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健二は改めて惨状をぐるりと見渡した。
テレビの他に被害はなく、空き巣とも何とも今は言いようがない。彼女が居る以上、警察にも頼れない。質の悪い悪戯としても犯人に心当たりは無い。窃盗との断定も出来ない。今のところ、取れそうな手立ても見当たらなかった。
美桜の証言はそもそもアテにならないが、自身の記憶とて頼りないものだ。目星も付かず、心当たりもなく、それでもムカつく気持ちを抑え、途方に暮れる前に無理やり思考を切り替えるしかなかった。
「とりあえず、今夜は厳重に戸締まりして、やり過ごさなしゃぁないな。後は明日、考えようや」
考えたところでどうにもならないに決まっている。明日になれば解決するという話とも思えない。長時間労働の果てに降って湧いたこのトラブルで、捨て鉢な気分すら沸いて出た。
本当なら何もかも放置して睡眠を優先したいくらいだった。正直、片付けの作業すら億劫だったが、足の踏み場もない惨状だ、渋々ながら掃除機を引っ張り出した。
美桜も率先して動いているのだが、意気込みの割にはあまり役に立たなかった。右往左往といった体だ。被害が及んではいないと解りきった玄関マットを持ったまま、上がり框で不審者のように狼狽えているばかりだった。
ふと思い当たって、掃除機を止めた。
「なんでこんな怖い思いしてんのに、それでも家に帰りたないんや?」
聞いてみた。
「……お母さんのカレシが……」
重たい口が一瞬、開きかけてまた閉ざされた。
「新しい父親と折り合い悪いんか?」
「違うよぉ、まだお父さんじゃないもん!」
即応の後にはむくれて黙り込んだ。
やはり芝居がかっていた。ほんの少しだけ見えてきた少女の背景と、予想と違わぬ誤魔化しの小芝居……いや、予想通りすぎてむしろ拍子抜けさえした白々しい態度にまた苛立ちが募る。
あまりにもありきたりな、嘘臭いよくある話でしかない。引きこもりの暴力兄と母親の新しい男、家出を繰り返す年頃の娘。漫画やドラマにすらよく見る設定と思うばかりで、彼女の場合は信用に値しなかった。
何割かは本当なのだろう、丸っきりの嘘で塗り固めるのは逆に難しいと思う。だが、そこまで荒んだ環境に居る子供ではないと直感で解る。
その証言がどこかチグハグに聞こえてくるのも、この年頃にありがちな被害妄想というか、悲劇のヒロインに憧れるような、ある種、この世の不幸を一身に背負っているかのような歪んだ認識が、この少女、美桜にもあるような気がした。
告げられた環境に反して彼女の発育は良好すぎるほどに良好だし、そういった子供にありがちな瞳の陰りや過剰な遠慮も見えなかった。とても本当のことを言っているとは思えない、むしろ虚言癖を疑ってしまうのだ。そんな疑いまで抱かせる彼女の実体の無さが、やけに不安を煽り立てる。
自身の不幸を、まるでステイタスか何かのように誇り、半ば肯定してしまっている一部の子供を思う。
信頼は彼女が持つ僅かばかりの財産で、むやみと誰かに売り渡すわけにはいかないのだろう。両手に掬えるほんの少しの価値あるもので、それを無くしたらもう彼女には何も残らない。
社会の病理などと解ったような言葉を内心に破り捨てる。
どこから来た残酷さなのか、そんなことは解らなかったが、彼女の悪ぶったポーズを思うと、たまらない気持ちにさせられた。
人が投げた優しさやねぎらいの心は、彼女を素通りしてまるで届かないような気がした。
すべてが嘘かも知れないと思うと、遣りきれない。すべての人間が彼女の中では赤の他人か悪役なのだ、その心情を思うと苦しい。
「おじさんさぁ、あたしとヤリたいとか言わないの?」
これまたお決まりのセリフを美桜がほざいた時点で健二も吠えた。
「言うわけないやろ!」
訳の分からぬ焦燥はピークに達し、ほとんど怒鳴り声となった。ビクリと身を震わせたきり止まってしまった少女の瞳に、怯えの色が混じったことで健二も我に返った。カッとなって強い言葉を浴びせてしまったことを後悔した。
「あ、ごめん、堪忍な。イラッとしてもうたわ」
「びっくりしたよー」
けれど次の瞬間にはケロリとしてみせる少女が、また妙に心をざわめかせた。
嘘だらけの告白よりも、時折見せる瞳の色と、態度のチグハグさが、彼女が隠す真実を垣間見せる。そのたびに苛立ちが沸き立つようだった。本当のところは、絶対に言ってはくれないのだ。
ばつの悪さを軽口で誤魔化せばきっと、美桜は応じてくれるだろう。ほとんど漫才のようなやり取りになってしまうと解っていて、それでも逃げのように軽い返事をしてしまう。
「俺はまだ二十九歳や、おじさんはないやろ」
「あと一コで三十じゃん、それ、カウントダウンって言うんだよ、おじさん!」
先ほど怒鳴られたことなどもう忘れている。
ポンポンと歯切れ良く続く会話は、どこまでも核心を突くことをしなかった。何者かが侵入しガラスが散乱する部屋という、この不穏な状況を前にしても、美桜という少女はもう平静な態度に戻っている。
その不自然さを本人は自覚していないことが、彼女の境遇をどこまでも疑わせた。告白は、本当なのか嘘なのか。
「とにかく、俺はおっさんとちゃうし、お前みたいなガキ相手にもせぇへんから、変なこと言わんとき。他人に聞かれたら困るわ」
「ふーん。こないだまで泊めてくれてたヤツは、すぐヤラせろって脅してきたよ? ソイツったらもう見た目からキショかったから、絶対ヤだったけどさ、別に減るもんじゃないし、あたしお金持ってないし、おじさんだったら別にいいよ!」
漫才のような掛け合いは、実際はあまりにも物騒な内容を含んでいる。
「せやから、そんな安請け合いせんとき……」
何とも返事のしようさえなくなって、逃げるようにまた掃除機のスイッチを入れた。
「もうええから、ロフトの上に上がっとき。俺はここ掃除したら、もう寝るから」
「はーい。じゃあ、先にお風呂使うねー」
無邪気な声を残して少女は別間へと消えた。まるで台風のようだ、この
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