第29話 2126年 2月8日 00:01 状態:シェルターに重大な損傷

 生き残るためのマニュアル


 サバイバルにおいて最も重要な事は生存を諦めない事です。



 上位者は空中に浮いていたかと思うとゆっくりと高度を下ろし、床に立った。上位者は茶色がかった肌の完全なヒトの姿であり、白く、光沢を放つ腰巻だけを巻いていた。頑強な骨格に、厚い筋肉。神話に出てきても違和感の無い風貌だった。


「それが、お前の本当の姿か?」

「お前にそう見えているなら、そうだ」 そこで突然、上位者の声が二つに重なった。「だが、真実など存在しない。在るのは解釈だけだ。何かが存在し、お前達がそれを付け加える」


 言い終わると同時、上位者から二人の男が“抜け出した”。男達は上位者の両隣で止まると、上位者と同じ様に俺を無機質な眼で捉えた。片方は赤の他人だったが、もう片方は俺の古い友人だった。


「お前の記憶から適当に選出した。どちらも私だ」


 気付けば上位者は何時もの人型の黒い靄に戻っており、二人の男も消えていた。俺の解釈が乱れたから姿が変わったのか……いや、上位者に姿なんか無い。奴はただそこに“在る”んだ。


 奴はどれだけでも此処に居られるだろうが、俺はそうもいかない。対話と聞いたが、何に対しての話かは聞いていないし、後ろにミュータント共が控えたまま話すのも御免だ。


「何をしに来た」

「そこのミュータントを取り戻しに来た」


 上位者が指さした場所は安全キャビネットだった。俺は知らぬうちに実験室に飛ばされた様だが、もう驚かなかった。


「このミュータントを?」

「お前から見ればミュータントだが、彼らから見れば子供だ」

「俺から見たって子供なのは分かる。見るからにガキだからな。でも、もうすぐミュータントじゃなくなる」

「血清か」

「そうだ! それでも連れて行く気なら俺を殺せ!」


 ホルスターからベレッタPX4を抜き、上位者に突き付けた。無駄なのは分かっている。これは俺の意思表示だ。やっと手に入れた希望なんだ。


 上位者は顎に手をやり、如何にも考え、悩んでいるふうを装って言った。


「お前は思い違いをしているな。それも致命的な」

「……何?」

「血清の効果が出るのは何時間か知っているか?」

「48時間だ」

「それは最大の効果が発揮される時間だ。本来であればあのミュータントはもう既にヒトに戻っている」


 頭の中が混乱してきた。上位者が何を言いたいのか見当もつかない……嘘だ。本当は聞きたくないんだ。そんなはずはないと信じたいんだ。


「そもそも、ミュータントが年を取らないと? 百年間も子供は子供のままでいると思うのか?」


やめろ。


「彼らは不死では無いし、長寿でも無い。第一世代に限って言えば放射能の影響で寿命は健康なヒトに比べて遥かに短かった」


やめるんだ。


「そのミュータントはミュータント同士の交配で産まれた純ミュータントだ。そもそも、元ヒトでは無い」

「黙れ!」

「お前が今まで殺してきたミュータントもそうだ。ヒトが変異した第一世代などとうに絶滅した。彼らは自らの手で種を増やし、繁栄しようとしている」

「もう、やめてくれ……」


 上位者は無慈悲にも続けた。世界全てが敵に思えた。


「分かるだろう。古き者、旧人類よ。彼らこそ新たなる地球の支配者、新人類だ。お前たちはベットメイクもせず、散々散らかした挙句地球を明け渡したが、彼らはそれに適応した。地球は住まう者に合わせてはくれない。ならば適応できた者こそ生きる権利があると思わないか?」


 純粋なミュータントを一体どうやって人間に戻す? 元々人間ですらないのに。不可能だ。しかし、俺の脳裏には血清で肌のハリを少し取り戻したあのミュータントの姿が浮かんでいた。


「でも、血清の効果は確かに……」

「僅かに、だ。彼らのDNAの塩基配列は、ホモ・サピエンスと酷似している。お前達が類人猿とそうであるように。血清の一部が遺伝子に作用したんだろう」

「人間には……戻らないのか……?」

「第一世代では回復だったそれも、現在の第三世代にとっては変異でしかない」


 頭を強く殴られた様な気分だった。今まで必死にやって来た。持っている物は全て投げ出したつもりだ。命だって掛けた。そして今俺はここに居る。必死に生き残って――その全てを否定された。


 変異。人類を変異から救おうとして、ミュータントを変異させようとしていたとは、何とも皮肉な物だ。やはり俺は嵐の中の小舟だった。引き際を誤り、静止の声すら無視して、嵐の海に引きずり込まれた。


「そのミュータントを母親の元に返してやってくれ。彼らも子を愛し、家族を愛している。お前達と同じ様に」

「……いいさ、連れて行け」

「感謝する」


 上位者の背後のエアロックが開き、一人の母親が実験室に入って来た。母親は安全キャビネットの中で眠る我が子の姿を見つけ、駆け寄った。


 キャビネットを外すと、子供に刺さった麻酔針を抜き、静かに眠る子供を抱きかかえた。母親は上位者に軽く頭を下げると、エアロックの向こうで待つコミュニティの元へと向かった。


 エアロックが閉じ、再び部屋には俺と上位者だけが残された。


「彼らは今、少しずつ知能を持ち始めている。やがて文字を生み、文明を築き、互いに殺し合う様になるだろう。しかし、全く以てそれで良いのだ。彼らは何れ滅び、別の種が後を継ぐだろう。幾度と無く行って来た様に」

「……一つ、聞きたいことがある」

「何だ」

「どうして俺を殺して子供を取り返そうとしないんだ。お前がそこまで対話にこだわる理由は何だ」


 もし俺なら、最初こそ対話を試みるかも知れないが、駄目なら殺してでも子を連れ戻すだろう。上位者は目線だけでも俺を殺せる筈だ。そうしない理由が分からなかった。


「かつて、斎藤幸治と言う男が居た。彼には素質があった。彼は私と対話して、自らに課せられた運命を知ったが、孤独の末に自ら命を絶ってしまった。お前には彼以上の素質がある――生き残った人類と話し、ミュータントとの戦争を止めさせる力が」

「……人類? 絶滅したんじゃ……」

「絶滅したのは変異した第一世代だ。遥か南で、少ないが生き残った人類がミュータントとの戦争を続けている」


 人類……遥か南で。そうだ、奴は絶滅したとは一言も言っていない。だが、信じられなかった。どうして。


「旧人類は何れ滅びる運命にある。それは不可避の運命だ……これ以上双方にとって無駄な血を流す意味は無い」

「……流血の中の滅びでは無く、安息の中滅びろと?」

「そうだ。お前達はそうする権利がある。南へ向かえ。もうミュータントはお前を害さない」

「お前がやればいい」

「私は人類の代表に成り得ない。それに、私はもうじき姿を隠す」

「……少し、考えたい」

「良いだろう。お前が決断した時にまた現れよう」


 そう言った上位者の体は霧散し、辺りは黒い霧に包まれた。それは濃度を増して行き、完全な暗闇になった途端、奥底から光が弾け、黒い霧は消滅した。


 眩さに瞼を閉じ、再び開いた時には上位者は消えていた。


 ミュータントの軍勢が気になり廊下に飛び出したが、そこには虫1匹いなかった。それどころか積み上げたはずのコンテナも、変異種の死体も無く、エアロックも正常に機能していた。時間が巻き戻った様に、何もかもが元通りになっていた。


 いつも通りの、変わり無いシェルター……その中に、何もかも変わってしまった俺だけがただ一人、取り残されていた。

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