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健二からすれば当たり障りのない、無難な情報だけを聞かせたことになるが、男は不満も見せずに頷いて聞いていた。軽い口調で総括するように言ってのけた。
「ふーん、そうかぁ、残念。けっこう、口が堅いのかな? 彼女」
「ちゃうわ。興味ないんや、日々適当に生きとるような感じやからな、小難しい話やとかニュース番組やとか、眺めてんの見たことないわ」
健二が否定すると、男は苦笑した。
「あれだけ毎日報道特番とか流れてたんだからさ、知らないわけないって。アンタ、信用されてないんじゃない?」
嫌なことをスパッと言う男だ。勢いを殺され、健二は出かけた言葉を引っ込めた。被害者と親しく付き合っていたわけではないのだろうという憶測、それを言うなら健二とて同じだ。仮の宿を提供してやっているだけだ。
男は大袈裟なほどに珈琲の表面を口で吹いて冷ましながら、次には話を変えた。
「ママさんが言うにはさ、一度、例の長男が彼女を連れて店に来たらしいんだよね。それ聞いてさ、思ったわけよ。美桜ちゃんから何か情報が繋がってこないかなーって。で、調べてたらアンタが出てきてさ。アンタの家に居るらしいって話も聞いて、まさか誘拐じゃね? なんつって……」
「冗談言うなや、なんで俺が!」
「解ってる、解ってる、ちゃんと調べた。バト観の情報網ならバッチリ調べはすぐに付くんだからさ。むしろアンタは親切な人って噂だよね、……恋人と別れたばっかりの夜に美桜ちゃんのこと拾うとか、出来すぎでしょって感じもするけど」
「何が言いたいんや」
ドスの利いた返しもさらりと流して、男は続けた。
「とりあえずー、今度、このお店に行ってみてよ。元ネタ提供者のママが居るし」
紙ナプキンにペンで書き付けたメモには、新宿の文字の下にテナントビルと店の名前が記されていた。走り書きのような文字はその勢いのまま自身の連絡先として携帯電話の数字を綴っていた。
この男も、少なくともその方面を行動範囲に入れた地域から来たのだろうか。美桜を拾ったことだけでなく、茉莉花と別れたことまで調べ上げていることが恐怖を呼んだ。
この男がただの一般人ではないだけかも知れないが、この男にここまで調べられるというのだから、これが警察ならどうなのか。
「警察が……美桜のこと、探してるってことやろか?」
「それはないない。安心してよ、あんたと同じで彼女に関わったヤツは自分からゲロ吐かないヤツばっかだから。俺も彼女の名前は伏せて噂話の体で語る予定だしさ」
男が笑いながら言う。ムッとするより先に、美桜を匿うということは、誘拐や連れ去りという犯罪のみでなく、社会的にも終わってしまいかねない行為なのだと改めて痛感した。やはり、早々に家へ送り届けてしまうべきだったのだ。
男は健二の苦い表情など知らぬげに話を続けた。
「ママに頼まれたんだよね、彼女が今どうしてるか、会って話聞かせてほしいんだって。それと引き換えで情報貰ったからさ、よろしくー」
請け負った依頼を勝手に健二に押しつけて、後は放置するつもりのようだ。非難する健二の視線は無視して、男はさらに自分勝手な話を続けた。
「……話戻すけどさ、彼女からA市の長男の情報を聞き出せればさ、例の、消えた長男の知り合いの男ってのが浮上するんじゃないかって。それか、妹だけ山中で発見された理由とかさ。滅多刺しだったらしいけど。そうとうの恨み感じるよね。だけど、警察情報は管制が敷かれてるみたいで、それ以上のことは入ってこないんだよね」
ニュース報道にあった人間関係の一覧が思い出された。被疑者、紺野唯史。被害者の一人、松野家の長男とは高校時代のワル仲間で、事件も仲間同士の諍いが原因ではないかと推察されている。
いつだったかの中吊り広告でも、二人が女関係で揉めていたなど言う下衆の勘繰りがまことしやかに書かれていた。そのような公式発表があったわけではない、信憑性の薄いゴシップばかりが世には出回っている。
初動捜査の際に出た情報は更新されていない。容疑者と被害者家族との関係は未だ謎が多いのか伏せられたままで、テレビの続報でも目新しいことは何も言わない。
そこに美桜が絡んでいるなどとは思いもしなかったが、この男はその線で調査を進めているということらしく、目の輝きがそれを物語っていた。
美桜のことはまだ世間に流れてはいない情報なのだろう。警察の事情聴取も来たことはなかった。
「それが、彼女の話を聞きたい理由なんか?」
A市での事件の鍵を握る少女、そう思っているらしい。
「そう! 俺も幾らかは調べたんだけどさ、ぜんぜん解んないままなんだよねー。ママの話によれば、長男さんの方は元々常連だったけども、美桜ちゃんと一緒に来たのは一度きりだっていうんだよね。入れ替わりみたいに、以後は彼女が常連になって、長男はあんまり来なくなっちゃったらしくって。なんか意味深だと思わね?」
美桜のことも多少は調べがついているのか、含みを持たせた言い回しで男は濁した。
二人は援交の仲と目しているようだが、健二が思うよりも交流自体は長いものと見ているらしい。彼女の方が店を気に入ってしまい、それにより男は足が遠のいたと、そう言いたげだった。ずいぶん都合の良い理屈だ。
健二が黙っているのを肯定と受け止めたか、男は調子に乗ってさらに言葉を繋いだ。
「しかも、あの事件を機に彼女の方もぜんぜん来なくなったらしくてさ、ヤバいのに巻き込まれたんじゃないかってママが心配してるんだよね。指名手配中の知人男性とかいうヤツのことも知ってる可能性高いわけじゃん? けど、ご存じと思うけど彼女はほら、警察的にはヤバいから絶対自分からは言わないわけじゃん?」
「ヤバい言うても、たかが家出と援交だけやろ、いっそ保護してもろた方が……」
「ああ、知らないんだ……。彼女、パクられたらヤバいんだよ。理由は知らない方がいいから言わないけど」
「なんやそれ……」
一瞬言葉を失い、かろうじてそれだけを返した。
「今はまっとうなようだけど、叩けばホコリが出る身体ってね、あの松野ってのも昔を掘り返すとヤバいヤツらしいから、そういう繋がりってことだね。ヘタすりゃ命に関わるらしいからさ、彼女が大事なら通報はよしてやりなよ」
ぽんぽんと健二の肩を馴れ馴れしく叩いて、男は訳知り顔で笑った。美桜が時折見せるものと同様のあくどい笑みだった。
その店のママだけでなく、美桜の交友関係では誰もが彼女を庇い、口を閉ざしているのだろう。例の長男から彼女へ繋がる線は警察には伏せられている、そういうニュアンスの話し方で男は誤魔化し、理由についても直接の言及を避けた。
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