3

 急くように歩きながらも健二の耳は自然のなりゆきで、か細い雨の音に集中していく。欹てた耳は、やがてかすかな別の音を拾ってきた。


 先の公園にあるブランコの揺れる音だ、晴れた昼間なら子供の声とセットになっている。


 夜の闇の中、他には音を立てるものの何もないこの空間に、雨音に混ざり甲高い金属音が響いている。断続的で不規則な音階が、軋むように空気を震わせ、耳に不快な旋律を奏でている。


 弱々しい音が生まれ、雨の中に吸い込まれるままか細くなり、次に生まれた軋み音に潰されて消える、その連続。


 キィ、キィ、と暗闇に響き渡るかの音に、瞬時にオカルトを連想した。そぼ降る雨の深夜に、嫌な予感しかしなかった。


 足は自然に歩調を緩め、未知の何者かに向けての警戒を始めた。


 この音は、誰かの存在を知らせているだけだ、怪談話の幽霊などよりも、その誰かの方がよほど問題だというくらいは解かっていた。


 駅に向かう道はここしか知らない。避けて通るという思考は浮かない。進行方向ゆえ、嫌でも「誰か」の正体は目にすることとなるだろう。


 顔は正面に向けたまま、視界の隅で広場の暗がりをそっと探った。


 真っ暗な公園の片隅で赤いブランコが揺れている。


 独りでに揺れるわけはなく、そこにちゃんと人影もくっついていることを確認すると、僅かながら安堵した。オカルトを信じるわけではないのだが。


 進行方向で言うなら交わることはない、そのまま通り過ぎればよかったのだ。相手はまだこちらに気付いてなどいない。


 低い植え込みの向こう側など気に止めず、まっすぐに通り越せば良かったのに、けれど健二の足は止まり、興味本位の視線は遠くの人物を注視した。


 この瞬間にすべてが決まってしまったのかも知れなかった。


 雨の中、傘も差さずに一心不乱にブランコを揺らしているのは若い娘だった。遠目でも解る明るい色めのパーカーか何かに、ひだスカートの足元が寒そうだった。


 学校の制服にフード付きパーカーを引っかけてぶらりと出てきたような、そんないでたちだ。


 テレビでよく見るアイドルグループを思わせる、遠目に見ても解る可愛らしい子だ。つややかな栗毛が雨に濡れて貼りつき、小さい頭をさらに小さく見せている。俯いた小顔の中の大きな目がじっと一点を見つめていた。


 ずぶ濡れの健二と少女、互い濡れ鼠の二人が何か共感めいて胸にくる。


 彼女はひと休みでもしていたのか、急にムキになって、俄然、力を込めた。


 子供のように意地になり、力いっぱいにブランコを漕ぎだした彼女は、まるで怒っているような、あるいは泣いているような顔で虚空の一点を見つめていた。


 なにか共鳴するものがあったのだ、普段なら関わりになることを避けるこのシチュエーションで、吸いつけられるように健二の足は園内へ入っていく。


 出来すぎたドラマのようだ、ありふれた出会いのシーンに見えて、現実にはあり得ない状況だ。


 馬鹿げた幻想に引き寄せられて、この真夜中の空白地帯に足を踏み入れていく愚か者だと、なかばの自嘲で口元が歪んだ。


 鬼とも蛇ともつかぬ見知らぬ少女に近付いていく。


 少女の姿をして、本当のところは解らない、得体の知れない存在だというのに。お守りを求めるように、上着のポケットに突っ込んだスマートフォンを手で探っていた。


 見たところは高校生といった風情だ。成人だとしても、女一人がこんな雨の中でブランコを漕いでいるのはおかしい。妖怪か、化け物か。やがて気付いた少女も同じように警戒を露わにした。


 くりくりとした大きな目に、濡れた前髪が入りそうに被さって、その大きな目をさらに大きく見開いて、彼女はこちらを見たまま動きを止めていた。


 携帯端末を取り出す健二の動作で勘付いたか、両手に握っていた鎖を放り出して逃げた。


 躊躇した後に、健二も駆け出す。スマホをポケットへ、邪魔っけな傘は放りだした。


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