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「俺、罵倒観音のバトルアワードっていう、Vチューバーチャンネル開設してんだけどさ。今回はちょっと特ダネ見つけたわけよ、けどまだ確信がないっていうかー、正直、よく解かんねっていうか……。だからさ、判断材料を求めてあちこちで取材してんだよねー」


 とりあえず名刺の交換をしようと健二は自身の分を差し出した。相手はこれを受け取るだけは受け取ったが、自分のものは出そうという素振りも見せなかった。最初から持っていないにしても、ふてぶてしい態度だ。


 宙に浮いた手を持て余しながら、健二は挨拶代わりの皮肉を寄越した。

「あんたのこと、検索してみたけど、出ぇへんかったで」


 男は不満げに眉根を寄せた。


「それ、しょっちゅう言われるけどさー、バトウの漢字は罵倒するのバトウなんだよねー。ちゃんと調べてよ、てか、Vチューバーとバトウで検索したら出るっしょ」


「知らんわ、そんなん」


 漫才のように吐き捨てる。どうにも調子を狂わされる。いつのまにやら男のペースに巻き込まれ、親しい友人であるかのような空気が流れていた。こんなところも美桜と同じで、男は初対面の他人の懐柔が上手そうだった。


 馬頭観音の字面を変えたアテ字では検索に掛からないのも頷けようというものだ。よほどの有名人でもなければ検索トップになど躍り出ることはない。それくらいは承知だろうに、男は堂々として悪びれもしなかった。


 どこか馴れ馴れしいこの男は、テーブルに着席するなり両肘をつき、覗き込むような姿勢で健二を見つめた。そのにやついた頬を張り飛ばしてやろうかと、つい思ってしまう、そんなタイプの男だ。


 男はA市の一家殺害事件を追っていると言った。


「おたくの美桜ちゃんがさ、あの事件で殺された長男と知り合いらしいのよ。詳しいとこは省くけど、ネタの提供元が居てさ、彼女のこと覚えてんの。スナックやってるママさんで、例の長男ってさ、そこの常連だったんだって」


 男は健二の表情をじっと見つめたままで、様子を窺っているフシが見えた。


 寝耳に水とはこのことだ、予想もしていなかった話が男の口からは飛び出した。平静を装い、健二は動揺を押し殺してグラスの水を口に含んだ。もしや、刑事なのかとの疑念が湧いた。


「そういう話は聞いたことないけどな……」


 じっとりと、背中に汗を感じる。健二の回答が都合に合わないものだったのか、男は急にそわそわと落ち着きを無くして、辺りに目を配って上の空の態度を見せた。


 刑事かも知れないと一瞬は肝を冷やしたが、もしそうならこんな悠長な手段など取らず、いきなり逮捕に踏み切るだろう。その方が手っ取り早い。思い直すと少しは落ち着きも取り戻せた。同時に、危険な橋を渡っていることを否が応にも思い知らされた。


 話すうちに知れた男の素性は、名乗った通り、Vチューバーとかいう新規のパフォーマーで正しいようだったが、それでも健二の警戒を呼ぶに充分の人物だった。


 根掘り葉掘りで探りを入れる言葉が、まるで遠慮を知らず、それでいて何か核心をボカしているようにも思えた。


「美桜ちゃんさー、あの事件の話とか、ちょっとくらいは漏らしたりしてない? ほら、知り合いが殺されたりしてるわけじゃん。怖がってたとか、何かあると思うんだよね。あんたのとこには結構長居してるんだし、他の客よりかは信用してると思うし」


「そうは言うても、ほんまに知らんのや。初耳やで、ほんまに」


「えー、本当に?」

「しつこいで。知らんもんは知らん」


「じゃあさ、一度、遊びに行くから紹介してよ。俺がさりげなく話聞いてみるよ。そしたらすっきりするじゃん、あんたの友人ってことにしといてくれたら助かるし」


「なんで俺がそこまでしたらんとあかんねん!」


 彼女に紹介しろという要求を、話の流れで突っぱねた。初対面なのに、図々しい男だ。


 無礼な男への苛立ちが半分と、もう半分では冷や水を浴びせられた心地がしていた。あの事件と家出娘とが、こんな形で結びつくとは思いもしなかった。


 A市の事件は度々耳に入ってくるのだが、例の空き巣以降しばらくは部屋にテレビがなく、日常でも会話に上ることがなかったから完全に失念していたものだ。


 美桜も興味がない様子だったし、自分たちとはまったく無関係だと思っていた。あの事件の被害者が自身の知人だとは気付いていないだけなのかも知れないが、本当に、ニュースを耳にしてもそんな素振りなど見せたことはないのだ。


 被害者ともさして親交がなかったのではないか。健二が胸の内で感じたこれらの点を男にも話した。


 男は訝しむような素振りで首を傾げたが、健二の話を真剣に聞いている。まだ疑っているような素振りも見えたから、念を押して再び否定した。


「鈍感なやっちゃから、被害者が知人やってことも気がついてないんちゃうかな。とにかく知り合いは多いみたいやし、そんな特別親しくもないヤツならそんなもんちゃうんか?」


 気付かないことの理由にはそういう憶測を付け足した。なにせ家に入れてくれた男は多く居たに違いなく、その一人ひとりについての記憶が乏しいとしても仕方がないと思った。


 毎日のように出掛けていく彼女が何をしているのか、健二とてまったく知らない。昼間ということもあって心配もしていなかったが、急に不安になった。


 だが、人との関わりなど本来そんなものではないのかと思う。プライバシーとかなんとかと、都合の良い時だけは無関心が推奨されるではないかと反発した。


 自身が彼女を泊めてからの、不審な出来事についても口に出さなかった。話す義理はないはずだ。


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