第24話 2126年 2月5日 7:00 状態:生存

 生き残るためのマニュアル


 シェルター内には最新鋭の研究設備が備えられています。それらはあなた方の研究の大きな助けとなるでしょう。



 何時ものアラーム音が遠くから聞こえる。普段は喧しく思えるそれも、今はとても安心できる物だった。愛しき平穏にずっと身体を預けていたかったが、時間は有限で、その価値は何より高い。


 纏わりつく眠気を振り切り、上体を起こして伸びをすると、背骨が子気味良い音を立てた。


 血清を手に入れてから今日で二日目になる。あの後、血清を手に入れてから少なくない数の敵と戦いながらも――最後まで肉腫が現れなかった所を見ると、本当に死んだんだろう――日が落ちる寸前に第四シェルターに戻り、身に着けていた汚染された装備品を廃棄し、そこで一晩過ごしてから此処に戻ったのが昨日。


 最も懸念していた事は、長い間放射線に晒された所為で血清が何かしら変性をきたしていないかどうかだったが、血清が入っていたアタッシュケースに鉛が使われていた事や、その他色々な奇跡的要素が重なり無事だった。


 シェルターに戻ってからあの成分表が正しいか確かめるため、血清の一つを検査機に掛けた所、一つの成分がデータベースに無い事を除けば成分表通りだったし、シェルター内にある薬品である程度の数が作れそうだった。しかし俺一人では限界があるし、やはり何処かのコミュニティを見つけ、血清の製造法を伝えなければいけないだろう。


 データベースに無い一つの成分とは、ミュータントの血液だ。新鮮な血液を遠心分離して残る上澄みが血清の主成分になる。ここが最も重要で、ハードルの高い所だ。


 まず何処かでミュータントを捕獲し、そいつに血清を試してみなければ。効果が出るまでに四十八時間必要だそうだから、その間に並行して血清の量産体制も整える。シェルターの一室を実験室に使える様にもしなければならないだろう。エアロックの汚染除去も一時的に切らなければ。


 やるべき事は多いが、幸いにも時間は沢山ある。まずは朝食を食べよう。久々にちょっとした調理を加えるのもいいだろう。


 調理と言っても、メニューは何時もと殆ど変わらない。普段食べてるパンに、お湯で戻した粉末玉子。缶入りのミネストローネだが、これは製法の所為か長時間保存の所為か知らないが、野菜が殆ど溶け切ってしまっているのでフリーズドライの野菜を砕いて入れる事にした。 


 所詮はフリーズドライ。最早遠い記憶の中にしかない新鮮な野菜には遠く及ばないが、それでも野菜は野菜だ。ミネストローネに一味加えるのには役立った。


 味気無いパン、ミネストローネ、どこか粉っぽい粉末玉子――スクランブルエッグに近い物になる――とコーヒーの朝食を終え、生きたミュータントを捕獲する為に麻酔銃を用意していた時だった。


「無駄な事をしているぞ」


 背後から聞こえた声に、体は勝手に反応していた。振り向くよりも、意識するよりも早く、ベルトに挟んでいたベレッタPX4を抜き、背後に発砲していた。


 シェルター内で音は何重にも反響し、壁の一部が剥離して床に落ちる音が続く。

 振り向いても上位者の姿は無かった。やったのか? そう考えた時、声が響いた。


「無駄だと言ったはずだ」

「当たっただろ」

「避けなかったのだ」


 黒い靄の様な物が集合し、目の前に上位者を象っていく。完全に姿を為した時、俺は上位者の姿は以前よりも人間に近づいたという印象を持った。ギリシャの彫刻の様に、美しさを感じさせる神聖さを持ち始めていたのだ。


「私には全てが見えている。過去、現在、未来。万物には一定の法則性がある」

「……何をしに来たんだ」

「もう説明しただろう……いや、すまない。説明したのは三十九秒後のお前に対してだった」上位者は首筋を撫でると、言った。「無駄な事をしていると、伝えに来たのだ」


「血清の事か?」

「そうだ。お前がその血清で何かを為す事は無い……仮にあったとしても、最後は全て同じ結果に収束する」


 全てを悟った様な上位者の姿は以前には無かった物で、今の上位者は異様な不気味さを俺に感じさせた。これ以上話したく無かった。


「もういい、今すぐここから……」

「出て行ってくれ、二度と現れるな」


 俺の言葉を奪い、何でも無い様に続ける上位者。俺が内心戦慄を覚えていると、上位者は何もない虚空を見つめ、少し目を細めた。


「……タキオンが乱れているな。ふむ、不自然だ」上位者は少し考えこみ、俺の方を向いた。「また会おう。忘れるな。私はどこにでもいる」


 そう言い残すと、上位者は瞬きの間に消えていた。

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