第16話 2126年 2月2日 11:13 状態:生存
生き残るためのマニュアル
人体が必要とする水分量は季節や活動量によって大きく変動します。
カフェインを多く含んだ飲料は水分補給に適しません。
◇
その病院は遠く、東に長旅をする事になる。
これまでは夜の地表活動は避けていたが、今回はやむを得ない。出来るだけ何処かに安全地点を見つけ、そこに身を潜めるのがベストだが、もしそれが敵わなければ朝まで戦い続ける破目になるだろう。そうなれば先に銃弾が尽きるか、先に俺の命が尽きるかの二択だ。
病院でデータを回収し、もしその場にクリーチャーを人間に戻す“血清”とやらが残っていればいいのだが、想定すべきは常に最悪だ。目標では行き帰りで四日だが、何らかのアクシデントは容易に起こり得る。
つまり、大量の荷物と共に行動する事になる。五日分の食料、飲み水、弾薬、生存道具――いつも背負っているミステリーランチの三十三Lのバックパックに加え、二十二Lのダッフルバックを持っていくつもりだ。五日分は中々の量だが、幸いな事にフリーズドライ食料などは最新技術でかなり小型化されている。問題は水だ。こればっかりは小型化できないし、かと言って摂取しなければ死ぬ。我慢するしか無いだろう。
そしてまだ嵩張る物がある、放射性防護服と酸素ボンベだ。病院内は重度に放射能汚染されているらしいので、防護服を着て行動する事になるだろう。
道中の安全地点は第4シェルターを予定している。シェルターのエアロックは網膜認証と緊急時の声紋認証で開く仕組みだが、第4シェルター唯一の生存者、斎藤幸治はシェルターのエアロックを十二桁のパスワードでも開けられるように改造した。そのパスワードは日記の端に書かれていたが、今はそこだけ千切ってポケットに入れてある。
装備に新しくモスバーグM500――12ゲージを加え、シェルターを後にした。
本日は曇天、重たい雲が立ち込めている。雨に降られる前にシェルターに辿り着ければいいのだが。
重いバックパックとダッフルバックを持っての地表活動は流石に堪えるが、今回ばかりは仕方が無い。運んでいる物はどれも命に直結する物だ。
目的地はずっとずっと東だ。警戒を続けながら黙々と歩く事三時間と少し。昨日無線電波をキャッチしたビル群まで到達した。この景色は嫌いだ。どうしようもない虚しさに取り憑かれる。
足早に抜けようと歩を速めた瞬間、視界が大きく揺れた。強烈な眩暈に思わず目を覆い、片膝を突いた。しかし眩暈は一瞬だけで、数回瞬きをした頃には眩暈は消え失せていた。
膝に手を突き立ち上がる――目を疑った。
古い色あせたフィルム映画の様な色彩の中、そこには人が、車が、ビルがあった。“壊れておらず、生きた”状態で。
目の前を沢山の人間が横切って行く。デバイスで日付を確認すると、二〇二六年六月十一日――全ての戦いに終止符が打たれた、核戦争の日だ。自分が今日死ぬなど露程にも思わず、生命を当たり前の物として享受する幸福な人々。今見ている景色、それは紛れも無い戦前の姿だ。
俺は知らず知らずのうちに右手を伸ばし、行きかう人々に触れようとしたが、その瞬間世界は停滞した。全てが動きを止めた。質の悪いフラッシュモブの様に。
止まった世界の中で、一つの声が響いた。
夢で聞いた、黒い影の声だ。
「我々を恐れるな……」
ただ夢と違ったのは、俺はどうにか声を出せたという事だ。
「お前は何だ? 俺の幻覚なのか?」
「私は……私は上位者だ。社会であり、共同体であり、発展だ」
「何故俺の前に現れる?」
「和解の為だ。我々はお前を恐れている」
まただ、また和解だ。俺は意味を聞こうとしたが、再び強烈な眩暈に襲われた。
眩暈が治まると、世界は元通り、荒廃しきった姿に戻っていた。
奴は何なんだ? 奴は自らを上位者と言ったが、全ては俺の幻覚では無いと誰が言えるだろうか。
◇
中東戦線で核兵器使用か?
――2025年 日本新聞
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