第7話


 棚に新しく目薬が追加され、特におじいちゃんおばあちゃんによく売れた。

 孫の顔が見やすくなったって、わざわざお店にお礼を言いに来る人もいたほどだった。


 そんなふうに喜んでくれるのなら、おれも目薬を作ったかいがあったってもんだ。


「あの~レイジさん? そろそろお買い物をお願いしてもいいですか? そろそろ食材がなくなりそうなので……」

「うん。メモは?」

「はい、これです、どうぞ」


 おれはお買い物リストのメモをミナから受け取る。ミナは一応この家の幽霊だから、ここを離れることが出来ないらしい。


「ノエラも来るか?」

「行く」


 買い物かごを持って、店番をミナに任せて店を出た。


「行ってらっしゃいませ~。お気をつけてー」


 店先に出て手を振るミナにノエラも手を振って応える。


「――必ず、帰ってくる」

「どこ行くつもりなんだよ」


 お祭りも終わって、落ち着きを取り戻した町を歩く。さて。今日は何を買えばいいのやら……。

 ミナからもらったメモを広げる。


『毛糸のパンツ』


 ぶっ!? 何買わそうとしてんだ。……ていうか、幽霊でもはくんだ、パンツ。

 いやまあ、実体があるから必要といえば、必要なのか……。


「あるじ、顔赤い。どした」

「何でもない……ミナのやつ、渡すメモを間違えたんじゃ……?」


 しっかりしているけど、案外抜けているところがあるから、さもありなんといったところだ。

 Uターンして店に戻ろうとすると、ドタバタと騒がしい足音と悲鳴が聞こえる。


「た、助けてぇええええええ――」

「待って待って待って待ってどうして逃げるの、ちゃんとお話しましょうよ、どうしてどうしてどうして――」


 おれが後ろを振り返ると、二〇歳くらいの男子が、同年代くらいの女子に追いかけられていた。女の子の手には、三〇センチくらいの大振りのナイフが握られている。男子のほうは涙目で、女子のほうは鬼気迫る形相で目を血走らせていた。これは……絶対に関わっちゃダメな人たちだ。


 こっちに逃げてくるので、おれは道を譲るため端に避けると、おれのほうへと駆けてくる。何でこっちに来るんだよ!? おれと目が合うと、神様を見つけたような顔をした。


「た、助けてください――っ」

「む、無理無理無理! 自分でどうにかしてください!」


 回り込んで、おれを盾にするようにして隠れた。


「す、すみません! あの子、どうにかしてください」

「そんなこと急に言われても……」

「ジラル……どうして逃げるの……」


 後ろから女の子の声が聞こえ、おれはブルッと震えた。

 恐る恐る振り返れば、ギラリと光るナイフがおれの喉元に突きつけられた。

 ひ。ひぃいいいいいいいいいいいい!?


「あ、あの、おれは、レイジと言いまして……、そ、そこの、薬屋の店主で、お、お二人とはまったく関係ないんです――」

「薬屋の店主――ああ、あなたが噂の錬金術師――ジラルに何をしたの――あなたがおかしなことをしたんじゃないでしょうね? ねえ? ねえ? ねえ? ねえってばぁあ!?」


 なんか、かなり病んでいるような……。デフォルトでこんな子なのかもしれないけど。

 何の弁解もせず隠れるジラルさんは、おれにしがみついて震えている。

 何とか言ってフォローしてくれよ。ノエラは……。あ。ダメだ。買い物かごを頭に被って現実逃避している。


「本当に、おれ関係ないんです。――ちょっと隠れてないで何とか言ってくださいよ」

「フェリスは、ちょっとおかしいんです、錬金術師さん――どうにかしてください」

「おかしくないおかしくないおかしくない、おかしいのはあなたのほうよジラル、こんな胡散臭い錬金術師と何をしていたの、私はどこもおかしくない――」


 あー。あー。あー。もう、完全に巻き込まれた。


「わかった、わかった、わかったから。と、とにかく、フェリス、さん? はナイフをおろして――じゃないと解決するもんもしないから」


 おれの必死の説得の末、フェリスさんは、からん、とナイフを道に落とす。

 両手で顔を覆って泣きはじめてしまった。


「私私私私私私、私悪くない、どうしてみんな私のことを悪く言うの――どうして、どうして、私は悪くないわよ」


 えー。えーえー。情緒不安定な人だぁ……。こら。ジラル。なに、こっそり逃げようとしてんだ。

 このシーンだけを見ると、痴話喧嘩に巻き込まれたというよりは、おれがフェリスさんを泣かしているようにも見える。おれは、ジラルさんの襟首を掴む。


「状況をまず説明してもらっていいかな」

「あ――、はい……」


 人目もあるので、おれたちは人のいない公園へ移動する。ベンチにフェリスさんを座らせる。

 まだグスグス泣いているフェリスさんを見て、ノエラがよしよし、と頭を撫でた。


「る!?」


 ガシン、と腕を体に回され、ノエラがフェリスさんに捕まった。

 じたばたしているのをよそに、おれはベンチから離れてジラルさんから事情を聞くことにした。


「さっきは本当にすみませんでした」

「それはもういいですから。……フェリスさんと何があったんですか? あの、失礼ですけど、ご関係は……?」

「フェリスと俺は、最近付き合いはじめた……その、恋人です」

「へーあぁーそう」


 思わずぞんざいな態度になるおれ。


「あんなに怒ったり泣いたりしていましたし……ケンカ、ですか?」


 これは違ったようで、ジラルさんは首を振った。


「いえ。最近よくあるんです。その中でも今日が一番酷かった。ケンカと言えばそうかもしれないのですけど。……フェリスは心配性なんです。それが過剰というか、なんというか……」


 はぁ、とおれは曖昧に相槌を打つ。


「俺のことが心配で心配で、『夜眠れない』って言ってて……最初はそれがいじらしく感じられていたんですけど、それがどんどんエスカレートしていって……」


 聞くと、心配性+嫉妬深いような女性らしかった。違う女と浮気するんじゃないか、とか。

 パンを買いに行って女の店員と軽い会話をするだけで、異常に怒ることもあるんだとか。


 強すぎる愛情の裏返しってやつなのかな……?

 フェリスさんに目をやると、ノエラをもふもふして癒されている。表情がゆるみっぱなしだ。さっきと顔つきが全然違う。ノエラのもふもふ、おそるべし。もふもふは、正義なんだなあ。

 アニマルセラピーとか、そういうのに近いのかもしれない。


「だから、レイジさんにどうにかして欲しいんです」

「丸投げかよ」

「きっと、何かが取り憑いているんです! その悪い何かがフェリスをあんなふうに変えてしまったんですよ。被害妄想とかもすごいし、言ってないことを言ったって主張するし、逆に言ったことを言っていないって……」

「そんなに嫌なら別れちゃえばいいんじゃないですか? ジラルさんもいっぱいいっぱいなんでしょ?」


 ジラルさんは、顔色を失くした真っ白な顔で、力なく笑う。


「……レイジさん。俺が別れ話を切り出したときの話、聞きたいです?」

「――やめておきましょう」と即答した。


 あんな大振りのナイフを持って町中を走り回るくらいだ。大参事になったであろうことは、想像に難くない。


「だから、フェリスに憑いている悪魔を、レイジさんが祓ってくれればきっと元の彼女に戻ってくれるはずなんです!」

「おれはエクソシストじゃないんだが」

「あ、すみません、本業は錬金術師ですよね」

「副業でもエクソシストはやってないから。だいたい、本業、薬師だからね」


 ジラルさんからすれば、エクソシストだろうが錬金術師だろうが薬師だろうが、何でもいいんだろう。ばっと頭をさげた。


「……フェリスを助けてあげてください! それが、俺を助けることにも繋がるんです……」


 おれは諦めとともにため息をついた。


「……わかりました。出来ることはさせていただきます。でも、本当に悪魔やら何やらが憑いているんなら、おれにはどうにも出来ないですからね?」

「ありがとうございます!」


 ジラルさんとおれは握手を交わす。やるとは言ったけど、出来ることって、何かあるのか? 悪魔祓いは、薬じゃ出来ないだろうし……。そもそも憑いてるのか? その判断はさっぱり出来ないから、おれに出来ることをやってみよう。今は、フェリスさんはノエラと遊んでいる。

 あれを見る限り、どこにでもいる普通の女の子にしか見えない。


「もし可能性があるとすれば、アレかな……?」

「アレ、ですか?」


 おれは不思議そうにしているジラルさんにうなずく。


「準備するんで、今日の夜にでも『キリオドラッグ』に来てください。そこで薬を渡します」

「……ま、待ってください――ふ、二人きりにするって言うんですか!?」

「自分の彼女でしょう? それはどうにかしてください。たぶん、悪魔なんて憑いてないですから」


 そう言い残して、おれは店に帰る。


「あ。お帰りなさーい。ずいぶんと遅かったですね?」

「色々と巻き込まれて。……あと、これ……たぶん、間違ってるぞ?」


 おれはミナにメモを返す。かぁぁぁぁ、と顔色が真っ赤になった。


「すっ、すみません~、わ、わたしったら、わ、渡すメモ、ま、間違ってましたっ」


 はぅ~、と変な声を出しながらミナは天井に貼りついて、両手で真っ赤な顔を覆った。


「毛糸のパンツ」

「はぅ~~やめてくださいレイジさん――」


 あ。そういえば、ノエラを忘れてきた。アニマルセラピーってことで、今回はノエラにも頑張ってもらおう。おれは創薬室にこもって、作業に取りかかることにした。

 ちょくちょく森や山に行って採取してきた薬草が、今回使えるはずだ。

 乾燥させたとある植物の花を粉々にして、おろしたショウガを合わせて、瓶に入れて振る。ふわっと液体が光って、創薬完了。蓋を開けてにおいを嗅いでみる。


「うん。良い香り」


 しばらくして、ノエラとジラルさんが店にやってきた。おれは、ジラルさんに作ったばかりの薬を渡した。


「薬というよりは、ドリンクに近いですけどね」


 眠る前に飲んでもらうように伝え、ジラルさんはお礼を言って帰っていった。




 翌日。開店早々、ジラルさんが飛び込んできた。


「あ、おはようございます」

「おはようございます――いや、呑気に挨拶してる場合じゃないんです――」


 ジラルさんはがっしりおれの手を握った。


「ありがとうございました! 朝起きたら、フェリスが……フェリスが、元に戻りました――すごく落ち着いた顔をしていて……」

「そうでしたか。それは良かったです」

「あの薬で悪魔を祓ったんですね、わかりますっ!」

「何もわかってねえ……。あれは、単なるリラックス出来るお茶です」

「へ? たったそれだけ……?」

「はい。……フェリスさんが言ってたんですよね『心配で夜も眠れない』って。……だから眠りやすくなる物を渡したんです」


【ランデンフラワー茶:神経を鎮める効果、リラックス効果がある。不安やイライラを軽減させられる】


 単なる比喩表現かと思ったけど、あの様子を見る限り、それはそのまま当てはまった。


「ちゃんと寝てないと、些細なことでイライラしたり怒りっぽくなったりすることが多いですから」


 元々、神経質な性格だったっていうことも災いしたんだろう。だからって、心配性や嫉妬狂いがどうにかなるわけじゃないんだけど。感心して聞いていたジラルさんは、お礼を言って頭をさげた。


「ジラルー? まだなのー?」


 フェリスさんが店に顔を出す。おれと目が合って、申し訳なさそうに一度会釈して、困ったように笑った。ジラルさんの言った通り、憑きものが落ちたような落ち着いた表情をしている。


「ちょっと待ってて。――今日、これからデートなんです」

「へーあぁーそう」


 ジラルさんは代金をおれに渡すと、店の出入り口でまたお礼を言った。こちらに背をむけると、恋人繋ぎで手を繋いで去っていった。あーもう。あーもう。朝からやる気なくなった。

 まあ、何にせよ、死人が出なくてよかった。


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