知らず、このVチューバーだかが勝手な憶測で同類扱いしているだけかも知れない、と可能性の限りを掘り出した。
ヤバい女だと何度繰り返しに聞かされても、どうしても真実味が持てなかった。
「本人は覚えなさそうやけどなぁ……」
悪あがきで呟くと、男はそんな小声にすら反応した。
「そうなの? けど、解んないよ、それ。ガード堅いからね、彼女。俺もさ、本人に直でアタック仕掛けようと思ってアレコレやったけどさ、全部不発。おまけに不審者認定で警戒されちゃってさー、嫌われちゃったんだよねー」
やはり事前に接触を図ったらしい。予想はしていたが、今のこの調子で喋ったとするなら、なるほどこの男が敬遠されるのも道理だ。
この期に及んでもまだ、心のどこかでは安堵の息を吐いている。美桜は通報を恐れていて、一応ではあるが関係する相手は選んでいる節も見える。
馴れ馴れしいこの男の態度に不審を覚えるのも当然だろう。下手な相手に近付いて危険な目に遭う可能性は低いということで、そんな些細なことだけで安心が生まれた。
自己暗示ではないが、また余計な言葉が口をついて出ていった。
「なんや、あっちこっち転々としとる子みたいやから、その長男ってのもそういう関係で付き合っとっただけやと思うけどな」
この男に手を引かせるつもりで言った台詞は、自分の胸に刺さった。行きずりの男と次々関係を結んでは転々と拠点を変えて、刹那に流れていく少女なのだと、自身で口に出してみると無性にやるせなさがこみ上げた。
「ヤベッ、もうこんな時間か」
チラ、と横目で自身のスマホを窺い、男は独り言のように呟いた。それから急に慌ただしく動き出し、冷めた珈琲をひと息に飲み干した。
「じゃっ、そろそろ行くよ。インタビュー受けてくれてありがとね。やっぱ何も聞いてないってのも本当みたいだし、これで切り上げるわ。彼女、犯人に心当たりあるんじゃないかって、それアンタにも話したかもって、ちょっと期待したんだけどねー」
残念そうに言い、手早く帰り支度を始めた。
「そうそう、彼女にもお店に顔出すように言っといてよ、それでママも安心するしさ」
付け足しのような台詞だ。心配というより、そこでまた何か話が進展するのではないかという期待でもあるのだろう、そういう下心の見える言い方だった。
「ちょ、ちょっと待ってや」
健二の方でも先送りにしてきた要件がある。男を呼び止めた。
「あんたさ、俺に無言電話掛けてけぇへんかったか?」
「無言電話?」
立ち上がった男がまた座り直す。しまったと思ったが遅かった。この反応は、犯人ではないだろう。
「なになに? 面白そうな話じゃん。無言電話が掛かってきたの? 誰から?」
「解ってたら聞かへんわ。先に言っとくけどな、美桜とは無関係やで。確認したけど、彼女のケータイには掛かってへんのやから、俺の絡みからや。あんたに掛けた覚えがないなら、別にええねん」
追い払う仕草で詮索を躱すと、男は伸びをするようなポーズでニヤリと笑った。
「なんだー、つまんねーの。そんなのアレしかないんじゃん? 別れたカノジョでしょ」
またしても嫌な可能性を無遠慮に言い放ち、男は健二をムッとさせた。
別段、深く詮索するつもりもなかったようで、その後、男はすぐさま席を立った。あからさまに、例の事件以外に興味はないと知らしめるような態度でさっさと店を出ていった。
Vチューバーの取材は終わり、健二が一人残された。
あの男は無言電話の相手ではなかったようだが、美桜の絡みで健二が逆恨みを受けているといった新手の可能性を知らしめた。
美桜の知り合いでも、美桜の携帯には掛けず、健二の携帯アドレスを密かに入手した者なら居たかも知れないという可能性だ。
美桜が同居していることは秘密にしていたはずだが、こんなに簡単に個人情報は調べられてしまうものなのだと、予期しなかった所で戦慄した。
テーブル上にさきほどのナプキンを広げ、記された住所をしばし睨みつけた。美桜は、付き合いが広い。この店にしたところで、本当に彼女と深い関わりがあるという保証はなかった。
躊躇の末に、健二はスマホを取り出した。行くと決めたわけではない、ほんの少しだけ調べてみようと思い立ったまでだ。あの男のようにあちこち嗅ぎ回るのは気が引けた。プライバシー侵害だし、なにより仕事に追われる身ではそんな暇もありはしない。
検索して出てきたその店は深夜営業のクラブということだった。ホステスのバイトでも探していたのだろうか。業種的にそれはあり得ない気がするが、美桜のことだから解らない。
そもそもゲイバーなどの常連になってしまう辺りに彼女の野放図な性格が感じられる。店名は何の変哲もない、けれどその店はゲイ御用達のバーだとレビューには書かれていた。
新宿二丁目のテナントで、言われてみればいかにもな名称の店で、掲載写真に映っているのも男ばかりだ。今どきの女子高生である美桜と繋がるようには思えなくて、健二は難しい顔をしたまま首をひねった。
時間が経てばお互いが知れてくるものだと思っていたが、謎ばかりが深まるようだった。ただの家出娘という認識は間違っていて、けれど犯罪に手を染めているとは思いたくなかった。
あれこれ考えたところで、何の判断材料にもならない。ため息で思考を中断してスマホの画面も消した。
未練がましくしばらく手の中で持て余していたが、やがては片付けた。そのまま健二も席を立つ。ずいぶんゆっくりした昼食タイムとなってしまった。
結局、その日の午後も無言の嫌がらせは続き、仕事にはならなかった。
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